ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

語って良いと思う

2009年04月29日 | 時事ネタ関連
以前にもチラッと書いたが、書き上げた記事を暫く“寝かして”おく事が在る。「書きたい。」と思う事柄が在ると忘れない内に記事にして、それをストックしておくのだが、それをアップするタイミングを考慮。同じカテゴリーの記事が続くのも覗いて下さる方に対して失礼な気がするので、その結果何日か寝かす事に。今回の記事もその一つ。アップするタイミングを見計らっていたのだが、実は4月25日付けの記事「『大人として恥ずかしい。』」のコメント欄で一部触れてしまっている。故にそれを読まれた方からすると、「又この話題なの?」とゲンナリされてしまうだろうが、事前に書き終えていたという事で御容赦願いたい。

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「<ジャッキー問題発言>息子のジェイシーが援護射撃、捩じ曲げ報道をチクリ-香港」(4月21日、Record China

2009年4月20日、ジャッキー・チェンが「中国人には管理が必要。」と発言し中国人の間で賛否が分かれている件に付いて、ジャッキーの息子で俳優のジェイシー・チャン(房祖名)が父を擁護する発言をした。香港紙・太陽報の報道。

ジャッキーの問題の発言は今月18日、海南省で行われたボアオ・アジアフォーラムの席上で文化活動の自由に関する質問に答え、「中国人は矢張り管理される必要が在る。台湾や香港は自由過ぎる。」としたもの。この発言に対し、インターネット・ユーザーを始め各方面から「奴隷根性だ。」、「台湾を侮蔑している。」等と反発が出ている。

これに付いてジェイシーは19日、「父の発言は何時も一部だけが取り上げられ、捩じ曲げて報道される。」とした上で、「父に悪意は無い。唯、思った事を直ぐ口にしてしまうだけ。」と擁護した。又、報道側にも、事の経緯は全体を把握してから報道して貰いたいと要請した。

一方、香港のベテラン俳優エリック・ツァン(曽志偉)ジャッキーの言いたい事は判る。でも、芸能人が政治問題に付いて語るべきでは無い。とした。ジャッキーは騒動の影響を受ける事も無く、予定通りにスケジュールを熟していると言う。
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チェン氏の言わんとしている事は理解出来るが、今回の記事の趣旨とは異なるのでそれは扨措く。取り上げたいのは「芸能人が政治問題を語る事の是非」に付いて。以前チラッと触れた気もするが、「芸能人はもっと政治問題を語って良い。」というのが私見。海外の芸能人、取り分けハリウッド・スターの中には政治問題を積極的に語る者が少なくない。それに対して我が国では、「芸能人が政治問題を語るのは好ましくない。」という考えが強い様に思われる。語る事で被る社会的不利益を恐れ、意識的に口を噤む芸能人が少なくないのではないか。

日常生活に触れた記事が目立つ、我が国の芸能人のブログ。中には擬態語や絵文字ばかりが並ぶ、意味不明な内容の物も在ったりする。そういった類いの物と比べると、に目にする「政治問題に触れた芸能人のブログ」は個人的に評価はしている。例えそれが自分(giants-55)の考えと相容れなかったとしてもだ。

唯「評価する」と言っても、それは「社会的不利益を被る危険性を覚悟した上で、きちんと私見を述べた。」という事に対する評価で在り、その内容云々に対する評価と一致する訳では無い。どんな方向性の主張で在っても最低限のリスペクトが払われる(乃至は払われる)べきだとは思うが、その為には主張する側にも守らなければならないルールが在る。先日の記事「職務質問された経験在りますか?」でチラッと触れたが、或る芸能人(具体名を記すのは控えるが。)が自身のブログで主張している内容なぞも、そんな「守らなければならないルール」を逸脱している面が少なくなく、非常に残念に思っている。

「守らなければならないルール」というのは、「一貫性が在り、公平なスタンスを取る。」という事。「ほんの一部の問題点だけを取り上げて、然もその組織に属している者全員が駄目。」としたり、「自身の愛する対象や自身の所属する組織に関する不都合な事柄は徹底的に無視、乃至は触れたとしても『全てに於いて(愛する対象は)被害者的立場で在る。』と主張。」するという類いの内容は、個人的にどうしても受け入れ難い。上記した芸能人のブログでも「自分の様に右翼的な主張をしている者は、警察官から意識的に虐められる。」と、然も「右翼的立場の者だけが被害を被っている。」といった趣旨の主張が載っていたが、これはどうかと思う。左翼的立場の者も同様に思えるからだ。

