閑話休題。秘密道具を考案&応募した大人達の”素顔”に触れよう。
神奈川県で理髪店を営む金子真也氏(41歳)は、10月にコンテストの話を知り、1週間で15個の道具を考案。その内の一つがテレビ部門の優秀作品に選出された「なぐさめ山」。哀しい時や辛い時、山に向けて嘆きや怒りを叫ぶと、慰めや励ましの言葉が木霊となって返って来るというもの。
金子氏が実家の理髪店から独立して隣の市で開業したのが4年前の事だったが、当初は土地に馴染めず、経営もなかなか軌道に乗らずで自信を喪失し掛けた事も在ったとか。「開業した頃は他人が見る自分と自分自身のギャップが在って、常に嘘を付いている様な感じだった。」と振り返る彼は、やがて「自分の遣り方は家族が認めてくれれば良いし、息子が大きくなって判断してくれれば良いと思う様になった。」と或る意味開き直れた事で、結果的に子供連れを中心に客足が伸びて来たという。家族のバックアップが在れば、自分自身の自信にも繋がる。「『なぐさめ山』の励ましは、自分の中で聞こえる家族の声なのかもしれません。」と彼はコメントしている。
名古屋市の主婦、大塚久美子さん(40歳)は「あの人は居間」という道具を考案した。のび太の家と同じ模様の襖を広げると、自分が育った実家の様な和室になり、卓袱台を挟んで会いたい人が現れ、言えなかった一言が言えるという道具。これを考え出したのは、彼女が文具メーカーに入社して2年目の記憶が元だったという。
男女雇用機会均等法が施行されて間も無く入社した彼女は、御茶汲みやコピーを命じられる度に露骨に嫌な顔をしていたという。そして、入社から2年目の或る日の会議でコピーを間違えてしまい、部外に出してはいけない重要資料を配ってしまうという言い訳の出来ないミスをしでかしてしまった。普段の態度から「こっぴどく叱られるだろう。」と彼女は覚悟したが、意に反して30代の課長からも40代の部長からも叱責の言葉は無かった。可愛げの無い部下を庇い、泥を被ってくれたのだと感じたという。半年後に彼女は退職し、それ以降はその上司達に会っていないが、「当時は余り感じなかったけれど、自分が彼等の年齢になった今になって考えると、何と度量の大きかった事か。それなのに当時の私は、きちんと御礼の言葉も言えなくて・・・。」という後悔の念から思い付いたのが「あの人は居間」だった。
静岡県の大学に通う井口雅理氏(20歳)は、「サイカイベンチ」という道具を応募した。何処の公園にも在る様な木製のベンチの横に、過去の日付が指定出来る目盛りが付いている物で、頭の中に思い描いた風景の中にそのベンチを置く事が出来るという。それ以上の詳細が今一つ記事の中から掴み取れなかったのだが、想像するにベンチを置いた場所に縁の深い人物と再会を果たせるという物の様だ。
藤子不二雄氏が生み出した数多の作品の中で「特に好きな作品を2つ挙げろ。」と言われたら、自分は迷わずに「劇画・オバQ」とドラえもんの短編作品「おばあちゃんの思い出」(動画1、動画2&動画3)を選ぶだろう。どちらの作品も、何度読んでも目頭が熱くなってしまう名作だ。後者の作品は、のび太がタイムマシンに乗って今は亡き祖母に会いに行くというストーリーだが、井口氏ものび太に負けず劣らずのおばあちゃん子だったという。
幼少の頃から寝付きが悪く、母親は仕事で忙しかった事から、小学校を卒業する迄毎晩祖母の部屋で彼は寝ていた。その際祖母は、若くして嫁いだ頃の苦労話や戦争時の話を聞かせてくれて、それを子守唄代わりに眠りに就いていたという。学校の送り迎えの時には田んぼのタニシを拾い、花を摘んでくれた優しい祖母が亡くなったのは、彼が中学2年から3年になる春休みの事だった。
埋め様の無い喪失感から彼は鬱気味となり、それは高校2年時迄引き摺った。鬱気味の状態から脱却出来た彼が大学の専攻に環境保護を選んだのは、祖母から若い頃の話を聞き、人間と自然が共生していた時代に憧れを持った事が大きかったという。今でも仏壇に線香を毎朝毎晩欠かさずに上げているという彼は、「サイカイベンチ」に付いて次の様に語っている。
「ベンチを置きたいのは、一緒に寝ていた祖母の部屋ですね。見せられなかった高校の制服姿や現在の姿を、是非見て欲しい。そして今度は僕が話をしたいんです。」
神奈川県で理髪店を営む金子真也氏(41歳)は、10月にコンテストの話を知り、1週間で15個の道具を考案。その内の一つがテレビ部門の優秀作品に選出された「なぐさめ山」。哀しい時や辛い時、山に向けて嘆きや怒りを叫ぶと、慰めや励ましの言葉が木霊となって返って来るというもの。
