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タレントの大橋巨泉さんが今月12日、急性呼吸不全の為、入院先の病院で死去した。82歳だった。
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「タレント」とは抑「才能」を意味する用語だが、今は才能の欠片も感じられない様な連中迄、十把一絡げにしてタレントと呼ばれている。そんな中、大橋氏は真のタレントだったと思う。
彼の事を初めて知ったのは、「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」【動画】だったか。シュールなショート・コントで詰め込まれた、非常に面白い番組だったが、其の中に登場する“黒縁眼鏡の小父さん”というイメージだった。
4年前の記事「『親の目を盗んで見ていた番組』の司会者」の中でも触れたけれど、幼少期に親の目を盗んで見ていた番組「11PM」【動画】にて、彼の事を明確に意識に刻み込んだ。「秘湯の旅」や「裸の報告書」等のエロ企画も良かったが、ゴルフや麻雀、釣りといった“趣味企画”、「UFO&超能力特集」等の“オカルト企画”、そして時折組まれた「巨泉・考えるシリーズ」という“硬派な企画”等、硬軟入り混じった番組内容は、実に面白かった。
当時、「一心不乱に働く事が美徳。」とされていた様な時代。“働き蜂”と称された日本人の間には、レジャーという物に対する後ろめたさが少なからず在ったと思うのだが、そんな中でゴルフや麻雀、釣り等の娯楽を率先して取り上げたというのは、エポックメーキングな事だったろう。
「自身が面白いと思った事柄を軸にし、司会者として人気番組として行く。」というのが、大橋氏のスタイル。「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」や「11PM」の他にも、「お笑い頭の体操」【音声】、「クイズダービー」【動画】、「世界まるごとHOWマッチ」【動画】、「巨泉のこんなモノいらない!?」【動画】、「ギミア・ぶれいく」【動画】等々、彼が仕切った人気番組は多いし、先日亡くなられた永六輔氏同様、テレヴィ界を草創期から支え続けて来た1人だった。
「政治家になるも、無責任な辞め方をした。」等、疑問を感じる点も在ったが、個人的に彼の主張に共感を覚える事が少なく無かった。ナンシー関さんが亡くなられた際、「的を射た、痛烈な主張に、もう触れられないのか・・・。」と残念に思った物だが、同じ思いを今回も抱いている。
当ブログで何度も取り上げている「昭和9年会」。「昭和9年生まれの芸能人で構成された親睦団体。」だが、彼もメンバーの1人だった。2010年に玉置宏氏が亡くなられて以降、メンバーの訃報が続き、一番の大物が亡くなられたという感じだ。古くからのメンバーとして残るのは、財津一郎氏、森山周一郎氏、藤村俊二氏位か。
「野球は巨人、司会は巨泉。」のフレーズで知られた彼だが、或る時期からはジャイアンツに対して厳しい意見をぶつける事が増えていた。愛するが故の苦言というのも在ろうが、「『自分達さえ良ければ、何をしても許される。』という、“体制の身勝手さ”に対する怒り。」のいうのが大きかったのではないかと感じている。
今年の2月、盟友・永六輔氏と共に「徹子の部屋」【動画】に出演していた大橋氏。2人共ゲッソリと痩せられていて、正直「余り長く無いな。」と思ってはいたが・・・合掌。
幼少期、野原や川で泥んこになって遊んでいた自分からすると、「今の子供は可哀想だなあ。」と思ったりする事が在ります。物質的には未だ未だ貧しかった時代でしたが、振り返ってみれば、“心”の部分では今よりも贅沢だった気もします。
TV番組に於いてもそうで、子供番組ですら色々考えさせられたりと、上質な物が多かった。自分は「シャボン玉ホリデー」や「夢で逢いましょう」をリアル・タイムで見ていた世代では無いのですが、残っていたフィルムを特別番組内で見たりすると、ウイットに富んでいたり、優雅で御洒落さを感じたりします。
又、「11PM」では御色気の要素も在ったけれど、子供心に「大人の世界って面白そうだなあ。」という憧れを持たせてくれる企画、麻雀や釣り、ゴルフ等が取り上げられていた。大橋巨泉氏の軽妙洒脱な喋りも、今考えてみれば“大人の雰囲気”が溢れていて、“大人の番組”という感じでしたね。
で、非常に驚いたのは、「嵐を呼ぶ男」の主題歌の作詞を担当していたのが大橋氏だったという話。此れは、全く知りませんでした。彼の才能の幅広さを、改めて感じた次第です。
それからわずか10日足らずで、大橋巨泉さんの訃報。
悲しいと同時に、とても寂しいです。
で、このお三人、奇しくもテレビ創世記の1960年代、それぞれ今も印象に残っている伝説的番組において大きな足跡を残した方々です。
①ザ・ピーナッツが番組のメインキャラクターだった日テレ系「シャボン玉ホリデー」(1961~1972・毎回のタイトルが『○○だよ、ピーナッツ』でした)
②永六輔さんが構成と台本を担当していたNHK「夢で逢いましょう」(1961~1966)
そして③大橋巨泉さんが番組企画・司会を担当した「11PM」(1966~1985)
