で、肝心の東国原知事に付いてだが、彼が知事に当選した翌日の記事でも記した様に「基本的に彼を応援している。」という自分のスタンスは変わっていない。唯、その記事でも「“寄らば大樹の陰”的な思考が在るのでは?」、「宮崎県知事になるのは、将来国政に打って出る為の1ステップに過ぎないのでは?」、「『政治家になって何がしたい。』では無く、『政治家になる事だけが最終目標では?」といった懸念を記したが、その懸念が自分の中で少しずつ大きくなって行っているのも事実。
「宮崎県のセールスマン」として動き回る東国原知事の行動力、これは高く評価している。頭の良い彼だけに自分をアピールする目的も在るとは思うが、「同県の農産物の販売促進」や「同県への観光客増加」に寄与しているのだから、口だけの政治家よりも遥かに立派だ。
しかし「宮崎県の抱える問題を抜本的に変えて行っているのだろうか?」という点が、“余所者”の自分には今一つ見えて来ない。地元新聞の記事を読んでも、それは見えて来ない。「マスメディアによる認知度アップ、宮崎県への計り知れない経済効果によって県民に『遣れば出来る。」という自信を植え付けた。」というのは確かに在るだろうが、それを抜本的改革と断じるのはどうかと考えるし。
東国原知事の手法を喩えるならば、「ウン十年住み続けて痛みが激しい家(=宮崎県)の外側に、様々な貼り物を貼り付けた事で一過性の見栄えの良さ(=マスメディアへの露出アップで、取り敢えずは宮崎県を売り込む。)を生み出す。」というスタイルだと思う。知名度の高い彼だからこそ出来る手法とも言えるが、では「彼が知事職を去った後、残る物が在るか?」となると、「全くゼロでは無いものの、余り無いだろう。」と自分は考える。抜本的な改革を施さなければならない部分には、(東国原知事は)意外と保守的な姿勢を見せている様に感じるのだ。
国政に出るも良し。でも、少なくとも任期を全うしてからでは無いと、多くの支持を得られないだろう。「物にはタイミングという物が在る。」といった発言を東国原知事はした様だが、複数期務めているなら未だしも、1期目の途中での転身となると、「私利私欲の為に、途中で放り出しただけ。」と捉えられても致し方無い。そして国政に打って出るならば、これ迄の様な手法“だけ”では駄目。「今度は『日本のセールスマン』です。」と各地の売り込みをマスメディアでするのでは、これ又抜本的な改革には繋がらないと思うので。
大川興業の大川豊総裁が「(東国原知事は)本当に自信が在るなら、自民党に乗っからずに自分の党を作るべき。」とコメントしていた。この意見に全く同感。具体的な国レベルでの政策を打ち出した上で、与野党を問わず広く同志を募り(引き抜き)、既存の政党に対抗するというのも、改革を標榜するなら選択肢として在って良いと思うが。
東国原発言の余波で、様々な政治家の声が飛び交っている。東国原知事を含め、「その言葉が果たして本当に正しいのか?」を多角的に分析する必要が在る。表面的には「もっとも。」と思われる言葉でも、良く良く分析したら「御為倒しに過ぎなかった。」というケースも在るだろうし。特に注意しなければいけないのは、「国民の為」と強調する主張かも。
というだけの話でしょう。それだけのことで、何をこんなに大騒ぎしているのか不思議です。
自民党も民主党もバカですね。
今回のそのまんま東発言ですが、いい意味でいろんな事を考える機会なりました。
一つは国民が国会による議会制民主主義ではなく、地方自治体のような行政・立法の長を直接選挙で選びたいという欲求の現われ、すなわち大統領制への羨望。
もう一つは限られた血税から支払われる予算を霞ヶ関が盗るのか、地方自治体が盗るのか、そのせめぎ合いが垣間見えたという事です。
現在の行政は国>地方なので、あまりにもその巨大化・硬直化したシステムが様々な弊害を生んできたのは否めません。これを地方に権限を移住し細分化することによりそれらの弊害をなくすること。これを自らが首相になって率先して行いたいというのが東国原知事の目的(の一つ)でしょう。
でもなぁ、地方に権限を移住すると結局小役人どもがチンケな我が欲求を満たすために悪い事をしそうな気がするんですが。。。
要はだれ(どこ)がどれだけの金と権限を掴むかをいかに大義名分をもって争うかってだけの話のように思いますが。
おまけに「地方分権選挙」はあ?ですね。宮崎の為に頑張って下さい。機が熟せば自ずと道は開けます。
うちも大川総裁に賛成です。^±^
自分の党を作ったほうがかっこいいって。
国を本気で帰るのなら、自民でも民主でもだめだと思います。
どこにもこびず、新しい日本に導く政治家を日本の国民はは期待しているんだと思います。
熱く語っちゃった・・・^±^
最近の永田町劇場は、本公演だけでなく地方公演もなかなか面白くて目が離せません。吉本興業のどたばた喜劇よりよほど面白く、そして切ないですよ。
昔NHKの大物アナウンサーや、著名な俳優が客寄せパンダに担ぎ出され、陣笠議員を何期か務めたのち、使い捨てられて消えていったことを思えば、今のタレント議員は「物言う」パンダに進化しましたね。
地道に勉強し政治家を目指すものより、マスメディアへの露出度が高いタレントさんの方が人気も票も集めてしまうのが、民主主義の宿命なのかなあ。国民の民度の問題なんですよね。今、総理大臣を国民の直接選挙で選んだら、世襲議員よりもどこかの知事さんの方が上位に来るんじゃないでしょうか。
私も「国民の為」を声高に主張する政治家は信用する気になれません。近代・現代史には、そんな政治家が国民に塗炭の苦しみをもたらした先例に事欠きませんから。
