先日、「インターネットが当たり前の時代だからこそ(上)&(下)」という記事の中で、「インターネットが当たり前の時代になった事で、一般人が自身のブログにチラッと記した情報ですら、あっと言う間にそれが幅広く拡散して行く凄さ。」を書いた。昔ならば極秘撮影の現場情報なぞは、それを一般人が見掛けたとしてもせいぜい知り合い数人に話し、それが少しずつ口コミで広がって行く程度。今はブログにアップする事で、あっと言う間に多くの人間が知る事になる時代。そして又、新たな目撃情報がブログに記された事で、「ウルトラ・シリーズの新作映画にヒビノ・ミライ(五十嵐隼士氏)が出演、即ちウルトラマンメビウスも登場するらしい・・・という嬉しいニュース。」が公式発表前にゲット出来る訳だ。益々、この作品の公開が待ち遠しくなった。
閑話休題。
先だって米誌「フォーブス」が中国一の大富豪を発表した。アメリカ等ならいざ知らず、中国で約162億ドル(約1兆9千億円)もの資産を”個人が”所有しているという事実も然る事乍ら、この人物が26歳の女性というのも驚きだった。不動産会社を営む父親から譲渡された株式が資産の大部分という事だったが、その他の詳細は新聞報道等では触れられていなかった。
「AERA(10月22日号)」に「『富豪娘』育てた貧乏父」という記事が載っており、この中で中国一の大富豪こと楊恵妍(ヤン・ホイイエン)さんに付いて詳しく触れられている。人様の懐具合をあれこれ言うのは下種な事と判ってはいるが、それでも「これだけの資産を持った大富豪ってどんな人なんだろうか?」という興味は湧いてしまうもの。
彼女の父・楊国強(ヤン・クオチアン)氏は現在50代前半で、「碧桂園」なる不動産会社の会長を務めている。この会社は1990年代に創業されたのだが、創業当初は4千棟建てた別荘が僅か3棟しか売れないといった苦境を経験しているのだとか。いや苦境は創業してから始まったのでは無く、彼のそれ迄の生い立ちそのものが苦境の日々と言って良いだろう。広東省の農家に生まれた彼は、18歳になる迄新調の服を着た事が無かったし、自身の長女が高熱を出した際にも医者に診せる金が無く、結局その長女は知的障害になってしまったそうだ。牛飼いや大工等を経て、1980年代に建築業を営む様になり、そして上記した様に1990年代に不動産業を始める。会社はなかなか軌道に乗らず、資金繰りは悪化する一方。そこで彼が行ったのは学校を作り、卒業後の返金を約束して学生から「教育予備金」の名目で1人30万元(約400万円)を集め、それを資金として運用する事。
やがて改革開放の波が、彼を大富豪の座へと押し上げて行く。前代未聞の不動産ブームが訪れたのだ。「荒れ地や農地を安く買い入れ、其処に富裕層向けの高級住宅団地を造成する。」というのが彼の手法。2001年には発売当日に「1分間で1棟、1日の売り上げ高7.5億元(約100億円)。」という”神話”を作り上げ、業界では「野菜の様に住宅を売り捌く男」という渾名が付けられたそうな。
2007年4月、碧桂園は香港市場に上場を果たす。同社役員の肩書きを持ち、2005年に同社株の60%を譲渡された娘の恵妍さんは、株価の上昇と共にその資産を膨らませて行く事になった。
2007年4月の時点で同社が所有する開発用地は1,330平方メートル。これは何と東京ドーム約278個分に相当するそうだが、上場で得た資金で更に500万平方メートルを取得する計画だというのだから、「金が在る所には、益々金が転がり込んで来るもの。」というのは本当なんだなあと思ってしまう。
国強氏には3人の娘が居るが、同社に関わらせているのは次女の恵妍さんだけではないかと言われている。10歳の時に会社の重要な会議に出席させられたり、アメリカのオハイオ州立大学でマーケティング等を学んだ後は、23歳の若さでアシスタントを務めさせられて来た彼女。その有能さを評価した父が、自らの後継者とすべく帝王学を身に付けさせているという感じか。父親似の倹約家振りを見せる彼女は、既に某省高官の息子と「大富豪にしては地味な結婚」をしているそうだ。
中国株の情報誌「ベンチャーインテリジェンス」の田口哲也編集室次長は同社に付いて「極めて優良な会社。」とした上で、中国の現状に付いて「引き締め政策にも拘わらず不動産バブルは続いており、大手程有利な状況だ。楊さんの他にも不動産開発を手掛けて富豪になるケースが増えており、今回のフォーブスの長者番付でも40人中半数以上が不動産開発業者だった。」と述べている。
「地方に行けば、原始時代の様な生活環境で暮らしている人間も居る。」と言われる中国。その貧富の差の激しさは、日本の比では無い様だ。
閑話休題。
