韓流コンテンツを強く推すテレビ局を批判し、所属事務所を退社する事になった俳優の高岡蒼甫さんが2011年7月29日、個人ブログを開設し、自身の此れ迄の俳優人生や、騒動の経緯を説明した。
高岡さんは2011年7月28日、ツイッターに「スターダストプロモーションから自分は離れる事になりました。一つの呟きからの大きな波紋により、事務所の関係各位には御迷惑を御掛けしました。当然の結果だと思っております。」と投稿。経緯を聞かれ、「自分からは切り出してはいません。けれど覚悟が在り発信した事です。」とし、事実上の解雇だった事を示唆した。
高岡さんの以前の公式ブログは29日迄に消滅したが、29日夕方、ツイッターに「ブログ更新しました。」と報告。新たに、個人で開設したと見られるブログを紹介した。タイトルは「高岡蒼甫 本人ブログ」。29日の記事は「事実に基づく真相」という物で、今回の騒動の経緯を書いている。
2005年に公開された映画「パッチギ!」のキャンペーンで韓国に行った際、韓国メディアの取材で自分の言った事とは違う文章が掲載され、日本のマスコミやネットから「反日思想」のレッテルを貼られた。
其の後、妻・宮崎あおいさんと結婚した際も、「反日」からの流れで再び叩かれ、「完全にマスコミ嫌い。」になっていたと言う。「マスコミ等全員くたばれと心底思っていた。」と迄書いている。
「パッチギ!」の撮影終了後に、仕事関係の悩み等から自殺を図り精神病院に通っていた事も在ると書いているが、本当の自分が理解されない事から「鬱状態も再発。」。病気が中々治らず、「生きた心地がせず毎日に疲れ果てていた日々。」が何年も続いていたと言う。
俳優業を辞めようと思っていたが、2011年に三島由紀夫の「金閣寺」の舞台に出演。其処で与えられた「前向きな役」に自分がリンクし始め、地方巡業を続ける内に気付いたら「安定剤の存在も忘れる位、しっかり立ってる自分が居た。」。「此れでもう大丈夫。芝居が楽しい。」と迄思えたと言う。
其の矢先に東日本大震災が起きた。「今度は自分が前向きにさせる番だ。」と思ったが、「国民に伝わらない情報が多過ぎたり、的外れな外国のドラマ、朝のニュースでは偏った報道。此の国を心底疑った。」。今回のテレビ局批判も其の流れだとし、「好い加減我慢が出来ない所迄来ていた。溜まっていた物がどんどん噴出した。」と書いている。
「此の国の一大事な時にどさくさ紛れに、欺いて偏りを見せてる今の体制が凄く気持ちが悪いと思った。誤解を与えてしまった皆さんには申し訳無いと思いますが、どうか今回の事は御理解して戴けたら嬉しいです。決して自分は韓国に対する批判はしてはいない。日本を引っ張っていってる人間達に対する抗議の意味だと理解をして欲しいです。此の儘じゃあ此の国は駄目になる。」。
コメント欄には「応援しています!」「大丈夫、貴方と同じ思いの人間は沢山居ます。」といったコメントが1時間程で500件以上寄せられている。
*************************************
韓国メディアの報道により、高岡氏に対して「反日」だ「売国奴」だというバッシングがネット上等で執拗に行われていたのは知っている。「彼が話した“とされる”内容には様々な意見が在るとは思うけれど、其れにしてもこんなに執拗に叩かれるべき事なのだろうか?高岡氏が気の毒だなあ。」と自分は“基本的に”思っていたが、唯、「売り言葉に買い言葉」という面は在るにせよ、高岡氏の“上から抑え付ける様な物言い”には「幼いなあ。」と感じたし、人間関係を含めて「李下に冠を正さず」が守れていない様な彼の振る舞いが、火に油を注いでしまった面も在る様にも、“同時に”感じていた。
