旧聞に属する話題になってしまい恐縮なのだが、耐震強度偽装問題で時の人となった”オジマエモン”こと小嶋進社長が、ニュース番組の単独インタビューを受けていた時の話。この問題で自らの家庭が崩壊してしまったと涙ながらに語る彼だったのだが、突如後ろを向いて番組スタッフに次の様に声を掛けた。
「あのー済みません。一寸チリ紙を貰えますか?」
その後、彼は思いっ切り鼻をかんでいたのだが、その事はどうでも良い。録画していた訳でもなく、ボンヤリと見ていたので、もしかしたら聞き間違えかもしれないが、「チリ紙」という言葉に「エッ!?」と思ってしまった。「チリガミ」という言い方も、今や古色蒼然たるものが在るが、彼は「チリ”シ”」と言っていた。懐かしい。懐かし過ぎる。遥か遥か昔の幼少時、近所の御婆さんが「チリシ」という言葉を使っていたが、まさか今その言葉を耳にするとは。ましてや、「ヒューザー」なる今風の社名を付けた彼が、そんな言葉を使うとはかなりミスマッチな感じで笑ってしまった。
この話を当ブログに何度か登場して貰っている後輩にメールした所、「自分の母親も『チリシ』って今でも使ってますよ。年代的なものなのか、それとも土地柄なものなのかは判らないのですが・・・。それよりも、妻が未だに『(TVの)チャンネルを”廻す”』って口にする方がどうかと(笑)。」という返事が在った。あの御若い奥方が、そんなレトロな表現をしているとは、これ又ミスマッチさが面白かった。
そんな彼から新たなメールが届いた。様々な問題提起をしてくれる彼のメールだが、今回の内容も好奇心を擽られる所が在り、早速記事に使わせて戴く事とした。
新たに携帯電話を買おうかと思っている彼が思案しているのは、おサイフケータイ機能が付いた機種にすべきか否かという事。説明する迄も無いとは思うが、おサイフケータイとは「電子マネーや各種会員証、量販店のポイントカード、交通機関の乗車券、クレジットカード等々、様々な機能が付加された携帯。」の事。便利そうにも思う反面、これが果たして今のクレジットカード並みに爆発的に普及して行くのかどうなのか、それとも一部の人間にしか浸透せずに終わってしまう代物なのか、判断に迷っているという。
非常に開明的な彼なので、進化するモノを積極的に取り入れて行きたいと思うのは良く理解出来る。自分も好奇心旺盛な質故、新しいモノには興味が湧く。そんな自分だからこそ、彼と同様におサイフケータイが普及するか否かには興味が在る。
学生時代、計算機の付いた腕時計を衝動買いした。「未来の時計」*1という感じがして、これからはこの手の時計が流行るのかもしれないと思った。しかし、キーが米粒の様に小さく、押すのにボールペンの先を使わなければならない様な代物で、間も無く街角から姿を消した。ラジオとTV、そしてカセットデッキの付いた「ラテカセ」なる物も、発売間も無い頃に購入。「多機能=便利」と考えたのだが、意外と使い勝手が悪く、これ又流行らなかった。レーザーディスクプレーヤーもS-VHS規格のビデオデッキも無理して買ったが、”時代の徒花”だった。
その一方、二昔程前に仕事で訪れたシンガポールで、老若男女を問わず、歩きながら小型の携帯電話を使っている姿を目にして、「凄い国だなあ。でも、日本でこんな光景を目にする日は来ないだろう。」と思った。当時は、日本でも携帯電話の前身とも言える自動車電話が発売されてはいたが、高額な上、持ち運びに不便な大きなサイズだった。それに、公衆電話が完備された我が国では、携帯電話が普及する余地がそんなに在るとは思えなかったのだ。それが今は幼稚園児から高齢者迄普通に持っているのだから、己の先見の明の無さを恥じるばかり。
ツールやシステムが新しければ流行るというものではない。嘗て国鉄が民営化された折、国電に代わる新呼称を一般公募した。”パッとさいでりあ”のおじさん達が、斬新な呼称として選んだのはE電だったが、「絶対に普及しないだろう。」と思ったものだった。案の定に死語化した訳だが、目新しさだけでは普及に到らない典型と言ってしまうのは酷だろうか。
話をおサイフケータイに戻すが、今の所、個人的にはおサイフケータイにそれ程魅力を感じていない。セキュリティー面の問題も在るが、それ以前に、「紙幣やコインという、目に見える形での支払いをしないと不安で、且つ借金が大嫌いなので、カード払いすらも余程の事が無い限りしない人間」で在る自分には、おサイフケータイに抵抗を覚えるのも事実。
はてさて、おサイフケータイは普及して行くのだろうか?それとも、時代の徒花として終わってしまうのだろうか?
