昨日の「飯島愛さん死去」という報にはビックリさせられた。数日前から飯島さんと連絡が取れないのを不審に思った知人が飯島さんの自宅マンションを訪ねた所、室内の居間で俯せになって倒れている彼女を発見。病院に搬送されるも、死亡が確認されたと言う。「椅子に座ったままの状態で発見された。」という異なる報道もされており、死因も含めて未だ不明な点は多い。
あの開けっ広げな性格が好きだったので、今回の訃報には残念な思いが。36歳での死は、余りにも若過ぎる。自殺説も取り沙汰されているが、もしそうだったとしたら、「開けっ広げな中にも繊細さが感じられた彼女だけに、様々な人間関係に疲れ切ってしまったのかなあ。」と。又、病死という事で在れば、「薄れ行く意識の中で、誰かに助けを叫んでいたのではないか。」という想像をしてしまい、堪らなく可哀想に思ってしまう。合掌。
話は変わるが、来年1月からフジテレビ系列で放送される連続ドラマ「ありふれた奇跡」の会見に脚本を担当した山田太一氏が出席し、「連続ドラマはもう書かないと思う。都はるみさんは(引退した後)又歌ったけど。大変でも在るし、もう死んでも良い年。2時間ドラマにしたって、書いているのが不思議な時も在る。」と、この作品を最後の連続ドラマとする意向を表明したと言う。
前にも書いたと思うが、山田氏は自分が好きな脚本家の一人。「高原へいらっしゃい」や「岸辺のアルバム」、「獅子の時代」、「終りに見た街」、「ふぞろいの林檎たち」等々、彼が脚本を手掛けた作品に忘れ難い物は少なくない。そんな彼が連続ドラマからの“引退”を表明したというのは、ファンとして寂しい限りだが、「もう死んでも良い年。」という彼の言葉には感慨を覚えた。先日、王貞治氏の尊兄が亡くなられたが、その年齢は78歳。今年で74歳となった山田氏とは、4歳しか違わない事になる。それを考えると、彼が「もう死んでも良い年。」と思うのも判らないでは無い。「人生の幕引きに向けての準備に入る。」という思いも在るのだろう。
1979年に女優業から引退された高峰秀子さん(84歳)。何年か前に彼女が雑誌のインタビューに応じていたのだが、印象的な発言が在った。必要最低限の物以外は一切合財の私有物を処分した事に付いて、「人生の最晩年に入って、必要な物以外は全て処分して身軽になろうと思った。」という趣旨の発言だったが、「あの世に物を持って行ける訳でも無し、だからと言って残すべき物でも無い。」という思考が感じられ、その潔さに共鳴してしまった。自分が最晩年を実際に迎えた際、その様な潔さを見せる事が出来るかは甚だ不安も在るが、人生の幕引きに向けての準備はしっかりしたいと思っている。
あの開けっ広げな性格が好きだったので、今回の訃報には残念な思いが。36歳での死は、余りにも若過ぎる。自殺説も取り沙汰されているが、もしそうだったとしたら、「開けっ広げな中にも繊細さが感じられた彼女だけに、様々な人間関係に疲れ切ってしまったのかなあ。」と。又、病死という事で在れば、「薄れ行く意識の中で、誰かに助けを叫んでいたのではないか。」という想像をしてしまい、堪らなく可哀想に思ってしまう。合掌。
話は変わるが、来年1月からフジテレビ系列で放送される連続ドラマ「ありふれた奇跡」の会見に脚本を担当した山田太一氏が出席し、「連続ドラマはもう書かないと思う。都はるみさんは(引退した後)又歌ったけど。大変でも在るし、もう死んでも良い年。2時間ドラマにしたって、書いているのが不思議な時も在る。」と、この作品を最後の連続ドラマとする意向を表明したと言う。
前にも書いたと思うが、山田氏は自分が好きな脚本家の一人。「高原へいらっしゃい」や「岸辺のアルバム」、「獅子の時代」、「終りに見た街」、「ふぞろいの林檎たち」等々、彼が脚本を手掛けた作品に忘れ難い物は少なくない。そんな彼が連続ドラマからの“引退”を表明したというのは、ファンとして寂しい限りだが、「もう死んでも良い年。」という彼の言葉には感慨を覚えた。先日、王貞治氏の尊兄が亡くなられたが、その年齢は78歳。今年で74歳となった山田氏とは、4歳しか違わない事になる。それを考えると、彼が「もう死んでも良い年。」と思うのも判らないでは無い。「人生の幕引きに向けての準備に入る。」という思いも在るのだろう。
