ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

「ギブミー・チョコレート」

2019年10月16日 | 書籍関連

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東京本郷で生まれ育った山崎弘(やまさき ひろし)は、悪餓鬼仲間達と共に、伸び伸びと子供時代を謳歌していた。だが、戦況の悪化は日常を変えて行く。巧妙付き纏う特高警察、姿を消した外国人の友人、代用品になった御菓子。芸術を愛し、自由の尊さを説く先生は学校から去り、替わりに遣って来たのは軍国主義の先生達だった。軍隊式の扱きに耐え、疎開先で空きっ腹を抱えても、弘達は未来を見ていた。だが、1945年3月、中学受験のに東京に戻った彼等を待ち受けていたのは、想像を絶する大規模な空襲だった。
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演出家で在り、テレヴィ・プロデューサーで在り、そして脚本家でも在る飯島敏宏氏。1932年に生まれた彼は、1957年にKRT(現在のTBSテレビ)に入社し、演出を担当。1965年、円谷英二率いる円谷特技プロダクションに、映画部所属の監督として出向、「ウルトラQ」や「ウルトラマン」、「ウルトラセブン」等のウルトラ・シリーズ、そして「怪奇大作戦」等を世に送り出した。1970年、木下恵介プロダクション(現在のドリマックス・テレビジョン)にTBS社員として出向し、「金曜日の妻たちへ」等を手掛け、「ドラマのTBS」の一翼を担った。

そんな彼が自身の戦争体験を元に、“少国民”と呼ばれた子供達の姿を描いた“自伝小説”が「ギブミー・チョコレート」だ。1932年生まれという事は、戦争が始まった1941年は9歳。終戦の年・1945年は13歳と、多感な時期を戦時体制で送った事になる。“自伝的小説”と在る様に、飽く迄も“自伝”では無いものの、当時子供だった飯島氏の目を通して見て来た光景が、強く反映されているのは確かだろう。山崎弘は限り無く飯島氏自身で在り、キリスト教系の幼稚園に通っていた時代から、“今”に到るを描いている。

「全く何も無い状態から、突然戦争に到った。」という訳では無い。「きな臭い出来事が少しづつ積み重なって行った結果、戦争に突入してしまった。」というのが、古今東西で見受けられた事だと思う。「弘達が通っていた『本郷キリスト教中央教会幼稚園』の看板横に、『大日本基督教本郷中央教会支部』と仰々しく書かれた木の札が並んで掲げられ、ジョウ・マックマドル・ムトー(武藤)牧師が(日本と関係の良くない)アメリカ国籍のという理由から、本国送還された。」、「共産主義者と見做された人の周りを、或る日から刑事が付き纏う様になった。」、「自由で在る事を重視する先生が去り、軍国主義バリバリの先生が遣って来た。」等々、“子供の目から見た変化”が記され、非常に興味深い。「教育が子供に与える影響はとても大きく、“妙な教育”が行われると、子供達は“妙な方向”へ進んでしまう。」という恐ろしさを、改めて感じさせられた。

「日本が、戦争で負ける訳が無い。」という、典型的な軍国主義の先生が遣って来る。弘達に対し「敵を殺傷する訓練」等、実戦的な軍事訓練を行っていた彼が、日本の敗色が濃厚となって行く中で、「戦場で生き延びる為の訓練」へと変わって行く。激しくなる空襲、そして其の先に待ち受けているで在ろうアメリカ軍の上陸を考えた上での“変化”なのだろう。

又、軍国主義の別の先生は、弘達に“無謀な教え”を強要し、其の結果として1人の生徒が“戦死”する事になるのだが、70年以上経った“今”、其の先生は自分が行って来た事に全く反省していないどころか、寧ろ自分の生き方を誇っているかの様な“現実”に、ぞっとする思いが。

総合評価は、星4つとする。


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