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勝つ事を第一目標に掲げる弁護士の重盛朋章(福山雅治氏)は、殺人の前科が在る三隅高司(役所広司氏)の弁護を渋々引き受ける。首になった工場の社長を手に掛け、更に死体に火を付けた容疑で起訴され、犯行も自供しており、略死刑が確定している様な裁判だった。然し、三隅と顔を合わせる内に、重盛の考えは変化して行く。三隅の犯行動機への疑念を、一つ一つ繙く重盛だったが・・・。
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2103年、第66回カンヌ国際映画祭審査員賞を受賞した「そして父になる」。此の作品で主役を演じた福山雅治氏と是枝裕和監督が、再度タッグを組んだ法廷物が映画「三度目の殺人」。「そして父になる」が良い作品だったので、「三度目の殺人」を観に行く事に。
以前から思っていた事だが、日本の裁判は非常に硬直化している。簡単に言ってしまうと「被告人の糾弾」が検察官、「被告人の弁護」が弁護士、そして「彼等の主張を元にして、被告人を裁く。」のが裁判官の役割なのだけれど、三者が「真実を明らかにする。」というよりも、「自身の手柄を立てる。」事を最優先にすべく、其の為に型に嵌めたがっている様に感じるからだ。具体的に言えば、「検察官は被告人を有罪にすべく、ストーリーを作り上げ、弁護士は無罪にすべく、事実とは異なる設定を被告人に入れ知恵し、裁判官は自身のノルマを達成して“成績”を上げるべく、“相応しい方向”に結論を持って行く。」という傾向が、近年、強まってはいまいか?そういう感じがしているので、“法廷戦略”に汲々としている連中が登場する此の「三度目の殺人」には、「何だかなあ・・・。」という思いが。
殺害された被害者の妻・山中美津江が最初に登場する場面は、重盛が山中家を訪問し、三和土で待っていると美津江が奥から登場する所なのだが、「誰が演じているのだろうか?」と思って観ていたら、俯いて暗い表情の斉藤由貴さんだった。「被告人と不倫し、夫の殺害を依頼したのでは?」という疑いを掛けられる役所も在り、“不倫という余りにタイムリーな一致”に思わず苦笑してしまった。
原作を読んでいないので何とも言えないのだが、映画を観る限りでは、実に消化不良な内容。タイトルの「三度目の殺人」とは、30年前の殺人事件、今回の殺人事件、そして今回の殺人事件によって三隅が死刑という形で“自身を殺す”事を意味しているのだと思うけれど、何が真実なのかハッキリしない描かれ方なのだ。「エンド・ロールの後に、何か描かれるのかな?」と思って最後迄観ていたのだが・・・。
重盛が三隅に向かって「貴方は、只の器?」と口にした所で、此の作品は終了する。「『器』とは、どういう事なのか?」というのを想像するしか無いのだが、恐らく「三隅は自分自身という物を持たない空っぽの器で、其処に他者から何かを入れられる事で、其の色に染まる。」という三隅の空虚さを意味しているのだろう。
そんな訳で、モヤモヤ感が強く残る内容。総合評価は、星3つとする。