*1 多機能の腕時計に未来をイメージしてしまうのは、ジャイアントロボ等の操縦機が腕時計タイプで在った事に大きく起因している様に思う。男という動物は、何時迄経っても子供の部分を持ち合わせているという事か。だからこそ、3万円(税別)もする仮面ライダーの変身ベルトが発売される訳なのだろうが。
「あのー済みません。一寸チリ紙を貰えますか?」
その後、彼は思いっ切り鼻をかんでいたのだが、その事はどうでも良い。録画していた訳でもなく、ボンヤリと見ていたので、もしかしたら聞き間違えかもしれないが、「チリ紙」という言葉に「エッ!?」と思ってしまった。「チリガミ」という言い方も、今や古色蒼然たるものが在るが、彼は「チリ”シ”」と言っていた。懐かしい。懐かし過ぎる。遥か遥か昔の幼少時、近所の御婆さんが「チリシ」という言葉を使っていたが、まさか今その言葉を耳にするとは。ましてや、「ヒューザー」なる今風の社名を付けた彼が、そんな言葉を使うとはかなりミスマッチな感じで笑ってしまった。
この話を当ブログに何度か登場して貰っている後輩にメールした所、「自分の母親も『チリシ』って今でも使ってますよ。年代的なものなのか、それとも土地柄なものなのかは判らないのですが・・・。それよりも、妻が未だに『(TVの)チャンネルを”廻す”』って口にする方がどうかと(笑)。」という返事が在った。あの御若い奥方が、そんなレトロな表現をしているとは、これ又ミスマッチさが面白かった。
そんな彼から新たなメールが届いた。様々な問題提起をしてくれる彼のメールだが、今回の内容も好奇心を擽られる所が在り、早速記事に使わせて戴く事とした。
新たに携帯電話を買おうかと思っている彼が思案しているのは、おサイフケータイ機能が付いた機種にすべきか否かという事。説明する迄も無いとは思うが、おサイフケータイとは「電子マネーや各種会員証、量販店のポイントカード、交通機関の乗車券、クレジットカード等々、様々な機能が付加された携帯。」の事。便利そうにも思う反面、これが果たして今のクレジットカード並みに爆発的に普及して行くのかどうなのか、それとも一部の人間にしか浸透せずに終わってしまう代物なのか、判断に迷っているという。
非常に開明的な彼なので、進化するモノを積極的に取り入れて行きたいと思うのは良く理解出来る。自分も好奇心旺盛な質故、新しいモノには興味が湧く。そんな自分だからこそ、彼と同様におサイフケータイが普及するか否かには興味が在る。
学生時代、計算機の付いた腕時計を衝動買いした。「未来の時計」*1という感じがして、これからはこの手の時計が流行るのかもしれないと思った。しかし、キーが米粒の様に小さく、押すのにボールペンの先を使わなければならない様な代物で、間も無く街角から姿を消した。ラジオとTV、そしてカセットデッキの付いた「ラテカセ」なる物も、発売間も無い頃に購入。「多機能=便利」と考えたのだが、意外と使い勝手が悪く、これ又流行らなかった。レーザーディスクプレーヤーもS-VHS規格のビデオデッキも無理して買ったが、”時代の徒花”だった。
その一方、二昔程前に仕事で訪れたシンガポールで、老若男女を問わず、歩きながら小型の携帯電話を使っている姿を目にして、「凄い国だなあ。でも、日本でこんな光景を目にする日は来ないだろう。」と思った。当時は、日本でも携帯電話の前身とも言える自動車電話が発売されてはいたが、高額な上、持ち運びに不便な大きなサイズだった。それに、公衆電話が完備された我が国では、携帯電話が普及する余地がそんなに在るとは思えなかったのだ。それが今は幼稚園児から高齢者迄普通に持っているのだから、己の先見の明の無さを恥じるばかり。
ツールやシステムが新しければ流行るというものではない。嘗て国鉄が民営化された折、国電に代わる新呼称を一般公募した。”パッとさいでりあ”のおじさん達が、斬新な呼称として選んだのはE電だったが、「絶対に普及しないだろう。」と思ったものだった。案の定に死語化した訳だが、目新しさだけでは普及に到らない典型と言ってしまうのは酷だろうか。
話をおサイフケータイに戻すが、今の所、個人的にはおサイフケータイにそれ程魅力を感じていない。セキュリティー面の問題も在るが、それ以前に、「紙幣やコインという、目に見える形での支払いをしないと不安で、且つ借金が大嫌いなので、カード払いすらも余程の事が無い限りしない人間」で在る自分には、おサイフケータイに抵抗を覚えるのも事実。
はてさて、おサイフケータイは普及して行くのだろうか?それとも、時代の徒花として終わってしまうのだろうか?