以前にも書いたけれど、「海外に比べて日本の場合は、所謂「有名人」が政治的な発言を概して行わない。“真っ当な事で在れば”、日本の有名人はもっと政治的な発言をしても良いと思うし、其れを封じ込める様な風潮が在ってはいけない。」思っている。だから先日「原子力撤廃」を口にした山本太郎氏や今回の高岡氏に付いて、「自身が思う所を、きちんと主張した。」という面では評価したい。
韓流で在れ何で在れ、違法行為で無い限り、又、他者に迷惑を掛けない限り、何を好もうが、其れは個人の自由だ。そして同時に何を嫌おうが、其れも個人の自由。個人的には韓流に対して何の興味も無いけれど、一方向にどっと流れる風潮は好きじゃないし、韓流なら何でも良い的な人達には、「何だかなあ・・・。」という思いは正直在る。「一寸前迄は『ヨン様~!』と言っていた連中が、今じゃ『グンちゃ~ん!』かい。」と嫌味を言いたくもなるが、まあ何を好きになろうが個人の自由だからどうでも良い。
1つのパターンが当たると、其れと同じ事許りを取り上げるのが、日本のマスメディアの悪い点。イケメンを勢揃いさせたドラマが高い視聴率を稼いだと思ったら、今夏はイケメンを勢揃いさせたドラマが目立つ。「『一山幾ら』といった感じの寄せ集め状態」と言ってしまうと(出演者の)ファンの方には怒られてしまうだろうが、「柳の下に何時も泥鰌は居ない」の諺通り、件のドラマは揃って低視聴率に喘いでいるとか。視聴者を侮ってはいけない。
高岡氏が噛み付いたTV局はフジテレビで、確かに韓国関係の放送は目立つ。(ワイドショーやバラエティー番組のみならず、ニュース番組でも自局が噛んだイヴェントの宣伝を平然と垂れ流しているTV局には憤りを覚えている。タレントの個人的な宣伝もそうだが、公共の電波を余りに私的に用い過ぎていると思うから。特に「面白ければ何でも在り。」的なフジテレビは特に其の傾向が強く、そういった点では嫌いな局なのだけれど。)自分も「フジテレビの韓国関係の放送、一寸度が過ぎてるんじゃないの?」という思いは在ったので、高岡氏がツイッターで書いていた「フジテレビは韓国ネタに偏重し過ぎている。」という“趣旨”の意見には同意出来る。
又、過去に「自分達の事は棚に上げて、本当に良く言うよ」や「余り大きく取り上げられていない気がするけれど、非常に大きな問題だと思う」等の記事でも指摘した様に、マスメディアによる「捏造」や「世論誘導」には警戒しないといけないと思っているので(韓国マスメディアが高岡氏の発言を捏造したのかどうかに付いては、彼自身の主張を其の儘鵜呑みにするのもどうかとも思っているけれど。)、「偏った報道」への高岡氏の批判も同感だ。
唯、彼の発言に気になる点が在るのも事実。ツイッターで「正直、御世話になった事も多々在るけど、8は今マジで見ない。韓国のTV局かと思う事もしばしば。しーばしーば。うち等日本人は、日本の伝統番組求めてますけど。取り敢えず韓国ネタ出て来たら消してます。」と彼は記していたけれど、彼の言う「日本の伝統番組」って一体何なんだろうか?「日本独自の番組=海外ネタが一切登場しない番組」という考え“としたら”、其れは其れで余りに狭量。(内輪ネタ許りの“国産”ヴァラエティー番組や、似た様な内容の“国産”ドラマを垂れ流すよりは、見応えが在るので在れば、“海外産”の番組の方が自分は良い。)
前に「日本人ならば落語や浄瑠璃、柔道等を愛して当然だ。此れ等を愛さなかったり、興味が無かったりという人間は日本人じゃない。売国奴だ!」といった思考が露骨に垣間見える個人サイトに出くわした。「だから私は、落語や浄瑠璃をしばしば見に行っている。」とアピールしている様なマスターベーション的記事には苦笑してしまったが、こういう「1つの価値観を他者にも強要する。」というのは、非常に気持ちが悪い。同じ日本人だって、様々な趣味や嗜好が在って当然ではないのか?