1979年に女優業から引退された高峰秀子さん(84歳)。何年か前に彼女が雑誌のインタビューに応じていたのだが、印象的な発言が在った。必要最低限の物以外は一切合財の私有物を処分した事に付いて、「人生の最晩年に入って、必要な物以外は全て処分して身軽になろうと思った。」という趣旨の発言だったが、「あの世に物を持って行ける訳でも無し、だからと言って残すべき物でも無い。」という思考が感じられ、その潔さに共鳴してしまった。自分が最晩年を実際に迎えた際、その様な潔さを見せる事が出来るかは甚だ不安も在るが、人生の幕引きに向けての準備はしっかりしたいと思っている。
「あんたはまだまだこれからの人だから、腹痛とか起こさないように食べちゃだめ。おかーさんはもはやこれまでの人だから食べる」
あと部屋の掃除をせい!とむすめをしかるときには
「この部屋を残して死ねない!と思わんか??」矛盾だらけの母です。
そして、最期のときには眠るように痛くないといいなぁって・・贅沢ですね、わたし。
>「岸辺のアルバム」
私のベスト。
あれを超えるドラマってなかなかないっす。
>山田太一氏
同じ局で1983年に放映された「早春スケッチブック」が印象に残っています。
ただ、近年はどこか現実社会とのずれの大きい作家になっている印象がありました。
橋田さん、倉本さんもそうですが、長セリフ、几帳面な喋り方をする登場人物たちというのが今の社会と視聴者に合わなくなったのかナ、と感じます。
しかし、倉本さんの「風のガーデン」が非常に力強い作品だったので、山田さんの今回のドラマにも期待を寄せたいと思います。
インフルエンザも流行っているそうですので、くれぐれもお体にはお気をつけてくださいね。素敵なクリスマスをお過ごしください。
マヌケ様の御祖父様の事を存じ上げませんので何とも言えないのですが(笑)、唯、人間は誰しも欠点を有している物。勿論、その度合いは人によって異なりますが、万が一御祖父様の事をマヌケ様が「迷惑極まりない存在」と思っておられたとしても、御祖父様を反面教師にして来られたという良い部分も在ったのではないでしょうか。そして何よりも、今のマヌケ様がこの世に存しておられるのは、御祖父様と御祖母様が居られたからこそ。マヌケ様の幸せな御家族も、彼等無しには存在し得なかった訳で、そう考えると悪い事ばかりでは無いと思います。
「自身が大事にして来られた物は捨て難い。」という御気持ちは良く判ります。家族との思い出の写真等もその一つですが、例えば50年後に思いを馳せた時、「果たして子孫は、その写真をどう捉えるだろうか?」と考えてしまうんです。例えば自分の場合、リアルに接して来た祖父母の写真には懐かしさを覚えるけれども、では「曾祖父母の写真に付いてはどうか?」と問われると、御先祖様への敬意は在りこそすれ、懐かしさというのは当然無い。人によっては、“見知らぬ人”の写真を保管し続ける事に面倒臭さを感じるやもしれません。それを考えると、自分が亡くなる際には写真も処分しようかと思ったりもしています。
「早春スケッチブック」も印象深いドラマでしたね。「ふぞろいの林檎たち」の様な例外も在りますが、山田太一氏のドラマって放送当時は視聴率的に芳しく無く、後からジワジワと評価が高まって行くパターンの作品が多かった様に思います。「早春スケッチブック」も、そのパターンだった様な・・・。
子育て等に振り回され乍らも、充実した楽しい日々を送られているsyuu様の様子が、文面から伝わって来ました。昨日のクリスマスも、さぞや賑やかに過ごされたのではないでしょうか。
自らがあの世に召される瞬間、「嗚呼、楽しい人生だったなあ。」と笑みを浮かべられる生き方を自分もしたいなと思い続けているのですが、言うは易く行うは難しとは正にこの事かと。
御気遣い戴き、深謝に堪えません。syuu様及び皆様方も、御身体には留意下さいませ。
或る人が卑猥な事を口にした際、それがとてもウエットで汚らわしさすら感じてしまう場合も在れば、逆にあっけらかんとしていて後に残らない場合も在る。飯島愛さんの場合は、典型的な後者のケースだったと思っています。辛辣な事を口にしても、その根底に相手の気遣いが感じられる。それ迄歩んで来られた波乱の人生から妙に達観した部分が在る一方で、色んな事に対して素直に「何故?何故?」と聞けるピュアさが在ったりと、実に魅力的な女性でした。本当に残念です。