旧聞に属してしまうので恥ずかしいのだが、昨日、目にした話題に付いて書きたい。
「和の政治」をスローガンにしていた鈴木善幸元首相が亡くなったのは7月の事だった。彼の内閣&自民党合同葬が8月26日に行なわれたのだが、その際に「この日は全国の公立学校でも、弔意表明する様に。」との通達が、各都道府県の教育委員会に送られていたのだとか。国に依る”弔意の強要”というべき出来事。
そもそも、弔意や敬意等というのは、他から強要されるものではなく、個々人の感情の発露に依るべきものだと思う。国家斉唱や国旗掲揚を国家権力で強いる形で、愛国心を強要するやり方にも抵抗を感じるが、まだ自国への思いというものが介在している分、割り切れる部分がなくはない。唯、今回の場合は、個人に対する感情の強要であり、何とも不気味さを感じる。
独裁国家である北朝鮮では、金日成&金正日親子を神格化し、個人崇拝の徹底を図る事で体制を維持している。国民個々の自由な感情の発露は皆無と言って良いだろう。何とも理不尽で許されない事なのだが、それを徹頭徹尾批判している我が国の政府が、同じ様な事をしているのである。例え、その度合いが格段と軽いとは言え、何をか況やである。
「和の政治」をスローガンにしていた鈴木善幸元首相が亡くなったのは7月の事だった。彼の内閣&自民党合同葬が8月26日に行なわれたのだが、その際に「この日は全国の公立学校でも、弔意表明する様に。」との通達が、各都道府県の教育委員会に送られていたのだとか。国に依る”弔意の強要”というべき出来事。
そもそも、弔意や敬意等というのは、他から強要されるものではなく、個々人の感情の発露に依るべきものだと思う。国家斉唱や国旗掲揚を国家権力で強いる形で、愛国心を強要するやり方にも抵抗を感じるが、まだ自国への思いというものが介在している分、割り切れる部分がなくはない。唯、今回の場合は、個人に対する感情の強要であり、何とも不気味さを感じる。
独裁国家である北朝鮮では、金日成&金正日親子を神格化し、個人崇拝の徹底を図る事で体制を維持している。国民個々の自由な感情の発露は皆無と言って良いだろう。何とも理不尽で許されない事なのだが、それを徹頭徹尾批判している我が国の政府が、同じ様な事をしているのである。例え、その度合いが格段と軽いとは言え、何をか況やである。
多分「大勲位殿」がなくなったら国葬に
なって国民は喪に服さんといかんのかと…
イヤだ。
ありがとうございますっ。
僕個人としては、多少のナショナリズムというのは
国家として必要な場合もあると思うのですが、
この件に関しては、giants-55さんの言うとおり
「個人に対するもの」ですからね…。
こんな事を強要されたら、それこそ日本という国に、
愛国心どころか愛想がつく思いですね。
もっと言えば、日本って世界で唯一成功?した社会主義国家ではないでしょうか。
基本的に、書き込みして下さった方のブログへ直接レスを付けさせて戴く形を取っているのですが、見当たりませんでしたので、こちらに書き込む失礼の段を御許し下さい。
北朝鮮の独裁国家体制や拉致等の行為は決して許されるべきものではないし、批判されてしかるべきだと思ってます。しかし、指導者レベルだけではなく、日本国民の意識の持ち様も彼の国と大差ないと感じる事が有ります。一つの情報に踊らされ易く、一見個々の意見を持っている様で、その実、マスメディアの誘導に乗せられているといった感じ。イラク人質事件や、一時の拉致家族会への一方向的な猛バッシングには、何か薄気味悪さを感じました。色んな考えが有ってしかるべきと思うのに、マスメディアの意図する方向へ世論動向が直ぐ靡くのは、強圧を以って意識のコントロールがなされている彼の国と余り変わりがない気がしたりします。
これからも宜しく御願い致します。
こんなことがあったんですね。
どこから発せられた言葉か、発信主体が誰かが問われますね。当事者たる要件がなんなのか。そしてそれが相手との関係のなかで整合するのか。
大きくくくりすぎなんですよ、たぶん。