上記した様に、高岡氏が「自身の思う所を、きちんと主張した。」という点に関しては評価している。但し内容に関しては、(上記した様に)全部同意している訳では無い。抑「相手が誰で在れ、其の主張を100%支持する。」なんていうのは不自然だろう。「同意出来る部分も在れば、同意出来ない部分も在る。」というのが普通で、「盲目的に全て賛成。」なんていうのは「恋は盲目」と同じ世界だ。だから今回の高岡氏の発言を必要以上に持ち上げている人達には、違和感を覚えてしまう。
“純粋な気持ち”から、彼の発言を支持している人も多いとは思う。だがネット上の書き込みを見ていると、「彼の発言を恣意的に利用しようとしている。」人も同時に目立つ。高岡氏が態々「決して自分は韓国に対する批判はしていない。」と書いているにも拘らず、自身の「嫌韓意識」を正当化する為に利用したり、自身の「余りに偏った愛国心の押し付け」(過去にも何度か書いているが、「愛国心」というのは他者から押し付けられるべき物では無い。抑誰しも自国に対する愛情は持っていると思うし、其の愛し方の形は1つだけなんて在り得ないのだ。)の正当化に利用したりしているのは、実に気持ちが悪い。自身がどんな主張をしようが全くの自由だけれど、他者の主張を捻じ曲げて、自身の主張の正当化に用いるというので在れば、其れは高岡氏が嫌う所の「どさくさに紛れて、偏りを見せる。」のと同じではないか?
全部が全部な訳では勿論無いけれど、今回の発言で高岡氏を「神格視」している人達の中には、嘗て高岡氏を「反日」だ「売国奴」だと執拗にバッシングしていた者も少なくないのではないだろうか。もしそうならば、余りの手の平返しと言える。正論と思われる部分に関して高岡氏を応援したいが、一方で「妙な思惑を持つ連中の神輿に、彼が乗せられなければ良いが。」という懸念も在る。*1
*1 誤解されると嫌なので追記するが、自分は「韓流ネタを垂れ流す事自体に反対している訳では無く、報道で在れドラマで在れ何で在れ、一つの事許りを垂れ流す事に違和感を覚えており、又、『明々白々な捏造』や『意図的な世論誘導』をマスメディアが行う事に反対している。」ので在る。
実はこの騒動には違和感を感じています。
なんとなくこの高岡君、周りに影響されやすい人なのではと。何年か前の発言はあの井筒の親父の影響が強かった頃だし、今回は三島&がんばろう日本ムード。見た目に反してメンタルの非常に弱い人なのかなあと思っていたら、案の定ご自身でいろいろ吐露されてますよね。
でもまあ彼の表現はともかく、韓流ばかりの昨今のテレビへの反感には同意。昼ドラ、時代劇等の削減で作り手、俳優は彼のような表現はしないけど、危機感、焦燥感を感じているのは間違いないと思います。
記事でも記しました様に、気になる点は幾つか在るものの、高岡氏の発言を読むと「彼なりに良く考えた上での発言」だったとは思います。唯、其の内容にブレを感じない事も無く、彼の中でも「色んな葛藤」が在る様に感じました。
「メンタルの弱さ」というのは誰しも大なり小なり在るものですが、彼の場合は其れがやや大きいのかもしれません。其れなりに真面目さを有した人の様にも感じますので、妙な思惑を持った人達の神輿に乗せられてしまうのではないかという危うさを感じたりも。主張に同意出来る点も在るだけに、変な方向に進まされなければ良いのですが・・・。
不景気風はTV局にも及び、何処の制作現場もコストカットの嵐に見舞われていると聞きます。人件費削減が最も手っ取り早い方法故、出演させる有名人の数も減っているのでしょうし、ドラマでも俳優は活躍の場を減らさせて来ているのは想像に難くありません。「『閉塞感』が満ちると、『仮想敵』を作り上げて『ガス抜き』を図る。」というのは古今東西良く見られた事。今回の彼の主張が、そういった方向に悪用される事を懸念しています。
今後とも何卒宜しく御願い致します。
少なくとも私は「24」や「ER」について、なぜ日本でつくった番組を放送しないのか!と「愛国的」になった人を今まで見たことがありません。
韓国人のアイドルを、言葉もあろうに「チョウセンヒトモドキのメス」と表現するような人が少しも珍しくないのが日本のネット社会であり、そして高岡氏の口吻には、そういう人達から決して遠くないものを感じてしまうのです。
