過去に何度か書いているが、所謂「懐メロ番組」が大好き。幼少時、リアル・タイムで聞いていた歌謡曲も良いが、生まれていなかった時代の曲も堪らなく良い。
後者の曲の場合、10数年前ならば歌われていた歌手で健在な方も結構居られたが、近年では鬼籍に入られた方が増加し、懐メロ番組に登場して歌われる方がめっきり減ってしまったのは哀しい事。
めっきり減ってしまった中、懐メロ番組に登場して歌われる数少ない歌手の1人が、「高原列車は行く」(動画)や「朝はどこから」(歌)、「白い花の咲く頃」(歌)等で知られる岡本敦郎氏。80歳を過ぎても、張りの在る艶やかな歌声を聞かせてくれた方だったが、「昨年12月28日に脳梗塞にて、88歳で亡くなられていた。」事が、昨日明らかとなった。
【岡本敦郎氏】
社会科の先生、其れも地理の先生といったイメージの生真面目さを感じさせる風貌で、最後の最後迄安心して聞ける歌手の1人だった。昨夏に放送された懐メロ番組では、御元気な姿を見せておられたのに・・・残念でならない。合掌。
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「フェイスブックで72年振り再会 大戦で生き別れの80代姉妹」(1月7日付け東京新聞【夕刊】)
第2次世界大戦で生き別れた80代のボスニア・ヘルツェゴビナの姉妹がインターネット交流サイト(SNS)フェイスブックで互いの消息を知り、72年振りに涙の再会を果たした。地元メディアが5日、伝えた。
ヘディヤ・タリッチさん(82歳)は11歳だった1941年、戦火を逃れて故郷のボスニア北西部の村から疎開。しかし途中で家族と逸れ、其の後は孤児院で育てられた。両親は戦争で死亡し、兄弟は米国に移住した。
「戦後、『家族は死んだ。』、『米国に移住した。』等と聞かされ、もう2度と会えないと希望を失っていた。」とタリッチさん。しかし、息子がフェイスブックを通じて姉タニヤ・デリッチさん(88歳)の娘と知り合い、途切れていた糸が繋がった。
姉妹は戦後、ボスニア国内の僅か200km離れた町で暮らしていた。今後は米国に居ると見られる兄弟の足跡を辿ると話している。
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「僅か200km」、しかし「余りにも遠い200km」が、彼女達の間に72年も存在していた訳だ。
嘗ての人気番組に、「それは秘密です!!」(動画)というのが在った。1975年から1987年に掛けて日本テレビ系列で放送されていたクイズ番組とドキュメントヴァラエティーを組み合わせた番組で、特に人気を博していたのはラスト・コーナー。「生き別れになった肉親を捜し出し、再会させる。」というコーナーで、「もう2度と会えないだろう。」と思っていた肉親同士が涙の再会を果たす場面では、司会を務めていた“泣きの小金治”こと桂小金治氏が大泣きし、見ている自分達も涙でTV画面が良く見えない有り様だった。
今も此の手の番組が時折放送されているけれど、インターネットも存在していなかった「それは秘密です!!」の放送当時、生き別れになった人を捜し出すというのは至難の業だったろう。其れが今では、インターネットを駆使すれば、個人でも今回の様な奇跡を起こせるのだから驚きだ。
「技術革新には『正の側面』が在る一方、『負の側面』も在る。」と良く指摘されるが、今回のニュースに関して言えば、「正の側面」と言えるだろう。