此方の情報によると、「東京都の降雪量ワースト3」は次の通り。
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「東京都の降雪量ワースト3」
1位: 46cm(1883年2月8日)
2位: 38cm(1945年2月22日)
3位: 36cm(1936年2月23日)
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1位の「東京都(当時は「東京市」。)で、46cmも雪が降った。」なんて、今じゃあ考えられない事。「1883年」と言えば「明治16年」で、鹿鳴館が落成したり、オリエント急行が開通したりした年。今から丁度140年前と、大昔といった感じだ。
2位の「1945年」は「昭和20年」で、日本にとって最も大きな出来事は「日本が敗戦を迎えた。」という事だろう。
そして、3位の「1936年」は「昭和11年」で、東京都(当時は「東京市」。)に36cmもの雪が降った3日後、即ち「昭和11年2月26日」は、日本を軍国主義に走らせる切っ掛けとなった「二・二六事件」が発生。此のクーデター未遂事件が世間を震撼させた事は、想像するに難く無い
「二・二六事件」発生から約3ヶ月後の「昭和11年5月18日」、同じ東京都(当時は「東京市」。)で猟奇的な事件が発生し、矢張り世間を震撼させた。所謂「阿部定事件」だ。余りにも有名な事件なので御存知の方も多かろうが、先ずはリンク先で詳細を確認して欲しい。
端的に纏めると、「当時30歳の女性・阿部定が、愛人の石田吉蔵を性交中に扼殺し、男性器を切り取った。」という事件だ。犯行から2日後の「5月20日」、逃亡していた定は逮捕されたが、切り取った男性器は所持していたし、逮捕されて以降も男性器の所在を確認する等、非常に執着していたそうだ。
彼女の生い立ちを考えると、同情してしまう面が無い訳では無いけれど、だからと言って殺人及び死体損壊という行為が許される筈も無い。結局、「懲役6年」の判決が下され、彼女は服役するも、「紀元二千六百年」の恩赦にて「1941年5月17日」に出所。犯行内容を考えると、「約4年4ヶ月」の服役というのは短過ぎる気もする。
で、今回、「阿部定事件」を取り上げたのは、23日にBS-TBSで放送された番組「にっぽん!歴史鑑定」が、阿部定事件の特集だったから。此の猟奇的な事件に関して、個人的に関心が在るので、過去に様々な書物類を読み漁って来た。なので、目新しい話はそんなに無かったのだが、“今も一緒な事”と“今じゃあ考えられない事”を改めて感じた。
服役中の定には、1万通を超える“ラヴ・レター”が届いたと言う。「世間を震撼させる事件の加害者に対し、こういう“ラヴ・レター”がどっと届く。」というのは、“今も一緒な事”と言えるだろう。個人的には、全く理解出来ないけれど。
上の写真は非常に有名で、「逮捕された定が、報道陣の前に現れた時。」の物。言う迄も無いが、真ん中の女性が定だ。何故、此の写真が有名かと言えば、周りを取り囲む刑事達もだが、皆が笑顔を浮かべている事。あんなにも猟奇的な事件なのに、報道陣の前で皆が笑顔を浮かべているというのは、全く理解出来ない。特に加害者の定の妖艶な笑顔は、残忍な犯行を考えると違和感を覚える。
「報道陣の前に現れた際、定が笑顔で『良い女に写してね。』と言った事から、報道陣や刑事達がどっと笑った。」という話も在るが、番組の中では「当時、逮捕された加害者が現れると、取材陣の間から『笑って!』という依頼がされる事も在った様だ。」と説明。「取材陣に笑顔を浮かべる加害者及び刑事達。」なんて、今じゃあ批判が殺到する事だろう。又、「現れた加害者に対し、『笑って!』と依頼する報道陣。」というのも、同様に批判が殺到するのは想像するに難く無い。何方にしても、“今じゃあ考えられない事”だ。