……そもそも、よりにもよってフジサンケイグループに「反日」に類するレッテルを貼るあたり、おいおいと思ってしまうわけですが。
返信を拝読して思い出しましたが、私の中学の一級上に俳優になった方がいました。東映専属でしたが、時代劇の削減、Vシネマも予算が減らされ、今は舞台中心だそうです。その舞台も…、ということでアルバイトをしているという噂も聞きました。
山本さんに関してはどうなんでしょう。共産党シンパの俳優さんは結構います。吉永小百合さん、栗原小巻さん等々。でも山本さんのグループはたぶん反共産党系(社民、革マル他ごった煮)だろうか?共産党系が前進座とか俳優座持ってて案外とネットワーク豊富なのに対してこっちは原発反対運動、反核運動ぐらいしかつぶしきかないなあと思いました。(1980年代前半に京都の大学卒業した私には反核運動の派閥争いは強烈というイメージが。)
もっとつぶしきかないのが高岡さん。反韓運動、ネットでは盛んかもしれないが、実社会では、うーんどうなんだろう?右翼にはいるしかないのかな?この辺は私もサッパリ。へんなのにかつがれてかわいい奥さん泣かせないでほしいです。それが一番大事。
色々付加してはいるけれど、抑高岡氏が腹に据えかねていたのは「1つのコンテンツ許りを、公共の電波で執拗に放送している。」事だった筈。「内輪ネタを暴露するだけのヴァラエティー番組」や「同じ様な類いのドラマ」を垂れ流している日本のTV局には自分もウンザリしているし、其の意味では高岡氏の主張も判らなくは無かった。
しかし「アメリカ文化の影響を色濃く受けたコンテンツ」が此れでもかと言わん許りに放送されていた時代が在ったというのに、其の時には特に問題視されなかったのに、「韓国のコンテンツ」がとなると「許せん!」となるのは、「判断基準が一定じゃないなあ。」と思ってしまう。人間誰しも好き嫌いは在るし、例えば「無条件で韓国が嫌い。」という人が居ても、其れは其れで個人の自由。「自分は嫌韓派だから、韓国のコンテンツ許り垂れ流しているフジテレビを批判した高岡氏を応援する。」というのならば、其れは主張として尊重するけれど、高岡氏が態々(本当の気持ちかどうかは別にして)「決して自分は韓国に対する批判はしてはいない。」と書いているのに、然も「1つのコンテンツ許りを、公共の電波で執拗に放送しているのが自分はおかしいと思う。」という“隠れ蓑”を用意して、結果的に韓国叩きに利用している連中が居るので在れば、其れはフェアでは無い。
「フジテレビの番組のスポンサーに抗議の電話やメールをしよう!」とネット上で呼び掛けている連中が居る様ですが、こんなのは単なる嫌がらせに過ぎない。当人たちは「ジャスミン革命」の様な物を気取っているのかもしれないけれど、全然本質が違う。「韓国が気に入らない。→韓国のコンテンツを放送し捲っているフジテレビが許せない。→フジテレビの番組のスポンサーになっている企業に嫌がらせをしても構わない。」となれば、其の先には「フジテレビの番組のスポンサーになっている企業の社員や家族にも嫌がらせして構わない。」という事も正当化されてしまう怖さが。個人個人が自分の頭で良く良く考えた上で、真っ当な方法で抗議や批判するのは否定しないけれど、「面白そうだから皆で叩け!」というのは、非常に危うい事。
フジサンケイグループと言えば、其の歴史を振り返っても「超保守」というイメージが強かった筈なのに、其の1社で在るフジテレビが「反日」のレッテルを貼られるというのは、自分も思わず苦笑してしまいました。テレビ朝日とか朝日新聞がそう捉えられるのは、良く在る事だけれど。
片山さつき議員が自身のツイッターで、今回の件に下記呟きを。
*********************
高岡氏からDMを二度頂き、彼の俳優としての才能が今後も生かされるように配慮しつつ、皆さんと問題を一つずつ掘り下げていきたいと思います。早速色々過去の事で中傷する動きがあるようですが、ツィッターでは、彼が提起し皆さんが共有する危機感に焦点を当て、攪乱勢力を排して行きましょう!