正義感が強かったり、真面目な人物の主張程、概してそういう傾向の強さを感じる。自身の中に確固たる信念が在るのだろうし、それを主張するのは個人の自由。唯、その主張を「唯一無二的に正しい。」と他者に強要するとなると、話は全く別だ。強要とは単純に「この主張だけが正しい。」と宣言する事のみを指すのでは無く、異論に対して礼を失した嘲りをしたりというのも含む。他者の非礼さや傲慢さを詰り、そして嫌悪する一方で、自身が同じ事を結果的にでもしているので在れば、それは嫌悪する対象と同類と言えよう。

他者から同意される必要は無いけれど、少なくとも最低限のリスペクトを持って貰える記事で在る為には、「一貫性が在り、公平なスタンスを取る。」というのは重要。自身の愛する対象や自身の所属する組織に関して自虐的で在る必要は全く無いが、それ以外の物に対するよりも、よりシビアな目で書かないと、「結局は身勝手なだけ。」と思われてしまうのが関の山*1

話を元に戻すが、我が国の芸能人はもっと政治問題を語って良いと思う。唯、その際には上記した「守らなければならないルール」は常に念頭に置く必要は在る。どれだけ必死で主張したとしても、ルールを逸脱した主張は多くの心に届かない。その熱意が無に帰してしまうのは、非常に勿体無いと思うし。

*1 言葉足らず故、なかなか自分の思っている事を上手く伝えられなかったりするのが情けないのだが、冒頭に紹介させて貰った記事「『大人として恥ずかしい。』」のコメント欄で、マヌケ様が書いておられる内容(2009-04-27 20:37:20)が、自分(giants-55)の真意そのものと思って戴いて構わない。

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14 コメント

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Unknown (tak)
2009-04-29 20:52:11
>そんな人たちもいっしょくたにして差別用語でひとくくりにするのはまずいでしょうね。

<マヌケ様が書いておられる内容(2009-04-27 20:37:20)>

この「差別用語」ってアタシが書いた「支那」をさしているのかな?

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>tak様 (giants-55)
2009-04-29 21:18:37
書き込み有難う御座いました。

書かれておられる点、マヌケ様への御質問か自分(giants-55)への物なのか、どちらとも取られるのですが、私見で言えば「支那」という言葉がイコール「差別用語」だとは思っていません。この辺の話は破壊王子様がしばしば書かれておられるのですが、歴史的な面からそう考えられるからです。唯、「仮に差別用語と称される言葉を使ったとしても、その心中に差別的な思いが全く無い人も居られる。」様に、「どれだけ綺麗な言葉を使っても、その心中に差別意識を秘めていう人も居られる。」訳で、要は「その文章を総合的に見て、差別的な意識が在るのか否か。」というのを忖度するしかないし、少なからずの人がその文章を読んで「差別意識に溢れているなあ。」と感じたならば、それは差別意識が在ると捉えられても仕方無いかと。

くどい様ですが、どんな対象で在れ、個人的に好き嫌いが在っても良いと思っています。それは個人の自由だし。それが差別的な思いで在ったとしても、個人の中に留めておくのであれば、それも全くの自由でしょう。個人的に受け入れ難いのは、記事に記した様なケースという事で在り、それ以上でも以下でも在りません。
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ちょいと横槍 (破壊王子)
2009-04-30 14:51:34
支那が差別語だと思っている連中の根拠は1946年に外務省が出した『中華民国の呼称に関する件』なる局長通達(放送局、新聞社宛)によるもので、『理屈抜きで先方の嫌がる文字を使うな』というものです。一見なにやら民主的な臭いがするのですが、当時は占領下にあり、連合軍および支那政府の意があって下された通達です。単に勝った方の言い草にすぎず、そんな時代に下された命令を何の疑問も持たずに受けいれ、だが『相手が嫌がるから』という理由で歴史的文言を排除しているだけです。相手が嫌がるというのは感情論であって、そこにロジックはありません。日本にのみ支那を禁圧している事実にもロクに答えられないですし。

相手が嫌がるからダメだというなら、中華民国を台湾と呼び続けることも止めるべきでしょう。それと支那本土において、この問題は問題にすらなっておりません。日本に来た留学生とかが日本人にそそのかされて問題化してる程度の話です。
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>破壊王子様 (giants-55)
2009-04-30 20:25:35
書き込み有り難う御座いました。今回はこちらにレスを付けさせて貰います。