*1 多機能の腕時計に未来をイメージしてしまうのは、ジャイアントロボ等の操縦機が腕時計タイプで在った事に大きく起因している様に思う。男という動物は、何時迄経っても子供の部分を持ち合わせているという事か。だからこそ、3万円(税別)もする仮面ライダーの変身ベルトが発売される訳なのだろうが。
まあ俺は鼻紙って言ってますがね(^^;。
「チャンネルをまわす」はよく使いますね。
オサイフケータイはこれは普及すると思いますね。
ある意味クレジットカードと同じなわけだからね。
携帯もすごいですねぇ~。
タダの電話かと思ったらいろんなことが出来るようになり、どんどん進化していますよね。
そのうち携帯で駅をスルーできるようになるんじゃないですかねぇ~。
携帯が定期券代わりってね(^^;。
「靴箱」たと、靴を買った時に入れてくれる紙の箱みたいで、シューズクローゼットとでも言うべきなんでしょうか(笑)
おサイフケータイは生体認証機能でも付かない限り、使いたいとは思いませんが、そんなのが普及する頃には通話だけケータイのユーザーになってそうな気もしなくもありません。
下駄を入れる事は先ず無いのに、未だ以って「下駄箱」というのも確かに変ですね。でも、そうなると未だに「”新”幹線」と呼び続けているのも同じ事かも(笑)。
セキュリティー面もそうなのですが、個人的には一つのツールに個人情報を集約してしまうのにも抵抗感を覚えてしまうんです。やはり古い人間なのかも(^o^;;;。
お金について言えばそもそも紙幣自体にはなんの価値もありませんよね。価値があるのは硬貨で、紙幣はその硬貨と交換できる事により通貨たりえています。又人々が「これは価値がある」と思っているからこそ紙幣には価値があり、そう思われなければ唯の紙。日本のお金も大雑把に言うと「皇朝十二銭」から「明銭」等の中国の銅銭、金貨・銀貨や銅銭、藩札等の江戸時代、明治時代の「円・銭・厘」制度と移り変わって来ました。時代と共に人間が使うお金は変わって来ましたがこれからは電子マネーの時代でしょうか。その電子マネーの普及具合が「おサイフケータイ」の将来に、「おサイフケータイ」の普及具合が電子マネーの将来に、相互に大きく影響するかもしれません。
おサイフケータイは1千万台を突破しているそうですね。恐らく延べ販売数という事でしょうから、実際に所有している人数が1千万人という訳ではないでしょうが、それにしても凄い数で在る事は間違いないでしょう。でも、実際に使用している人の姿を余り見掛けない様に思うのは、おサイフケータイは持っているのだけれども、今一つ使い切れていない(又は、使う必要性をそれ程感じていない)人が少なくないという事なのでしょうか。
遥か昔の話になりますが、Suicaが今程迄に普及していなかった頃、この記事に登場する後輩はSuicaを使用していました。当時の自分は定期券を使用しており、「チャージ(入金)する手間やセキュリティー面を考えたら、余り使いたいとは思わないなあ。」という考えでした。しかし、今やこれ程迄の普及。(自分は相変わらず使用していませんが(笑)。)それ程迄に先端を行っている彼が、おサイフケータに付いて迷っているというのも、何か不思議でも在り、又興味深くも在ってこの記事にしたという所も在ります。
時代はやはり電子マネーの方向で突き進んで行くんでしょうか。金本位制度ではない現在、紙幣(硬貨も同じ様に思うのですが。)は「国が価値を保証してくれている。」という”心理的”信頼感で成り立っていますよね。紙幣そのものに関しては、higu様が御指摘の様に”物質的”価値は限りなく低いのは確かなのですが、それは判っていてもやはり目に見える(手で感じられる)形での紙幣(硬貨)に安心感を持ってしまう自分です(^o^;;;。
このように省力化で券売機や窓口業務を駆逐する可能性は十分にあります。誰だって、切符を買うのに順番待ちなんてしたくないですからね。
あと、お金に関しては
>円の流通高は、2005年3月末現在において79兆1,216億円であり、このうち日本銀行が発行する紙幣が74兆6,719億円、財務省が発行する硬貨が4兆4,497億円である。国の借金が751兆1,065億円(2004年12月末現在・国債等を参照の事)、民間資産の合計が1,400兆円とも言われるが円の流通高は思いのほか小さく、その大半は金融機関(日本銀行を除く)等に保管されており、実際に市井に流通しているのは79兆1,216億円の内、十分の一程度と思われる。
「円の通貨流通高」とは現金の総額、と捉えて差し支えないが、紙幣そのものは更に日本銀行の金庫内に保管されており(この状態では通貨ではなく印刷物である)、必要に応じて発行される。
というwikipediaの記事を転載しますw。
余談ですが、紙幣と硬貨で発行元が違うのは散りませんでした。
最後に1年前に書いた電子マネーに関する自分の記事です。たぶん以前書いたと思われたのはこの記事だと思います。
http://blog.goo.ne.jp/-tetu-/e/275fa48efec260e09e70eb47696979b7