*********************
「『攪乱勢力』って何時の時代の話だよ。」と思わず爆笑。仙谷由人議員が自衛隊を(政治用語でも在る)『暴力装置』と称した際にも同じ事を思ったけれど、片山議員も「安保闘争の時代」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E4%BF%9D%E9%97%98%E4%BA%89)で時間が止まった儘なのではないかと。
其れにしても「高岡氏が何故、片山議員にDMを?」という疑問。記事でも書いたけれど、話がおかしな方向に動き出したなあという気がしています。記事では太文字で表記し乍らも、敢えて其の部分には特記しなかったのだけれど、高岡氏の言う「此の国の一大事な時にどさくさ紛れに、欺いて偏りを見せてる今の体制が凄く気持ちが悪いと思った。」の「今の体制」というのが「マスメディア」を指しているのだ“としたら”、そういうおかしなマスメディアは自民党政権時代から存在(増殖)していた訳で、其れを「今の政権与党」と結び付けたがっているかの様にも取れる片山氏の呟きは、良い所取り(彼女の十八番では在るけれど。)という感じがします。
高岡氏は純粋な気持ちで、今回の発言をしたと信じたい。そうれ在れば、彼を妙な方向で利用しようとする輩は、例えどういう方向性の者(組織)で在れ許し難い。又、万が一高岡氏が“特定の組織”や“特定の人物”との間に“何等かの約束事”が出来上がっていたとしたら、自分は彼を応援しない。(抑、記事でも書いた様に、自分は彼の主張の全てを支持している訳では無い。「自身が思う所を、きちんと主張した。」という面では評価しているだけの事。)
マスメディアによる捏造や恣意的な世論誘導は絶対に許せないけれど、だからと言って「妙な政治介入」や「方向違いの嫌がらせ」が許される訳では当然無い。
良い悪いは別にして、数年程前から役者がヴァラエティー番組に出演する事が多くなりました。「役者業だけでは食えない。」という事情が在るのだろうし、実際にそういった事を口にされた役者も居ました。重鎮と呼ばれるクラスの役者ですらそんな状態なのですから、他の役者の状況は想像に難くない。
AK様は御存知無い世代と推測しますが、藤正樹氏(http://www.geocities.jp/new_life_kikaku_1949/page007.html)という歌手が居られます。嘗ては「演歌の怪物ハイセイコー」とも呼ばれた大型新人でしたが、先日、某夕刊紙に彼の近況が載っていました。当人曰く「不景気で地方営業が減った上、今年は大震災の影響で仕事が激減している。」との事。何処の世界も厳しいのですね。だからこそ「『閉塞感』が満ちると、『仮想敵』を作り上げて『ガス抜き』を図る。」という風潮が強くなって来る。此れは日本だけの話では在りませんが。
上で青空百景様宛てのレスでも書かせて貰ったのですが、今回の騒動は何とも妙な方向に動き始めた様な感じがしています。最初から仕組まれた物なのか?其れとも高岡氏の純粋な訴えを、悪用しようとしている連中が蠢き出したのか?何とも言えませんが、妙な政治利用や筋違いの嫌がらせは肯定されるべき物では無いでしょう。
先の震災で一般放送がすべてストップしたあとに
こちらで一番最初に放送再開されたのが韓国のドラマでした(日本テレビ系列ですが)。
この時間の枠自体もう韓国が権利を持ってるんだと、
そのとき初めて強い違和感を感じました。
アメリカのドラマだったらこうは言わないだろうに、というご意見を拝見しましたが
アメリカのドラマは異文化そのもので日本人が憧れる理由があったけど
今放送されてる韓国のドラマには特段それを感じないのがけっこう大きな理由ではないでしょうか?