自分も破壊王子様の所で歴史的経緯を拝読する迄は全く知りませんでしたので偉そうな事は言えない訳ですが、少なくとも「支那=絶対的な差別用語」とは言えないという思いを今は持っています。

唯、人間は感情の動物でも在ります。基本線は論理的に考慮すべきだとは思いますが、何から何迄全ての事柄から感情的な部分を100%排除出来ないし、又、人間社会で在る以上100%排除してしまうというのも違う気がするんです。

我々日本人が日本人の事を100%理解出来ている訳では無い様に、「中国本土に於いて問題にすらなっていない。」というのも「絶対的に正しい。」と断言するのは不可能。「支那」という用語に対して不快な思いを持つ人が多数派なのか少数派なのかはそれこそ神のみぞ知る事ですが、少なくとも「支那という言葉に不快感を持っている人が居るという事を“理解した上で”、わざと“意図的且つ執拗に”多用する。」というので在れば、それはどうかと思います。

口の大きな女性に対して、それが心の底からチャームポイントと思って「大口」と言うのと、明らかに相手が嫌がっているのが判っているのに、「『大口』という用語は差別用語じゃないし、それに自分が調べた限りでは、日本国内でそれを不快に思っている人は皆無。」と言い張ってしまう場合とでは、利害関係の無い第三者でも捉え方は自ずと変わる事でしょう。

「台湾」という用語も歴史的な背景を知らない場合も在り、差別用語という認識が全く無しで口にしているケースも在りましょう。それに関してはどうこう言えないし、そうなると「『支那』という言葉に嫌悪感を持っている人が居るというのを全く知らないで使用している人。」や、逆に「全てを知った上で『本土の中国人は全く問題にしておらず、使用するに全く問題無いと考える人。」に関しては、それは個人の思考だから何とも言えないとなってしまう訳ですが・・・。

少なくとも「自身が嫌と思っている事は、どんな事で在れ言われたくない。」と思っている人は、他者に対してもすべきでは無いとは言えると思います。「自分は何を言っても構わないけれど、他者からは一寸した事でも気に食わない事は言われたくない。」というのではまずいでしょうね。
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中国食品という日本企業が潰れたのは誰のせいですかね? (破壊王子)
2009-04-30 23:34:41
一応ソースは示しておきます。


中国で最大規模のポータルサイト「シナ(sina)・ネット」を経営する新浪網公司は
二十一日、本紙の取材に対し「シナ(支那)は中国へのべっ称」と一部の学者などから出
ていた改名要求を拒否する方針を表明した。「シナは英語のチャイナを語源としており、
それ自体に侮辱の意味は込められていない」というのが理由だ。

最近、「中国青年報」など一部新聞が、中国最大のネットが「シナ」を名乗るのは国辱的だと、
日本から帰国した学者などの意見を紹介する形で批判。北京大学の劉金才教授は
「日本が中国への侵略を開始するにつれ中国へのべっ称として使われるようになった。
シナは支那と発音が全く同じであり、もし日本で中国のことをシナと呼べば中国人とけんかになる」
と名称の再考を促した。

これに対し新浪網広報部は「シナは英語のチャイナの過去の発音。中国の英語名を変える必要がありますか。
シナに侮辱の意味が込められているというなら、自身の国家を強大にすればいいだけの話。
新浪網は将来、シナを世界のブランドにし、中国人が誇れる呼び名にする」と批判を一蹴(いっしゅう)。
シナ・ネットにも「欧米人にチャイナと呼ぶのを許しながら日本人にだけシナと呼ぶのを許さないのは不公平」
など同社を支持する意見が寄せられている。

[東京新聞ニュース2000年9月22日]

騒いでいるのは誰か?
『支那そば』という看板があるだけでその店には入らないといいつつ、テメエのブログで『インドシナ半島』と書いて平気な野球ライターのような馬鹿だけなんじゃないですかね?こういう輩のせいで、潰れなくてもいい会社が昨年つぶれました。無知と感情のせいとも言えるのではないですかね。路頭に迷わなくてもいい人達が苦しんだとしたら、大迷惑じゃないですか?