先だって米誌「フォーブス」が中国一の大富豪を発表した。アメリカ等ならいざ知らず、中国で約162億ドル(約1兆9千億円)もの資産を”個人が”所有しているという事実も然る事乍ら、この人物が26歳の女性というのも驚きだった。不動産会社を営む父親から譲渡された株式が資産の大部分という事だったが、その他の詳細は新聞報道等では触れられていなかった。
「AERA(10月22日号)」に「『富豪娘』育てた貧乏父」という記事が載っており、この中で中国一の大富豪こと楊恵妍(ヤン・ホイイエン)さんに付いて詳しく触れられている。人様の懐具合をあれこれ言うのは下種な事と判ってはいるが、それでも「これだけの資産を持った大富豪ってどんな人なんだろうか?」という興味は湧いてしまうもの。
彼女の父・楊国強(ヤン・クオチアン)氏は現在50代前半で、「碧桂園」なる不動産会社の会長を務めている。この会社は1990年代に創業されたのだが、創業当初は4千棟建てた別荘が僅か3棟しか売れないといった苦境を経験しているのだとか。いや苦境は創業してから始まったのでは無く、彼のそれ迄の生い立ちそのものが苦境の日々と言って良いだろう。広東省の農家に生まれた彼は、18歳になる迄新調の服を着た事が無かったし、自身の長女が高熱を出した際にも医者に診せる金が無く、結局その長女は知的障害になってしまったそうだ。牛飼いや大工等を経て、1980年代に建築業を営む様になり、そして上記した様に1990年代に不動産業を始める。会社はなかなか軌道に乗らず、資金繰りは悪化する一方。そこで彼が行ったのは学校を作り、卒業後の返金を約束して学生から「教育予備金」の名目で1人30万元(約400万円)を集め、それを資金として運用する事。
やがて改革開放の波が、彼を大富豪の座へと押し上げて行く。前代未聞の不動産ブームが訪れたのだ。「荒れ地や農地を安く買い入れ、其処に富裕層向けの高級住宅団地を造成する。」というのが彼の手法。2001年には発売当日に「1分間で1棟、1日の売り上げ高7.5億元(約100億円)。」という”神話”を作り上げ、業界では「野菜の様に住宅を売り捌く男」という渾名が付けられたそうな。
2007年4月、碧桂園は香港市場に上場を果たす。同社役員の肩書きを持ち、2005年に同社株の60%を譲渡された娘の恵妍さんは、株価の上昇と共にその資産を膨らませて行く事になった。
2007年4月の時点で同社が所有する開発用地は1,330平方メートル。これは何と東京ドーム約278個分に相当するそうだが、上場で得た資金で更に500万平方メートルを取得する計画だというのだから、「金が在る所には、益々金が転がり込んで来るもの。」というのは本当なんだなあと思ってしまう。
国強氏には3人の娘が居るが、同社に関わらせているのは次女の恵妍さんだけではないかと言われている。10歳の時に会社の重要な会議に出席させられたり、アメリカのオハイオ州立大学でマーケティング等を学んだ後は、23歳の若さでアシスタントを務めさせられて来た彼女。その有能さを評価した父が、自らの後継者とすべく帝王学を身に付けさせているという感じか。父親似の倹約家振りを見せる彼女は、既に某省高官の息子と「大富豪にしては地味な結婚」をしているそうだ。
中国株の情報誌「ベンチャーインテリジェンス」の田口哲也編集室次長は同社に付いて「極めて優良な会社。」とした上で、中国の現状に付いて「引き締め政策にも拘わらず不動産バブルは続いており、大手程有利な状況だ。楊さんの他にも不動産開発を手掛けて富豪になるケースが増えており、今回のフォーブスの長者番付でも40人中半数以上が不動産開発業者だった。」と述べている。
「地方に行けば、原始時代の様な生活環境で暮らしている人間も居る。」と言われる中国。その貧富の差の激しさは、日本の比では無い様だ。
「エリザベス・ハーレイ」という名前にピンと来なかったものですから早速検索した所(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%82%A4)、「ああ、この人かあ。」と思い出しました。大富豪との再婚というのが、嘗てはケネディー大統領の妻で在り、その死後に”海運王”のオナシス氏と再婚したジャクリーン・ケネディ・オナシスさんを彷彿とさせますね。
世の中にはセレブと称される人は数多居りますが、中には○姉妹の様にその素性が極めて怪しい人物も混じっていたりと(笑)、この世界でも玉石混淆なのでしょう。一説にはパリス・ヒルトン嬢も、巷間言われている程は御金持ちでは無いとも。とは言え、自分なぞの様な一般市民からすると、雲の上の存在な訳ですが。
確か日本でセレブ向けの雑誌が刊行されたものの、思った程売れなかったので廃刊になったという話を目にした様な・・・。我が国では海外程の大富豪は居ないという事なんでしょうかね。