ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

東国原発言の余波 Part1

2009年06月26日 | 政治関連
40年以上「剣道弐段」を公言していた森田健作千葉県知事が、全日本剣道連盟から免状を受けていなかった(昇段審査を受けていなかった)事が判明したのは先月の事。その件をマスメディアから追及された際、森田知事は40数年前、恩師の範士から『判った。弐段許す。』と言われた。だから剣道弐段と言って来た。40数年、(この件を)指摘された事無かったんで。まあ、私の思いはそういう事(=今後も剣道弐段を名乗る)です。と答えていた。つまり「自称弐段」だった訳だ。

ハッキリ言って、彼が有段者だろうが無かろうがどうでも良い。せいぜい「自称で語っていました。ごめんなさい。」で済む程度の話だと思っている。唯、「私は~と“思っていた”ので、どうこう言われる筋合いでは無い。」といった開き直りが、あの会見で感じられたのはどうかと思った。昔から彼の発言には、この手の稚拙な言い訳が少なくない。「こんな言い訳を散々するのでは、今後巨悪手を染めた場合、『私は悪い事とは全く思っていなかった。故に問題は無い。』といった言い訳を平然とするのではないか?」という不信感を覚えてしまう。誤った事柄に対しては稚拙な言い訳を一切せず、真摯に認める姿勢が無ければ、人間としてどうかと思う。その言動に対して、一般人以上に重い責任の在る政治家は特にだ。

23日、自民党古賀誠選挙対策委員長より「次期衆議院議員総選挙で同党からの出馬」を要請された東国原英夫宮崎県知事が、「自身を同党の総裁候補にする。」事を出馬の条件の一つに挙げた。その余波は小さく無く、与野党から様々な声が上がっているが、中には「何を言ってるんだか・・・。」と呆れ果ててしまう声も。

古賀氏は東国原知事への出馬要請に付いて、「自民党も自浄能力を発揮して変わって行かないといけない。」と口にしていた。自浄能力が限り無くゼロと化した自民党が、新しく生まれ変わる必要性は間違い無く在ると思うし、その意味では古賀氏の発言は正鵠を射ている。唯、「悪い意味での自民党らしさ」を有していると(自分が)感じている古賀氏の発言だけに、額面通りには受け止められない。「自民党の自浄能力を回復させる為に、私は引退する。その代わりとして、君が出馬して欲しい。」と古賀氏が口にしたならば、未だ信用は出来るが。「これだけの事を口にした以上は、その問題振りが何度か取り沙汰されたドラ息子を、よもや世襲議員にはしないでしょうね?」と彼に聞いてみたい所。

丸山和也参議院議員は(出馬要請は)馬鹿馬鹿しい。選挙責任者が外から力を借りる様な事で、自民党が本当に改革して行くエネルギーを示せるのか。本当に情け無い。と古賀氏を批判したそうだが、2年前にその自民党から「外から力を借りる」為に出馬要請されて立候補&当選を果たしたのは何処の誰だったのかを忘れておられるのだろうか?“国営の漫画喫茶”と揶揄された「国立メディア芸術総合センター(仮称)」の創設に総工費約117億円が投じられる事に賛成し乍ら、TV番組でその理由を滅茶苦茶な論理で説明していた丸山氏。論理破綻し、最後は国立メディア芸術総合センターの存在意義に疑問を持っているかの様な発言も飛び出し、司会者等を苦笑させていた彼なので、今回の発言も想定内とは言えるが。

又、松浪健四郎衆議院議員は『東国原君、顔洗ってくれ。』と言いたい。それに東国原知事に依存しなければいけない程に、自民党が落ちてるのかと思うと情けないね。と口にしていたが、良くもまあこんな“上から目線”のコメントが吐けるものだ。後述するが、その政治手法には疑問が在るものの、東国原知事の行動力に関しては評価している。政治家としての実績が「国会内での水掛け」位しか思い浮かばない御仁に、東国原知事を上から目線で語る資格は無いと思う。

東国原発言を受けての野党の発言にも、どうかと思う物は少なくない。「集票目的だけの客寄せパンダ。」的な発言が在ったが、民主党に関して言っても「何とかパパ」だ「何とか姫」だと、どう考えても政治家としての能力云々では無く、そのネームヴァリューだけに頼った候補者担ぎ出しをして来たではないか。それを棚に上げての批判では、何の説得力も無い。

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