韓流ドラマを好きな人からよく見聞きする理由が「懐かしい、
日本の昔のドラマみたいで好き」なんですが、だったら日本の
ドラマでもいいんじゃないの、という流れは特に変とも思わないです。
ご意見に異を唱えたいわけではなく、関東にお住まいのgiants-55様も
コメント欄の皆様も含めて
”キー局が「反日」だという異常事態は起こっていない”という
ご認識だと思って安心したいのですが大丈夫でしょうか。
地方にいるとけっこう不安になります。
今回の高岡さんの件は、地デジ化で改めてちゃんと見たBSが
ほぼ全局韓国ドラマを放送しているというタイミングに煽られたのも悪かったかもしれません。
いかにも年寄り受けする歌手で、我々子供は身持ち悪いと思っていました。大嫌いだったのですが、いつのまにかいなくなって、忘れた頃に不祥事が報じられたと記憶しています。
今は大人ですので、「芸能事務所の売り方でああいうヘンチクリンなことをさせられていただけ」と分かるので不憫です。
片山さつきは同じ歳です。
我々の大学時代はまだ大学闘争の気分が残っていた時代です。と、そして新左翼の時代です。だから彼女のような人でもこんな言葉を使っていたのだな、と苦笑してしまいました。
しかし彼女は重症のネット中毒ですね。ネットから少しでも離れればこの高岡君が相当病んでいる子で神輿にしてはいけない子、治療に専念させるべきとわかりそうなものだが。
仮に私見に対して異論や反論で在っても、全く構いませんし、寧ろ私見と異なる見方を頂戴した方が、「こういう考え方も在るのだなあ。」と考え直す切っ掛けになったりする事も多々在りますので、全く御気になさらないで下さい。
例えば今回の件でネット上に書き込みをした場合、高岡氏の意見に少しでも疑問を呈したら、やれ「御前は在日だ!」とか「反日分子だ!」と、逆に彼の意見に少しでも賛意を示すと、やれ「極右だ!」等と其れ“だけ”で決め付ける“アレ”な人が少なくないのは本当に残念な事。ですからなみ様の如く、実に冷静に理路整然と述べられた御意見には、正直ホッと致します。
震災後、放送再開した初っ端が韓流ドラマでしたか。其れは違和感を覚える事でしょうね。韓流ドラマがどうこうと言うのでは無く、「もっと他に伝えるべき物が在るのでは?」という意味に於いても。
記事でも書いたのですが、自分は「一つの方向だけにワッと流れてしまう風潮」というのに危うさを感じているし、同じ様なコンテンツ許りが垂れ流されているTV局というのもどうかと思っています。ですから「身内ネタ暴露許りのヴァラエティー番組」や「安直な作りのドラマ」は見ない。地上波の番組を見る機会が減り、BSやCSで昔のドラマ等を見る機会が増えた。唯、地方ですとデジタル化された今でも都市部に比べると視聴出来る局数は少ないのかもしれませんし(此の点に関しては、申し訳無いのですが良く事情が判りません。)、そうなると「余計に特定のコンテンツ許りが放送されている。」と感じられ、不安を覚える方も居られるかもしれませんね。
高岡氏の主張を批判する中に、「TV局だって利益を追求しなければいけないし、安価で視聴率が稼げる韓流ドラマを放送するのは当然。」という意見を書かれている方(マスメディアに従事されている方だったと思います。)が居られました。此の意見は一見正しそうで、おかしな点も在る。民間放送局は私企業で在る一方、「公共の電波」を用いている特殊な存在でも在るのですから、「利益追求は当然。」と開き直られるのも違うと思うからです。
