時宜を逸した感も在るが、先週最終回を迎えた大河ドラマ「八重の桜」【動画】に付いて記してみたい。
歴史が大好きなので、大河ドラマは結構見て来ている。大河ドラマは「八重の桜」が第52弾という事だが、自分が見た一番古い作品は第14弾の「風と雲と虹と」【動画】で、其れ以降は「黄金の日日」【動画】、「草燃える」【動画】、「獅子の時代」【動画】、「おんな太閤記」【動画】、「独眼竜政宗」【動画】、「武田信玄」【動画】、「春日局」【動画】、「翔ぶが如く」【動画】、「太平記」【動画】、「信長 KING OF ZIPANGU」【動画】、「八代将軍吉宗」【動画】、「秀吉」【動画】、「毛利元就」【動画】、「徳川慶喜」【動画】、「葵 徳川三代」【動画】、「北条時宗」【動画】、「利家とまつ~加賀百万石物語~」【曲】、「武蔵 MUSASHI」【動画】、「新選組!」【動画】、「義経」【動画】、「功名が辻」【曲】、「風林火山」【動画】、「篤姫」【曲】、「天地人」【曲】、「龍馬伝」【動画】、「江~姫たちの戦国~」【動画】、「平清盛」【動画】と、幾つかの作品をスキップはしたが、全部で29作品を見て来た訳だ。
「八重の桜」の平均視聴率(関東地区)は16.6%で、此れは「平清盛」(12.0%)、「花の乱」【動画】(14.1%)、そして「竜馬がゆく」(14.5%)に次ぐ、大河史上4番目の低視聴率なのだとか。
「そうだろうなあ。」と思う。魅了される部分が皆無で、「良くもまあ、最低視聴率を更新しなかったものだ。」と感じるから。「『八重の桜』は何故、多くの共感を得られなかったのか?」に付いて、自分形に要因を挙げてみる。
「主人公・新島八重の知名度が、所謂“歴史上の人物”の中では、そんなに高く無かった。」というのは在るだろう。「八重の桜」によって、彼女の事がTV番組で取り上げられる機会は増えたものの、ディープな歴史ファン以外の人を“呼び込む”迄には到らなかったのではないか。
又、此れは飽く迄も私見で在り、偏見と捉えられてしまうかもしれないけれど、「『連続テレビ小説』の主人公には女性が似合うけれど、『大河ドラマ』には女性が似合わない。」というのも在る。「篤姫」の様な例外は在るけれど、大河ドラマを好んで見る層というのは「男性が主人公で、合戦シーンが見せ場の作品。」を求めている気がする。
「八重の桜」に関して言えば、ストーリー展開も良く無かった。大河ドラマが盛り上がって行くパターンとしては、「幾つかの見せ場を作って行き、終盤に合戦シーンや主要な登場人物達の“死”を入れる。」というのが在ると思うのだが、主要な登場人物達の死は別にして、「八重の桜」では合戦シーンが行き成り「前半」に来てしまった。其れ以降にも合戦シーンが無かった訳では無いけれど、「戊辰戦争」という最大の見せ場が前半だった事で、以降は尻窄み感が。中盤からは「歴史を描く。」というよりも、「一家庭を描く。」といった内向きさを感じてしまったし。
そして「『八重の桜』が多くの共感を得られなか最大の要因」と捉えているのは、キャスティングの酷さだろう。綾瀬はるかさんは頑張って演じていたとは思うが、“烈女”と呼ばれた新島八重のイメージとは、見た目も含めて全く異なる。無理をして“強い女性”を演じているのが伝わって来て、痛々しさすら覚えた。
【新島八重】
【綾瀬はるかさん】
幾ら「本人の写真は、1枚も見付かっていない。残された肖像画も、本人を描いた物では無い。」とはいえ、多くの人が思い浮かべる西郷隆盛のイメージからすると、吉川晃司氏の“西郷どん”というのも無いだろう。
【西郷隆盛】
【吉川晃司氏】
キャスティングの酷さが際立った「八重の桜」の中で、最も酷かったのは岩倉具視を演じた小堺一機氏。古くは森繁久彌氏や伊東四朗氏、近年で言えば塚地武雅氏等、「御笑い出身で、演じるのも上手い。」という人も居る。だから「御笑いの人間は芝居をしちゃ駄目。」なんて全く思わないけれど、少なくとも今回の小堺氏は論外。岩倉具視の狡猾な部分を出そうと頑張っていたのは判るが、此れ又一般的な岩倉具視のイメージとは全く異なっていたし、何よりも彼のモゴモゴとくぐもる喋り方が、抑えた声と相俟って、聞き取り辛い事此の上無かった。申し訳無いけれど、時代劇風のコントをしている様な感じ。
【岩倉具視】
【小堺一機氏】
近年のドラマは「演技の上手さなんかどうでも良く、旬の有名人をキャスティングしさえすれば、視聴率は稼げる。」という“制作者サイドの誤認識”が幅を利かせている。(「半沢直樹」が高視聴率を稼いだ事で、そういう御認識が変わってくれれば良いが。)大河ドラマも例外では無く、「龍馬伝」を除けば、近年は「明らかに『旬』という点だけ、又は『意外性』という点だけで寄せ集められた様な有名人。」のキャスティングが目立った。