①と②は共に、毎回テーマに沿ったショートコントと、その合間に歌と踊りが挟み込まれるバラエティ番組で、私は当時どちらもテレビに嚙り付くようにして見ておりました。
①は当時人気絶頂のクレージー・キャッツのコントが面白くて、腹を抱えて笑いころげておりました。ザ・ピーナッツも歌いながら踊り、かつコントでもクレージーと息の合った所を見せる等大活躍。これは作・構成を担当していた青島幸男氏の功績も大きいでしょう。
②も①と似た構成でしたが、洋楽的な雰囲気の「シャボン玉-」に比べて、例えば“今月の歌”で歌われた歌(すべて永さんの作詞)が「遠くに行きたい」や「帰ろかな」「故郷(ふるさと)のように」といったように、どこか日本的な哀愁味を帯びた曲が多く、コントも「シャボン玉-」のスマートなギャグとは対照的にややドロ臭い、悪く言えばサムいギャグが多かった気がします。しかし歌とダンスはなかなかダイナミックで①に見劣りしませんでした。
③は書かれてますように、ゴルフや麻雀、釣り、それに美女といった、趣味とエンタメ要素を大胆に盛り込んで、これも一時代を築いた番組でした。
とにかくどれも、アイデアが斬新でした。如何にして視聴者を楽しませるか、作者たちが全身全霊を込めて知恵を注ぎ込んだ、まさに今も伝説として語り継がれる名番組でした。
これらがテレビ本放送が開始されてから、わずか8~13年の間に登場しているというのが凄い。
放送作家も、プロデューサーも、芸人、歌手も、本当に才能に溢れ、実力のある方々がキラ星の如く輩出した時代でもありました。青島、永、大橋さんらは放送作家でありながら出演も兼ねてテレビのスターになって行った(後に本を出してベストセラー作家にも)という点で、天才と呼んでいいかもしれません。
で、振り返って見るに、今の時代、こうした方々に匹敵するクリエイター、エンターティナー、これらの番組に拮抗する優れたバラエティ番組があるでしょうか。
質の劣化は絶望的です。低レベルで見るに耐えません。
テレビ放送が始まってからほぼ60年になりますが、これら初期の番組のクオリティの高さに比べて、この半世紀、テレビに関わる人たちは何をやってたんでしょうか。猛反省してほしいですね。
青島幸男さんも既に無く、永六輔さん、大橋巨泉さんが相次いで亡くなられた今、一つの時代が終わった気がします。もうあのような天才的クリエイターは二度と出て来ないかも知れません。残念です。
P.S.大橋さんについてのおマケエピソード。
1957年、当時人気絶頂の石原裕次郎主演の映画「嵐を呼ぶ男」が公開されましたが、その主題歌の作詞、表向きは監督の井上梅次となっていますが、実際は大橋巨泉さんが作詞したのだそうです。大橋さんは当時新進気鋭のジャズ評論家でしたので、ジャズドラマーが主人公という事で作詞依頼が舞い込んだのかも知れません。♪おいらはドラマー、やくざなドラマー♪という主題歌も大ヒットしました。諸事情で名前を出せなかったのでしょうか。もし作詞:大橋巨泉、と名前を出せていたら、やはり音楽評論家から作詞家になった湯川れい子さんのように、一流作詞家になっていたかも知れませんね。
傲慢な言動を見せ乍ら、憎めない御茶目さも在った大橋巨泉氏。TV番組で出演者に対し、公然と「御前」とか「馬鹿野郎」といった言葉を口にする走りだったかもしれません。
自分魅力を感じていたのは、彼の生き方に付いてでした。人気絶頂期にセミ・リタイア宣言をし、実行した。「金を稼ぐ為に働く。」のでは無く、「人生を楽しむ為に働く。」というスタイルは、とても羨ましかった。
「露出度が高過ぎれば、遠からず飽きられてしまう。」という判断から、出演番組を大幅に削ったという側面も在ったとか。「抱えている出演番組を減らす一方、出演番組のギャラ自体を上げ、トータルで収入は減らさない。」、実力を有しているからこそ出来る決断ですが、此れ又羨ましく思った物。
今から十数年前、ニュージーランドのクライストチャーチを旅しました。其の際、彼の地に彼が運営する「OKギフトショップ」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%A9%8B%E5%B7%A8%E6%B3%89#OK.E3.82.AE.E3.83.95.E3.83.88.E3.82.B7.E3.83.A7.E3.83.83.E3.83.97)が在る事を知っておりましたので、見に行ったのですが、店員の1人のルックスが大橋氏に生き写しだった。「御家族か何かですか?」と尋ねた所、「良く言われるのですが、全く無関係なんですよ。」と彼は答えていましたが、今でも「血縁関係の在る人なんだろうな。」と思ったりしています。
今の時代にも中々いない個性だと思います。メディアの時代とか、言葉の力とか言いますけれど、言葉が超えられないカリスマは、テレビでこそ、その活躍を拡散され、水を得た魚のように、情報のフローを制するのではないでしょうか。
遊びを熱心に取り上げた、という意味では、自身のセミリタイアの思想を、広めようと努力していた人かも知れません。働く事は美徳とされた時代にあって、もう一方の一生懸命遊ぶ事の意義には、巨泉さんのヒューマニズムすら感じます。メディアにあって、自分は特別な地位に居る、だから、楽しいものを楽しいと、堂々と言える態度。リタイアを喜々として語る姿からは、上昇心のない人だ、と勝手に思い込みましたが、そうではないですね。