大口だろうがデカ頭だろうがハゲだろうがデブだろうが、その言葉を使うしかないときは例え不愉快だろうがなんだろうが使う。それだけのことです。

『必ずや、名を正さんか』

支那が生んだ世界最古にして偉大な思想家、孔子の言を持ち出すまでもありますまい。
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「支那の夜」「支那そば」「支那なべ」 (ストラングラー)
2009-04-30 23:44:42
まあ言葉というものはその時代時代によって意味が異なってきますし、昔は「馬鹿でもチョンでも」なんてよく言いましたが、「チョン」の意味を正しく知って使っていた人間は案外といませんでした。少なくとも私の年代では。(上の年代は知ってて言っていたと思います。)
また使う人間の悪意によって、実際には差別語ではなくても差別語になることもあるでしょう。今時ワザワザあえて「支那」を使う人は戦中派でなければ基本的に嫌中派、レイシストが殆どというのが現状ではありませんか。その事実が余計にこの言葉に対する偏見を生じさせると思うのですが。ごく一般の人の間では中国人当人がどう思ってるかということ抜きで、「使ってる人がなんだか気持ち悪い、怖い」「怖い人が使ってる単語」という認識が生まれていると思うんですが。特に1990年代後半以降ですね。
この方々が好んで使う「中共」なんてのも「なんとまあ大時代的な」と思ってしまうわけです。1972年以前に「中華民国」と区別するために使っていた言葉ですし、かつては新聞に普通に登場する言葉でしたけれども。

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誤解を招いて申し訳ありません (マヌケ)
2009-05-01 00:29:28
tak様個人のコメントに対する批判ではございませんので、お気持ちを害されましたらお詫び申し上げます。 どうもすみません。
中国政府のまっとうではない主張などが報道されますと、直後からヤフーニュースなどへの書き込みが瞬時に数百に達しています。 その多くが過激で汚い言葉で気分が悪くなります。 ネット上の世論の形成がいかにして一気に一方向に傾き安いかということと、レベルの低い世論に賛同することでの間違った一体感を持つこと、多数正論であるかのごとき勘違いは危惧されるべきではないでしょうか。 私が気になるのはそんな傾向が顕著にあるという点のみです。 それに付け加えるならば、だれもが見ることのできる媒体でよろしくない言葉が氾濫することも日本人の知性のレベルを下げてしまうのではないかと、これも心配なのです。 父、母や子供を前にして、あるいは礼儀や教養ある人を前にしては使えない言葉をネット上であればついつい使ってしまうというのは私自身もあることで、反省点であります。
人口11億からいる隣国のやはり知性を疑われるような一部言動を11億の総意と思い込むような錯覚は低劣な民族であるとか蔑視したり、あらぬ脅威の誇張にもつながりかねません。 取り返しのつかないくらいの血を流しても過ちは繰り返されることを私たちは学んでいます。 アメリカはベトナムの教訓を忘れ中東で手痛い傷を負いました。 軽薄な大統領をどんな大人も説得できませんでした。 オバマの誕生で不安はぬぐわれましたが、これから先の日本の指導者はどうなのでしょうね。
うちの娘たちも韓国はクサイ、ダサい、変などと言いますが、東方神起のファンですし、チュオクの剣は見ておりました。 韓国の芸能人が好きだからと言って韓国という国も好きというのは別ですし、ある国の行為がけしからんと言ってその国の全てを否定するに等しい発言もそれは違うよねという冷静な発言もあってしかるべきです。 人が自由にものを考えることができて、自由に発言することができるのは我が国では当たり前でも、それすら許されない国も存在します。 たぶん中国がかなり民主化したとは言え、不自由な国民は多く存在しているのではないでしょうか。 
嫌う時の理由に深層心理の中に知らず流れる、相手をはなから見下すような、所詮中国だからとか中国のくせにというような、知らずの感情がもしあるとするなら、それだけはよくないことですね。 私たちは大人で彼らはまだ子供なんだから未熟でも仕方ないねと言うのも見下した言い方かもしれませんが、私的にはそんな感じです。
長くなりましてすみません。

実は、信頼する若手が支社で在職死亡した時に無責任な上司にかなり攻撃的なメールをしてしまいまして、会社は穏便に事を処理しようとしたのですが、大きな問題になってしまいました。 その上司は降格処分となりまして、私も今は窓際的な処遇でいます。 あのことがなければと時々悔やむことがあります。 ネット上の自分と普段の自分の異なる過激な面を自分でも驚いたことと、悔い改めるべき反省点としていつも心がけているところです。  
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>破壊王子様 (giants-55)
2009-05-01 00:47:42
書き込み有り難う御座いました。今回はこちらにレスを付けさせて貰います。

御紹介戴いた情報を拝見すると、「支那=差別用語では無い。」と考える中国人も少なくない様ですね。唯、我が国の場合にも言える事ですが、或る組織が「我が主張に多くの賛意の声が集まっている。」とした場合でも「果たしてそれが絶対的多数なのだろうか?」と少なからずの人間が疑問を感じる様に、この場合も絶対的に多数の意見かどうかは何とも言えない所で在るとは思います。

