8月になると、思い出す出来事が幾つか在る。1985年8月12日に発生した「日本航空123便墜落事故」の様に明確な日付けは判らないが、“8月に起こった出来事”として強く印象に残っているのは、“人の死”に関する事だ。
1つは、今からもうウン十年前の事。妹が小学校の中学年だった時、彼女の同級生が亡くなった。同級生は男の子だったが、夏休みの旧盆、母方の祖父母の家に家族4人で遊びに行った帰り、高速道路上で交通事故を起こし、全員が亡くなるという、非常に悲惨な出来事だった。
其れ以前に父方の祖父を亡くしてはいたけれど、自分は幼かったので“リアルな死の感覚”が無かった。なので、“人の死”というのを“実質的に”身近で感じた、最初の出来事だった様に思う。
其の彼とは全く面識が無かったが、「近所に住んでいた妹の同級生が、小学校中学年という若さで、其れも一家全員が死亡した。」というのはとてもショックな出来事で、「人が亡くなるというのは、必ずしも年齢とは関係無いのだな。」と思い知らされた。
8月、海水浴に来ていた海で溺れて亡くなったのは、中学校時代の同級生。中学1年の時に同じクラスで、彼は一番背が高かった。どういう切っ掛けだったかは忘れたが、仲良くなって遊ぶ事が多かったのだけれど、2年になって違うクラスとなり、又、悪い仲間と彼が付き合い出した事から、距離を置く様になった。
そんな感じで、中学2年以降は付き合う事が亡くなった彼。卒業して20歳になった頃だったろうか、中学時代の同級生に会った際、「〇〇が、海で亡くなったの知ってる?」と言われ、彼が高校時代に亡くなっていた事を知る。
背が高く、病気知らずの様だった彼が、高校時代に海で溺死していた。親しく遊んでいたのは1年程の事だったけれど、とてもショックだった。其の時には既に父は病気で急死していたので、「人が亡くなるというのは、必ずしも年齢とは関係無いのだな。」と思わされた3度目となった。
答えの判らない問いでは在るのだが、「(父を含めた)3人が若くして亡くなったのは、生まれた時から決まっていた運命なのか?」と、昔は良く考えたし、今も時々考える事が在る。少しでも違う選択肢を選んでいたら、全く異なる人生が存在していたのだろうか?其れとも、違う選択肢を選べない運命に、元々在ったのだろうか?