金子氏が実家の理髪店から独立して隣の市で開業したのが4年前の事だったが、当初は土地に馴染めず、経営もなかなか軌道に乗らずで自信を喪失し掛けた事も在ったとか。「開業した頃は他人が見る自分と自分自身のギャップが在って、常に嘘を付いている様な感じだった。」と振り返る彼は、やがて「自分の遣り方は家族が認めてくれれば良いし、息子が大きくなって判断してくれれば良いと思う様になった。」と或る意味開き直れた事で、結果的に子供連れを中心に客足が伸びて来たという。家族のバックアップが在れば、自分自身の自信にも繋がる。「『なぐさめ山』の励ましは、自分の中で聞こえる家族の声なのかもしれません。」と彼はコメントしている。
名古屋市の主婦、大塚久美子さん(40歳)は「あの人は居間」という道具を考案した。のび太の家と同じ模様の襖を広げると、自分が育った実家の様な和室になり、卓袱台を挟んで会いたい人が現れ、言えなかった一言が言えるという道具。これを考え出したのは、彼女が文具メーカーに入社して2年目の記憶が元だったという。
男女雇用機会均等法が施行されて間も無く入社した彼女は、御茶汲みやコピーを命じられる度に露骨に嫌な顔をしていたという。そして、入社から2年目の或る日の会議でコピーを間違えてしまい、部外に出してはいけない重要資料を配ってしまうという言い訳の出来ないミスをしでかしてしまった。普段の態度から「こっぴどく叱られるだろう。」と彼女は覚悟したが、意に反して30代の課長からも40代の部長からも叱責の言葉は無かった。可愛げの無い部下を庇い、泥を被ってくれたのだと感じたという。半年後に彼女は退職し、それ以降はその上司達に会っていないが、「当時は余り感じなかったけれど、自分が彼等の年齢になった今になって考えると、何と度量の大きかった事か。それなのに当時の私は、きちんと御礼の言葉も言えなくて・・・。」という後悔の念から思い付いたのが「あの人は居間」だった。
静岡県の大学に通う井口雅理氏(20歳)は、「サイカイベンチ」という道具を応募した。何処の公園にも在る様な木製のベンチの横に、過去の日付が指定出来る目盛りが付いている物で、頭の中に思い描いた風景の中にそのベンチを置く事が出来るという。それ以上の詳細が今一つ記事の中から掴み取れなかったのだが、想像するにベンチを置いた場所に縁の深い人物と再会を果たせるという物の様だ。
藤子不二雄氏が生み出した数多の作品の中で「特に好きな作品を2つ挙げろ。」と言われたら、自分は迷わずに「劇画・オバQ」とドラえもんの短編作品「おばあちゃんの思い出」(動画1、動画2&動画3)を選ぶだろう。どちらの作品も、何度読んでも目頭が熱くなってしまう名作だ。後者の作品は、のび太がタイムマシンに乗って今は亡き祖母に会いに行くというストーリーだが、井口氏ものび太に負けず劣らずのおばあちゃん子だったという。
幼少の頃から寝付きが悪く、母親は仕事で忙しかった事から、小学校を卒業する迄毎晩祖母の部屋で彼は寝ていた。その際祖母は、若くして嫁いだ頃の苦労話や戦争時の話を聞かせてくれて、それを子守唄代わりに眠りに就いていたという。学校の送り迎えの時には田んぼのタニシを拾い、花を摘んでくれた優しい祖母が亡くなったのは、彼が中学2年から3年になる春休みの事だった。
埋め様の無い喪失感から彼は鬱気味となり、それは高校2年時迄引き摺った。鬱気味の状態から脱却出来た彼が大学の専攻に環境保護を選んだのは、祖母から若い頃の話を聞き、人間と自然が共生していた時代に憧れを持った事が大きかったという。今でも仏壇に線香を毎朝毎晩欠かさずに上げているという彼は、「サイカイベンチ」に付いて次の様に語っている。
「ベンチを置きたいのは、一緒に寝ていた祖母の部屋ですね。見せられなかった高校の制服姿や現在の姿を、是非見て欲しい。そして今度は僕が話をしたいんです。」
自分の幼児期を振り返って思うのですが、子供って時にはとんでもない残酷な言動を為してしまうものですよね。自分は関東圏に長く住んでいますので、所謂「被差別問題」には他の地域よりも格段疎いのですが、その分小さい頃は外国人に対して妙な偏見を持っている子供が多かった様に思います。
以前「ミャンマーの政変で想う事」(http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/0bd82ff977c9d65e62f15554d22a9256)という記事を書きましたが、この頃の記憶は自分の古傷となっていて、今でも思い出す度に傷口が疼く思いです・・・。
あの頃、うむ、できるなら昭和30年代じゃなく、40年代がいいよね。よく、神社や人の集まりそうなところに、従軍負傷兵がまだ居て、あまりにも哀れで小遣いを上げようとしたら、彼らは偽者だと親に咎められた事が会った。
そんなことをふと思ったな。
でも、どちらかというと、ドラえもんよりウメボシ殿下の世代です。ドラえもんの元祖じゃないのかなぁ?