「東国原発言によって見えて来た2点」としてtak様が挙げておられる点、自分も同じ事を考えました。特に前者、即ち「大統領制への憧れ」というのは強いのでしょうね。唯、どんな制度にもメリットと同時にデメリットも在る訳で、より民意が反映し易いという事は、逆に言えば「国民個々がより大局的な視野を養わないと、小泉旋風の時の様に国が妙な方向に突き進んでしまう危険性を有している。」とも言えると思うんです。先日も触れましたが「イケメンor美人候補というだけで票が集まる。」という状況は決して良い事では無いと思うし、与野党関係無く候補者の政策を始めとした全てを自分なりにチェックした上で、真面目に投票して欲しい。
これ迄は「地方は国家に隷属して当然。」といった感じでしたので、地方が堂々と主張するのは結構な事。唯、首長達が特定政党への支持を打ち出すというのには、一寸懸念が。「将来的に国政へ売って出る意欲満々の首長による“恩売り合戦”」と為り兼ねないし、その中で妙な裏金が動く可能性も否定出来ないし。
元力士の旭道山和泰氏が新進党から立候補して当選、衆議院議員となりました。そして衆議院が解散となり、「次の選挙にも当然出馬するのだろう。」と周りの多くが思っている中、政界からの引退を宣言。「少しでも人の役に立ちたいと思い引き受けたが、政界は余りにもどろどろし過ぎていて、自分には向いてないと思っていた。」というのが理由。これを見て「素直な人だなあ。」と自分は好感を覚えました。(引退から数日後、それ迄「先生」と呼ばれていた人が、ヴァラエティー番組に出て「旭(きょく)ちゃんどぅえ~す!」と言っていたのには引っ繰り返りましたが。)単に名誉や権力が欲しいだけで政治家となり、国民を欺く事をしても平気で政治家の椅子にしがみ付いている様な人間が少なくない中、旭道山氏の判断は個人的に評価したいと思ったし。
以前の記事でも書いた事なのですが、所謂タレント議員を十把一絡げ的に「駄目。」とは思っていないんです。西川きよし氏なんかは地味だけれど、福祉の面で頑張っていたと思うし、元プロレスラーの馳浩氏には当初全く期待していなかったけれど、自民党の政策に必ずしも縛られる事無く、「彼の中での是々非々判断」で政策を打ち出しているのを目にして、その思いが変わりました。
唯、知名度の高さだけで当選してしまうという現状は確かに在り、それは困ったものですね。要は国民個々がしっかりと「自分なりに候補者(乃至は党)を見極める。」というのが重要。「自分にとってメリットが在るから。」という視野の狭さでは無く、大局的に見て行かないといけないでしょうね。
小泉元首相を熱狂的に支持した挙句、今の国状に懸念を覚えている人が少なからず居る。斯く言う自分も、初期段階では小泉元首相を支持していたのですから偉そうな事は言えないのですが、同じ過ちを繰り返さない為にも、是々非々で冷静に何事も見て行かないといけないと思っています。
今後とも何卒宜しく御願い致します。
興味があると仮定すると
(あるはずでしょう)
仮に古賀さんの誘いに乗って
フツーに代議士になったとしても
所詮「陣笠」しかなれません。
だから「党総裁」で迎えに来るくらいで
頼むなら呑むと。
首相なら国政の力で地方改革が出来るので
自分の考えに合うので、ヨシと。
でフツー、自民党は断るでしょうから
(とりあえず)引き続き知事をすると。
呑めない条件をつける
要は「ノー」です。
そりゃ地方を本当に変えようと思ったら
国が変わらないといけないことは
本人が重々判ってるでしょうから
頭を下げてきたから
大きく出てみたんでしょう。
しかしこういう条件をだしても、と
思われる自民党が、ちょっとね。
記事でも書きましたが、東国原知事の行動力は評価しています。どういう形で在れ、口だけで何もしない政治家よりは良いと思うし。それと「国会議員になりたい。」という思いは、何度か彼自身が口にされていますね。正直と言えば正直な訳ですが、知事という職に就いている内からああも表明すると、「知事職は国会議員になる為の1ステップに過ぎないのかなあ。」という感じもして、余り好ましくない感じは在ります。
彼は良くも悪くも計算高い人だと思っていますので、「単に断りを入れただけ。」というのも違う気がして。あの条件を自民党が呑めば呑んだで(あくまでも「総裁候補」にすれば良い訳で、「総裁」に“させる”かどうかは別問題な訳だし。)「満願成就!」と出馬するだろうし、呑まなかったら呑まなかったで「自民党に対して、あそこ迄主張出来る知事。」という事で自身の価値は上がるだろうし。あの発言で右往左往してしまう与野党というのも、だらしない訳ですが。
東国原知事に対する事柄で、「自身(giants-55)の見解を変えなければいけない。」と思った事柄が在ります。彼は知事選の前後から「私は早稲田大学でマニフェストを学びましたから。」等、やたらと「早稲田」を口にしていました。それ以前に卒業した大学の名前を出さず、早稲田を連呼する姿に、「大仁田氏と同様、ブランド力の高い大学名を連呼し、ブランド力で言えば劣る大学名は闇に葬るスタンスなのだなあ。そういう遣り方って、闇に葬られた側の関係者(在校生やOB)はどう思うだろうか?他者の気持ちを思い遣れない人が政治家になるって、本当に相応しいのだろうか?」という思いがずっと在ったのですが、最近改めて東国原知事のサイトを拝見した所、経歴を全て書かれていました。ですので、その点に於いては誤った認識を持っていた事を反省している次第です。