来年の大河ドラマは「軍師官兵衛」。主人公の黒田官兵衛を演じるのは、「ジャニーズの中では、まあまあ演技が上手い。」と言える岡田准一氏なので期待はしているが、其の他では「何で、此の人が!?」と思ってしまうキャスティングが少なからず在った。一番違和感を覚えたのは、明智光秀を演じる春風亭小朝氏。肖像画を見る限り猛々しさは無く、女性的な雰囲気すら感じる明智光秀だけれど、小朝氏はどう見ても“公家顔”。明智光秀に扮した写真を見たけれど、「麻呂は~。」とか「~でおじゃる。」という言葉を発するのがピッタリな感じ。
【明智光秀】
【春風亭小朝氏】
実際に放送を見てみたら「意外に合っている。」と思う可能性も零では無いけれど、現段階では「意外性」という観点からだけでキャスティングされた気がしてならない。
「虐めた側は其の事を直ぐに忘れても、虐められた側はずっと忘れない。」とか、「勝者は敗者の苦しみに思いが及ばない一方、敗者はずっと苦しみを抱えて生きて行く。」とか、立場の違いは良く指摘される所ですよね。
日本が此処迄の発展をして来た一方で、沖縄や東北地方等、“切り捨てられて来た”様な地域が在るのも事実。安倍首相には否定的な思い許りしか無い自分ですが、(散撒きな面は気になるものの)沖縄県への今回の“配慮”は評価しています。
私、実は同志社出です。沿革に載っていた様な話が「だいぶ美化」されてですが、映像化されていたのは感慨深かった。確かに部外者には受けんぞこりゃ、と心配しました(笑)。熊本出身者の話は有名(あんないいもんじゃない。もっと野蛮)。だからかその縁で九州出身者がやたら多いし、幅を利かせてたのも私の衣同じでした。今の九州青年はもうちょっとスマートでしょうが、あの当時は…。特に熊本人対福岡人の対決!苦手だった!宮崎とか長崎の人は穏やかです。
学生運動?というか自治会チックな人たちが強いのは伝統やなとも思いました。アジ落書きなんて100年後と大して変わらん…。でも5年前行きましたら、清潔でビックリしました。うそー、と。自治会が弱体化して、中核やカクマルに乗っ取られそうになって、「そんなぐらいなら」と解散してしまったのも知ってましたけど。だからか厄介なサークルが多かったであろう文系を本キャンパスに戻してるし…。
それほど声高ではないですが、九州人がなぜか京都に集まり、その後中央や各地に行った→地元には学問したり産業興す人材はあまり残らず、中央との格差が…(高知や鹿児島が良い例)、こういうのも感じさせたのではないでしょうか。龍馬デンもそうでしたね。
大河は45分番組なので歴史大真面目番組だと根気が毎週続かないというのが実は衰退の理由ではないでしょうか。来年はどうかなー。中年男向け硬派内容だったら、中身の出来が良くても苦しいでしょう?清盛はフクザツでしたし。
時代劇チャンネルで独眼竜とか草燃える見たらと演技が新国劇か新劇、新派か!という感じで衝撃でした。たった25~35年前なんですけどね。でもあれぐらい古臭いほうが大げさで分かりやすくて時代劇っぽくて受けるのかも。竜馬のときの香川とかそうでしたし。
同志社の「熊本バンド」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E6%9C%AC%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%89)の話は、恥ずかし乍ら、此のドラマで初めて知りました。同志社というと「良い所の子女が通う、優秀な大学。」というイメージでしたので、ああいうバンカラな雰囲気というのは、部外者の自分には驚きだったし、新鮮でも在りました。
「近年、老若男女を問わず、堪え性の無い人が増えている。」なんて話は、良く見聞しますね。集中力を維持出来る時間が、大幅に減っているとも。御笑い番組を見ていても、昔の様に「起承転結が在って、じわじわと笑わせる。」というスタイルが減り、「瞬間的な笑いが主体。」となっているのも、堪え性が無くなっている風潮からではないかと。だからAK様が指摘されている様に、「45分間という時間ですら、見続ける事に今季が続かない。」というのは、在りそうな気がします。
「八重の桜」、個人的にはメリハリの無さも気になりました。そういう点も改良しないと、多くのファンを獲得するのは難しいかもしれません。
私の頃はホント、混沌グチャグチャ暴力パンクシラケでした。百田君もその渦中だったでしょうなあ。
京大か同志社かという時代の名残です。今は京大だけでしょう。5年前行ったときのあまりの平和さ清潔さには浦島太郎より愕然としました。(京大の有名な寮やら全共闘版靖国神社と呼ばれた西部講堂ついでに行ってぼろくなってたがまだあってなぜか少しほっとした)
ま、お嫌いでしょうし、迷惑でしょうから無視されて構いませんが、下の加藤登紀子とだんなさん(同志社)の対談が多少は参考になるでしょう。
