ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

無意識の内に、何かを感じていたのか?

2017年03月22日 | 其の他

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内田康夫さんが休筆宣言 未完小説、完結編は公募で」(3月21日、朝日新聞

 

浅見光彦シリーズ」等で知られる作家、内田康夫さん(82歳)が、休筆宣言をした。2015年夏に脳梗塞に倒れ、小説執筆が難しくなったと言う。シリーズとして毎日新聞夕刊に連載中に中断していた小説「孤道」は未完の刊行する一方、続編を公募して完結させる事になった。

 

毎日新聞出版によると、シリーズの累計発行部数は約9,600万部其の114冊目となる「孤道」は、2014年12月に連載が始まった。和歌山熊野古道石像牛馬童子」の首が切られて頭部が持ち去られ、地元の不動産会社社長が殺害された事件で、ルポライター浅見が捜査に協力するストーリー。謎が提示され、此れから解決という段階で、内田さんは左半身に麻痺が残り、書き続ける事が難しくなった。

 

「完結編」の募集は、本が発売される5月12日から来年4月末日プロアマを問わず、400字詰め原稿用紙で350~500枚。最優秀作は、講談社文庫から出版される。

 

軽井沢在住の内田さんは、「僕が休筆すると聞いて、浅見光彦は『此れで軽井沢のセンセに、在る事無い事を書かれなくて済む。』と思う事でしょう。でも、何方かが僕の代わりに、浅見を事件の終息へと導いて下さい。」、「完結編を書けない事が、返す返すも残念ですが、後続英才に期待します。」とコメントしている。

 

公募に付いての特設サイトhttp://www.mainichi.co.jp/kodo/)が、21日にオープンした。

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内田康夫氏は、自分が大好きな作家の1人だ。デビュー作から、全ての作品を読んでいる。故・今邑彩さんや貴志祐介氏等が“寡作の作家”とするならば、内田氏は西村京太郎氏等と並び、“多作の作家”と言えるだろう。1980年に文壇デビューして以降、此方の情報によれば、生み出した作品は「162」との事。病に倒れられる2015年迄の35年間で162作品という事は、「約4.6作品/年」のペースで刊行された事になる。其の多くが一定レヴェル以上の“質”を保っているのだから、本当に凄い作家で在る。

 

病に倒れられて以降、ずっと内田氏の回復を願っていたので、今回の休筆宣言は非常に残念。“引退宣言”では無く、飽く迄も“休筆宣言”という事なので、遠く無い将来、再び筆を執られる日が来る事を願っている

 

「亡き作家の未完作品を、別の人間が続きを書く。」というのは珍しく無いが、存命の作家の未完作品となると、そう在る事では無いだろう。敬愛する手塚治虫氏には未完作品が結構在り、「何とか、全てを完結して欲しかった。」という思いは在るけれど、だからと言って「他の漫画家に続きを描いて貰い、完結させて貰いたい。」とは思わない。考え方は色々在るだろうが、個人的に言えば「『狐道』は内田氏によって完結させて貰いたいし、其れが無理ならば、未完の儘で在って欲しい。」という気持ちが在る。

 

“浅見光彦最後の事件”という事で、小説「遺譜 浅見光彦最後の事件」が刊行されたのは2014年の夏。「何故、今、最後の事件を書いたのだろうか?」という思いが刊行時からずっと在ったのだけれど、其れから1年後に内田氏が脳梗塞で倒れたニュースを知って、「無意識の内に、何かを感じていたのか?」と思う様になった。

 

昨年書いた記事「不思議な経験」の中で、「祖父母と父が亡くなる直前、自分が経験した不思議な出来事。」に付いて記したけれど、実は後になってみると「(彼等は)無意識の内に、何かを感じていたのか?」と思う言葉が在った。

 

と診断される半年位前に祖母は、「最近、矢鱈幼少期の夢を見る。何でだろう?」と言っていた。高年齢なら未だしも平均寿命にはほど遠い年齢だったし、何より本人は全く身体の不調を感じていなかったのにだ。

 

風邪と診断(誤診!)されるも、心筋梗塞で急死した父は、亡くなる1週間程前、母と話している最中、唐突に「〇〇(giants‐55)も、昔で言えば元服の年齢を超えたし、家の事を任せても大丈夫だな。」と言ったそうだ。周りもそうだし、本人も死ぬなんて全く思っていなかっただろう状況下で、其れも唐突にそんな事を言ったものだから、母は「何言ってるの。」と一笑に付したし、父も言った後は笑っていたそうだ。

 

祖父に関して言えば、「不思議な経験」の中でも記した様に、「最後に会った際、『最後の御年玉だよ。』という言葉を口にした。」事が、今でも心に引っ掛かっている。特に体調が悪く無かった祖父が、外出先で急死したのは、其れから2週間も経たない時だった。

 

内田氏の場合も、身体の変調を、無意識の内に感じていたのではないか?そんな気がしてならない。


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