妙な思惑から騒ぎ立てる連中は自分も好きじゃない。でも論理だけを絶対視し、感情を全て排除してしまうというのも、個人的には違うと感じています。「これこそが正しい。」という物でも無いし、考え方は色々在って良いと思っていますから、破壊王子様の様な考え方も在りかとは思いますけれど。

「その言葉を使うしかない時は、例え不愉快だろうが何だろうが使う。」というのは、その通りだと思います。自分が受け入れ難いのは、「その言葉を使う以外に在り得ない“のでは無い”のに、そしてその使用を嫌がっている人が“判っているのに敢えて”使用する。」ケース。「あいつらも滅茶苦茶言ってるから、俺達も嫌がらせで言ってやれ!」といった論理なら、それは同じ穴の狢ではないかと。

破壊王子様の論調は存じ上げておりますし、故に例外だとは思っておりますが、ネット上でこの手の用語を多用している人の中には、自分達が一寸嘲られると、それこそ狂った様に猛攻撃する者が見受けられ、「何だかなあ・・・。」と思ってしまうんです。その「一寸嘲られる」というのも、人によっては「差別用語なんかじゃないよ。」と思われる様な場合も在るのですかあ、結局は「傲慢で身勝手なだけじゃないか。」と。

くどい様ですが「その言葉を使う以外に在り得ない“のでは無い”のに、そしてその使用を嫌がっている人が“判っているのに敢えて”使用する。」ケースは、個人的にどうしても受け容れ難いです。でも、そういう人が居ても「仕方無いなあ。」とは思いますが、その存在を否定はしないし、自身の考えを強要しようとも思わないのは何度も書いている所です。
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>ストラングラー様 (giants-55)
2009-05-01 00:58:51
書き込み有り難う御座いました。

「片手落ち」という言葉も、使用している人間には全く悪意が無いのに「差別用語」とされてしまう類と言えますね。前にも記事にしたのですが、その言葉が差別と思うか否かは人によって異なるもの。100人の人間が居たとして、99人が「差別用語」と捉えても、残る1人が「差別用語じゃない。」と考える事だって在る。どう思おうが「明らかに誤りな場合」や「法律に反している場合」とかじゃない限り、他者からどうこう強要されるべきものでは無いと考えています。

唯、敢えてその用語を使う必要が無いのに、それも嫌がる人間が居るのを判っていてわざわざ多用するというのは、個人的に受け容れ難いんです。論理を絶対無二的に優先させ、感情を100%排除するというのは頭でっかちで、それこそ片手落ちの様な気がして。迎合や阿る必要は全く無いけれど、バランス感覚というのは重要ではないかと。「バランス感覚」と書くと得てして「日和見主義」的に捉えられてしまうのですが、人間社会は「黒か白か」で明確に分けられる物の方が少ないと思うし、重要な感覚だと思います。
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>マヌケ様 (giants-55)
2009-05-01 01:14:06
書き込み有り難う御座いました。

我が祖父は身内の自分が言うのも何ですが、非常に「情に脆い」人間でした。マスメディアで弱者の話を見聞すると涙し、自分とは全く縁も所縁も無い子供が両親を事故で亡くしたと知ると、資金的な援助に名乗りを上げたりと、自分はそんな祖父が好きで尊敬もしていました。しかし、そんな祖父も朝鮮人を差別しており、大蒜やキムチも「そんな朝鮮人が食べる物は食べられない。」と口にしていたのが不思議だったのですが、それもこれも幼少時からの教育が大きく影響していたのでしょうね。教育の重要さを感じると共に、逆に教育の怖さを感じもしました。

自分もネット上で「意図して過激で汚い言葉を多用している」のを見ると、ウンザリしてしまいます。相手の傲慢さ&野卑さを罵り乍ら、自分が同じ事をしてどうするの?と思ってしまうんです。相手が嫌がるのを理解した上で、「w」等の嘲りの文字を使うのも好きじゃない。そういう人に限って「『w』はニコニコという意味なんだけど、それが何か?」みたいな余りにも幼稚な言い訳をする。「そういう稚拙な言い訳は、自分の価値を下げるだけなのに・・・。」と残念でなりません。例えどれだけ素晴らしい主張をしていたとしても、それだけで全てが台無しになってしまう気がするからです。

他者に強要する気は全く無いけれど、個人的には「自分がされて嫌な事は、他者にもしない。」というのは重要だと思っています。
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