又、高岡氏の主張に賛意を示されている方の中に、御笑いタレントのふかわりょう氏が居られます。彼もなみ様と同様、実に冷静に、言葉を慎重に選ばれた上で賛意を示す理由を述べられており、非常に好感を覚えました。書かれている内容にも同意出来る部分“も”在りました。けれど「真実かどうかは判らないけれど」という但し書きの元に構築されている論理が幾つか見受けられ、「不確かな情報を元にして、こういう問題を語る事への疑問。」を感じたのも事実。又、彼が主張する「公共の電波を用いて私腹を肥やす様な事は違反だと思うんですね。例えば自分の曲を毎回フルコーラスでかけてますが、其れとどう違うのかと。其れは単純に量の問題だと思うんですよ。日本はそういったブレーキを掛ける機関が働いていないんです。矢張り、テレビは時代を映す物では無いなと思った。完全に終わったなと思いました。」という意見は自分と近い物なのだけれど、「公共の電波で自身に関する舞台や本の宣伝をするという行為は、其の多寡に限らず問題ではないか?」という点に於いて、ふかわ氏の意見には疑問を感じている。「多ければ問題で、少なければ問題では無い。」というので在れば、其れは単なる「自己弁護に過ぎない。」(ふかわ氏自身も、TV番組で“自己宣伝”を何度か行っていますし。)と思う訳です。
どういう方向性の意見で在れ、「判断基準が全く変わらない。」ので在れば、其れは尊重出来る。でも「好きな対象や自分が所属している組織等に対する好意的な意見は全て正しいけれど、少しでも否定的な部分を感じる意見は全て許さない!」という強圧的な考え(当然乍ら、なみ様の御意見は全く当該しませんから誤解無き様に。)に関しては、自分は全くシンパシーを感じ得ない。
ネット上では自分と少しでも異なる意見を持つ者に対し、差別的な決め付けを行うアレな人達が少なからず見受けられ、寒々しい思いをする事が多いのですが、当ブログに書き込みをして下さる方は、私見に対して賛成で在っても反対で在っても、冷静且つ理路整然と記して下さる方許りなので非常に有り難く思っております。
AK様は藤正樹氏を御存知でしたか。失礼致しました。彼の学生服姿は、子供心にインパクトを感じました。長じるに従って、あざとさを感じなくもなかったけれど、良い声をされた方でした。
片山女史に限らず、又与野党を問わず、「ヴァーチャルな世界で遊んでいるかの様な言動をする政治家が少なくないのは、非常に懸念を覚える。」所です。まるでゲームでもしているかの様に、「敵だ!」とか「追い詰めろ!」と許り騒ぎ&煽っている人達に、果たして此の国の命運を託して大丈夫なのかと思ってしまう。
片山女史のツイッターは、今回の件で初めて覗いただけですので、彼女が他にどんな事を呟いているのかは知らないのですが、彼女は山本太郎氏に関してはどういうスタンスを取っているのでしょうね。「自身の主張をきちんと訴えた結果、様々な方面から圧力を掛けられ、芸能界から干されそうになっている。」という点では、山本氏も高岡氏も変わらない筈。利用価値が在れば擁護し、利用価値が無ければ一顧だにしないというので“在れば”(前記した様に、片山女史の発言を全て見聞している訳では在りませんので、もしかしたら山本氏に対して擁護されているのかもしれませんが。)、其れはどうかと思う訳です。何しろ此れ迄「明々白々な誤りに対して、実に幼稚な言い訳で逃げる。」とか「自分の手柄は自分の物。他人の手柄も自分の物。」といった事を平気でして来た彼女故、“人として”信を置く事が出来なくて。