http://www.sanseido-publ.co.jp/publ/tokiko_fujimoto.html
読んで藤本先輩はある意味熊本バンド精神の嫡流だったのだなあ、と感じました。
>45分
朝ドラの15分と地上波とBSで1日4回放送は絶妙ですわ。
もう30年以上前になりましょうか、早稲田大学の学生で「大阪太郎」氏というのが、しばしばメディアに登場していました。此方(http://dawase86.exblog.jp/13933789)にも記されていますが、ピンクの学生服に角帽を被り、下駄を履いて構内を闊歩するという、早稲田のバンカラさを体現する様な人物。個人的にはバンカラな雰囲気が好きなので、非常に印象に残っている訳ですが、今の早稲田大学の学生達は御洒落で、そういった雰囲気は無いですね。と言うか、“大学毎の色”というのが余り無くなり、均一化されて来た様な感じも。
“おときさん”、彼の嫋やかな中にも強い芯を秘めた所が、結構好きだったりします。
私が考える大河ドラマの三大要素は「伝記・スペクタクル・人物相関(家族愛や主従の絆、勢力分布など)」です。これらを兼ね備えるとなると、どうしても戦国か幕末、平安末期に偏ってしまうのは致し方ないかもしれません。一方、大正・昭和だと当事者の関係者がまだ存命であるケースもありますし。『八重の桜』は一応この三大要素を満たしてはいるのですが、前半のスペクタクルが壮絶なだけに後半は苦戦を強いられたのではないかと。
私としては、大河は1つの作品を1年間でなくてもいいのではないかと思っています。2つの作品を半年ずつやれば、テンポよく描けて視聴者もついてこられるのではないかと考えます。
2つの内戦という形でスペクタクルを前半と後半それぞれに持ってこられますし、幕府方・新政府側双方の人物、著名な蘭学者との絡みも結構出てきます。また、出身地の久留米、医学を学んだ大阪とパリ、従軍した函館、罪人として預かり処分(名医なので預かり担当を希望の藩が続出)となった徳島、開業した浅草など、ゆかりの地が方々にあるというのは、紀行好きの人にとっても面白いし、身も蓋もない話ですが商業的にもおいしい。
そして、凌雲の「相手の立場や属性にかかわらず公平公正に接する」ことと、「相手の事情に応じたきめ細かい対応」とを両立する姿勢を描いてほしいと思っています。
「1年間、同じ題材で放送するのは、視聴者も飽きてしまうのではないか?」という理由も在ったと聞いておりますが、嘗て「2クール(半年)」で完結した大河ドラマが在りました。 1993年1月10日~6月13日に掛けて放送された「琉球の風」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%89%E7%90%83%E3%81%AE%E9%A2%A8_(NHK%E5%A4%A7%E6%B2%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E))がそうで、東山紀之氏が主役。自分は見なかったのですが、「主人公が架空の人物。」、「テーマが地味。」等の理由から、視聴率は芳しく無かった様で、以降は「半年作品」が制作される事は無くなりました。
真偽の程は不明なれど、昔良く言われたのは、「大河ドラマの舞台は、受信料の徴収率が低い地域を選び、其の地域の人達が喜んで支払う様に持って行く。」なんて話が在り、「琉球の風」もそんな1つと言われていたりも。
日本人って、「勧善懲悪物」や「判官贔屓な話」に魅了されますよね。自分もそんな1人なのですが、そういう要素を満たし、尚且つそこそこの知名度を有する人物を主役に据えないと、視聴率的には厳しいのかもしれません。
大正や昭和の時代の人物を描くのは、色々支障が出るでしょうね。描く角度によって、「白」とも「黒」ともなりましょうから。個人的には、昭和初期から終戦辺り迄の歴史が特に好きなのですが。
「松平容保公は國學院にも所縁のある方なので楽しみに見ていました。もっともその辺は描かれないこともわかってましたが」とのこと。東照宮の宮司やっていたことは知ってましたが、國學院の母体であった「皇典講究所」の東京と栃木の監督であったこと、更に皇典講究所の初代所長山田顕義(長州出身)は嗣子が早世したので、実娘の婿に容保3男を迎え、家督相続させていたとのこと。ちょっとビックリしました。
この皇典講究所というと明治イデオロギー(国体)の本山。今では死んだ概念のようでありつつ、かつ内部抗争激しいですが、神社本庁が安倍派(といっていいのかな、稲田朋美とか)の熱心な支持団体の一つであることを考えるとまああまり深くは描かれなかったですが、容保の背景、子孫のその後、今の政治に繋がるなあと。