うむ>帆印です(すいません)
「W3(ワンダー3)」は、自分が敬愛する手塚治虫先生の作品です。年齢的にアニメ版は残念ながら見ていないのですが、漫画では後に何度も読みました。
この作品は色々曰く付きの作品でも在るんです。元々手塚先生はアニメ化を前提にこの作品を創作したのですが、どうも他の製作会社が似た様な企画を立てているという話を耳にし、内容を変更した上で脇役として超能力を持った”リス”のボッコというキャラクターを作り上げました。ところが、その後にボッコと類似点の多いチャッピーなるリスが脇役で登場するアニメが他社で製作されました。これは有名な作品となりましたが、あの「宇宙少年ソラン」です。その為にアニメ「W3」では、ボッコをリスからウサギに変え、他に馬やカモを加えた形にしたそうです。
話はそれだけに留まりませんでした。元々「W3」の連載は「週刊少年マガジン」で始まったのですが、この雑誌に「宇宙少年ソラン」も連載される事となり、このアニメに対してライバル心を強く持っていた手塚先生が激怒して、連載の打ち切りに発展。その背景には連載開始直後に、「『宇宙少年ソラン』の連載だけはしない。」という手塚先生と週刊少年マガジン編集部との取り決めが為されており、それが反故にされたからだと言われています。
そしてその後、ストーリーを変更した上で、「週刊少年サンデー」に舞台を変えて「W3」は新規連載開始となりました。この一件で、手塚先生と週刊少年マガジンとの間に断絶状態が続き、関係修復&同誌に手塚先生連載物が開始となったのは9年後の「三つ目がとおる」でした。
「みなしごハッチ」はタツノコプロの傑作の一つですね。自分も大好きでずっと見ておりました。ハッチが生き別れた母親と再会するシーン、そして「フランダースの犬」(世界名作劇場版)でネロとパトラッシュがルーベンスの絵を前にして亡くなるシーンは、共に何度見ても爆泣きさせられたもの。
「みなしごハッチ」の主題歌を歌われていた島崎由理さんは、その後「Gメン’75」で使用された歌を幾つか歌われていました。どの曲も思い出深いのですが、やはり「面影」(http://www.fukuchan.ac/music/j-sengo2/omokage.html)は名曲中の名曲!自分がカラオケで良く歌う曲の一つです。
どこでもドアとかあれば便利ですね。
あれ、のびた君だからドラえもんの利用があの程度ですんでるけど、あれが、サザエさんのカツオ君がドラえもんを利用してたら今頃は世界征服してるでしょうね。
つい先月まで単行本置いてありましたから(^^;。
↑弟に全部あげたんだけど。
TVでも今でもやっているので時間が合えば毎週見ています(^^)。
けど、声優が代わって取り直ししたのか、ネタが過去に見たことあるようなものが結構出ていますね。
でもおもしろい!
作者の一人がなくなりましたが、いつまでもドラえもんのような夢ある世界を見ていたいものですね(^^)。
さて、ことしももうわずかになりました。
いろいろなネタを見て勉強になることが多かったかな(^^;。
来年もgiants-55さんにとってよい1年でありますように。
よいお年を(^^)!