*********************************
「御嶽山噴火 『目の前で人が埋もれた。』 リュック頭上へ、魔法瓶で命拾い」(9月29日、産経新聞)
「膝迄まで火山灰が積もり、目の前で少なくとも3人が埋もれた。」。御嶽山が噴火した当時、山頂付近に居た女性3人が28日、岐阜県下呂市に下山し、当時の様子を生々しく語った。噴火後、噴煙に包まれて視界が利かず、落下して来た岩石で大勢が傷付いた。メンバーの1人は「リュックを頭に乗せていた為、中に入っていた魔法瓶で命が救われた。」と語った。
3人は千葉県松戸市と栃木県日光市の65~73歳の主婦のグループで、27日早朝から3人で入山した。
異変が起こったのは、山頂の御嶽神社社務所近くで、昼食の弁当を食べていた時だった。大きな爆発音がして、突然真っ暗になった。3人は急いで社務所近くに避難したが、あっと言う間に、灰が膝の高さ迄降り積もった。「もう駄目だと思いました。」。メンバーの1人は、強張った表情で振り返った。
付近には大きな石が落下し始め、社務所の幅約50cmの庇の下に2人が屈み込み、体が入り切れなかった松戸市の女性(69歳)は抱えていたリュックを頭の上に乗せて身を屈めた。他の登山客等と身を寄せ合った。
周囲を見渡すと、積もった灰の中にリュックや登山のステッキの一部だけが見えた。少なくとも3人が、灰に埋まっていた。頭から血を流した男性が「背中が痛い、痛い。」と苦しみ乍ら何度も呟き、30分後には動かなくなった。
女性が頭を守ったリュックの中を確認すると、魔法瓶がぺちゃんこになっていた。「リュックに命を救われた。」。大きな石の直撃を受けていた事に、初めて気付いたと言う。
3人は、自力で歩ける他の登山者等と山小屋に向かう様指示を受け、積もった灰の上を滑る様にして避難。怪我人を置いていくのは辛かったと言う。「目の前で倒れた方を、見捨てる様な形になった。早く家族の下に戻って欲しい。」と祈る様に話した。
*********************************
もうウン十年前の話だが、当時小学生だった自分は、初めて鹿児島を訪れた。親戚の家に遊びに行ったのだが、今でも忘れられないのは「桜島の噴火により、火山灰が街中に降り注いでいる光景。」だ。「乗ったタクシーのフロントガラスに火山灰が降り注ぎ、其れをワイパーが忙しなく拭き取る音。」、「『こんなに火山灰が降り注いだのは、久し振りの事。』と驚いていたタクシーの運転手。」、「黒みがかった火山灰に覆われた街並み。」等々、噴火とは無縁の地域に住んでいた自分は、強いカルチャー・ショックを受けた。
1991年、普賢岳で発生した火砕流で多くの方が犠牲になった。山裾に向かって、物凄い勢いで流れて行く火砕流【動画】を初めて目にした時、思わず身震いしてしまった。今回の御嶽山噴火、登山していて方々の証言によると「突然噴火が始まり、あっと言う間に火山灰で視界が利かなくなった。」、「軽トラック大の岩石が飛んで来た。」、「強い硫黄臭で、嘔吐する登山客が大勢居た。」、「血だらけになっている人を見掛けた。」等、地獄絵の様な状況だった様で、ニュースで映像を見ると、普賢岳の災害を思い出してしまう。
秋の行楽シーズン、其れも土曜日という事で、大勢の登山客が居た事だろう。“The unexpected always happens.”、日本語では「一寸先は闇」と言うが、彼の地を訪れていた人達は、よもや御嶽山が噴火するとは思ってもいなかったろう。亡くなられた方々も、「自分が明日、噴火に巻き込まれて命を落とす。」なんて、金曜の時点で思ってもいなかったに違い無い。本当に気の毒でならないし、又、改めて自然の怖さを感じる。