ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

「自分が書きたい事」と「他者が読みたい事」

2011年08月28日 | 其の他

1985年、「放課後」という小説で文壇デビューを果たした東野圭吾氏。今や「押しも押されもせぬ人気作家」となった彼にも、“長い不遇の時代”は在った。其の辺の話は過去に「賞に縁遠い男“東野圭吾”」という記事で触れたけれど、そんな彼が「作家生活25周年」を迎えたという事で、今春に「東野圭吾公式ガイドブック」という本が文藝春秋より刊行された。来月刊行予定の「マスカレード・ホテル」を含む、全76作品が紹介された内容で、太っ腹な事に無料頒布

 

東野作品は全て読破しているが、著者による自作解説付きの「東野圭吾公式ガイドブック」で全作品を振り返ると、其の“守備範囲の広さ”を改めて感じてしまう。「類い稀なる才能だけで、様々なスタイルの小説を書き上げて来た。」というイメージが彼には在ったけれど、未知なる分野へ積極的に足を踏み入れ、知識を貪欲に取り入れる事で、守備範囲を広げて来た。」という事実を知り、「天才も、努力してるんだなあ。」と感服

 

初期の東野作品には「浪花少年探偵団シリーズ」の様な牧歌的作品や、「放課後」の様な若者の学生生活を描いた作品が在ったりするのだけれど、彼曰く「自分自身が年齢を重ねた事で、今ではそういった作風の小説を書くのは難しい。」との事。「色々な経験を積み重ねた事で、嘗ての作風はもう生み出せない。」というのは判る気がする。例えば「今時の学生」を描こうと思っても、どうしても「自分が若かりし頃の学生の姿」が記述に反映されてしまいそうだし。

 

「弟を大学に進学させたいがに強盗殺人を犯し、刑務所に入る事となった兄。」と、「『強盗殺人犯の弟』というレッテルを貼られ、社会から迫害されて行く中で、大好きだった兄を疎ましく感じる様になってしまった弟。」を描いた小説「手紙」は、何度読んでも滂沱してしまう作品なのだが、此の小説を読んだ死刑囚から貴方は何故、私達の気持ちがこんなにも良く判るのだ?貴方にも殺人者の素養が在るとしか思えない。という褒められているのか何なのか良く判らない手紙が東野氏の元に届き、「一寸ショックだった。」と振り返っている記述には、思わず爆笑。

 

「『此れは売れるだろう。』と自信満々で書いた作品が、実際には全く売れなかった。」という事が、過去に結構在ったそうだ。逆に「此の作品が売れるとは予想外。」というケースも、(では在る様だが)在ったとも。「自分が書きたい事」と「他者が読みたい事」が必ずしも一致しないというのは、自分も当ブログを運営して行く中で良く感じる。乗り乗りで書いた記事」に全く反応が無かった時には正直ガクッとしまうし、逆に「深く考えないでサラッと書いた記事」に意外な程反応を戴くと、「何でだろ?」と不思議に思ってしまうし。


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2 コメント

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そういうものなんでしょうね (悠々遊)
2011-08-28 11:42:57
一卵性双生児だって成長するにつれ、考え方に相違が出てくるといいます。ましてや・・・いろんな人がいていろんな考えを持っているんだから、意外な反応が出てくるのも当たり前で、だから世の中面白いんでしょうね。

giants-55さんが繰り返し書いておられるように、他者の意見を一切認めない狭量な「教条主義者」が異端なのは、だから当然といえば当然。
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>悠々遊様 (giants-55)
2011-08-28 15:02:12
書き込み有り難う御座いました。今回は此方にレスを付けさせて貰います。


「パチンコは球が出たり出なかったりするからこそ面白いので在って、球が全く出なかったり、逆に出っ放しで在ったりすると、『面白くないや。』と飽きてしまう。」って言いますよね。外れが在れば、当たりも在る。予想不可だからこそ面白いと言え、其れは自分が書いた記事に対する反応も同様。
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