今日の記事は、通算3千件目に当たる。当ブログを立ち上げた2004年7月17日、究極の目標としていたのが「張本勲氏の代名詞で在る『日本プロ野球史上、唯一の3千本安打達成者。』。」に因み、「通算3千件の記事達成」だった。「100%無理。」と考えていたのだが、2009年11月17日に通算2千件の記事を達成した辺りで、「もしかしたら、達成出来るかも。」という思いに変わった。其れから2年8ヶ月が過ぎ、「トータル閲覧数」が500万PVを突破し、そして通算3千件の記事を達成したというのは、非常に感慨深い物が在る。
究極の目標を達成した今、次なる目標は「MLBに於ける通算最多安打数の4,256本(ピート・ローズ氏)。」に因んで、「通算4,256件の記事達成」とした。毎日1件の記事を書いても、3年5ヶ月近く掛かる計算なのだけれど・・・。
で、通算3千件目の記事は、「一掛け二掛けて」(動画)に付いて。「一掛け二掛けて」と書いても、「何の事?」と思われる人も居る事だろう。「童歌」を知らない子供達が珍しくなくなった昨今だけれど、童歌の中でも「遊び歌」というのが在り、「一掛け二掛けて」も其の1つ。小学校の低学年の頃、クラスの女子達が御手玉をし乍ら口遊んでいたのが、此の歌を知った最初だった。うろ覚えだけれど、其の歌詞は次の通り。
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「一掛け二掛けて」
一掛け 二掛け 三掛けて
四掛けて 五掛けて 橋を架け
十七、八の姉様が 花と簪 手に持って
これこれ姉様 何処行くの
御墓参りに参ります
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ずっと此の歌詞で覚えていたのだが、長じてから「もっと長く、尚且つ『違う歌詞』が結構在る。」のを知った。詳細は此方に紹介されているが、抜粋してみると次の通り。
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「一掛け二掛けて」
①
一掛け 二掛けて 三掛けて
四掛けて 五掛けて 橋を架け
橋の欄干 手を腰に 遥か向こうを 眺むれば
十七、八の姉さんが 片手に花持ち 線香(せんこ)持ち
姉さん姉さん 何処行くの
私は九州鹿児島の 西郷隆盛 娘です
明治十年三月に 切腹なさった 父上の
御墓参りを致します
②
一掛け 二掛けで 三掛けて
四掛けて 五掛けて 橋を架け
橋の欄干 手を腰に 遥か彼方を 眺むれば
十七、八の姉さんが 花と線香を 手に持って
もしもし姉さん 何処行くの
私は九州鹿児島の 西郷隆盛 娘です
明治十年の戦役に 切腹なさった 父上の
御墓参りに参ります
③
一掛け 二掛けて 三掛けて
四掛け 五掛けて 六掛けて
橋の欄干 腰掛けて 遥か向うを 眺むれば
十七、八の小娘が 片手に花持ち 線香持ち
御前は何処かと 問うたれば
私ゃ九州鹿児島の 西郷の娘に御座います
明治十年戦争に 討死なされた 西郷さん
御墓参りもせにゃならぬ
④
一掛け 二掛け 三掛けて
四掛け 五掛け 六掛けて
七の段落 手を腰に 右手に花持ち 線香持ち
姉さん姉さん 何処行くの
私は九州鹿児島へ えー 3月3日 父上死んだ
御墓参りに参ります
⑤
一掛け 二掛けて 三を掛け
四掛けて 五掛けに 橋を架け
橋の欄干 腰を掛け 遥か彼方を 眺むれば
十六、七の姉さんが 片手に線香 花を持ち
姉さん姉さん 何処行くの
私は九州鹿児島の 切腹なされた父上様の
御墓参りに参ります
⑥
一掛け 二掛け 三掛けて
四掛けて 五掛けて 橋を架け
橋の真ん中(まんな)に 腰を掛け 遥か向うを 眺むれば
十七、八の姉様が 片手に花持ち 線香持ち
姉さん姉さん 何処行くの
私は九州鹿児島の 西郷隆盛 娘です
明治十年十二月 切腹なされた父上の
御墓参りに参ります
⑦
一掛け 二掛けて 三掛けて
四掛けて 五掛けて 橋を架け
橋の欄干に 腰を掛け
遥か向こうを 見渡せば
一七、八の姉さんが 花と線香 手に持って
姉さん姉さん 何処行くの
私は九州鹿児島の 西郷の娘と申します
十年先の戦争に 父は討たれて死にました
⑧
一掛け 二掛け 三掛けて
四掛けて 五掛けて 橋を架け
橋の欄干 手を腰に 遥か向こうを 眺めれば
十七、八の姉さんが 花と線香を 手に持って
これこれこれこれ 何処行くの
御墓参りに参ります
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一番驚いたのは、「西南の役で亡くなった西郷隆盛の名前が盛り込まれた歌詞」が多かった事。子供の頃は深く考えもせずに「私は九州鹿児島の 切腹なされた父様の♪」と口遊んでいたが、「九州鹿児島」となると、確かに西郷隆盛を歌った童歌というのがしっくり来る。
そうなると「花と簪 手に持って♪」では無く、「花と線香 手に持って♪」が正しかったのではないかという気がする。人から人へと伝わる過程で、誤った歌詞になったのかもしれない。
書き込みを拝読し、改めて此の歌には様々なヴァージョンが在る事を知りました。記事でも書きました様に、自分が聞いていた歌には「西郷隆盛」が全く登場していなかったのですが、石ちゃん様が御母様から教わった歌には、矢張り西郷どんが登場するんですね。「御墓の前で手を合わせ 南無南無南無と拝んだら 西郷さんの魂が 幽霊になって飛んでった。」というのも、ユニークさが感じられ、「へー。」と思いました。他にも地域によって、色々在りそうですね。
今後も、何卒宜しく御願い致します。
この“西郷さんの歌”を検索してこのページにたどり着きました。2002年の古い記事ですが読んでいただけると嬉しいです。
口伝の歌詞をいろいろと比較しているのが、興味深いです。
私の母から教わったのはまたちょっと違うのでシェアーしたくなりました。お手玉遊びの歌として教わりました。母と私のふるさとは千葉県です。
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一掛け二掛けて三掛けて
四掛けて五掛けて橋を掛け
橋の欄干 手を腰に
遥か向こうを見渡せば
十七八の姉さんが
花と線香を手に持って
姉さん、姉さん、どこ行くの?
私は九州鹿児島の
西郷隆盛娘です。
明治十年三月に
切腹なされた父親の
お墓参りに参ります。
お墓の前で手を合わせ
南無南無南無と拝んだら
西郷さんの魂が
幽霊になって飛んでった。
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以上です♪
誰しも自分が応援するチームの選手の活躍は嬉しいものですが、生え抜き選手の活躍は特に嬉しいもの。高橋(由)選手の場合は怪我が多かっただけに(プレーに夢中になり過ぎて、ついつい無理をしてしまうからで、其れは其れで責められないのですが。)、「やっと300号か。」という思いも在ります。「たられば」を言っても詮無い事ですが、怪我が無かったらタイトルの1つ2つはとっくの昔に取っていてもおかしくない程、才能に満ち溢れた選手と思っているので。
「英雄」と称される人達の中には、「私心」が前面に出てしまった人も少なくないけれど、西郷隆盛の場合は其の私心の無さが良く指摘されますね。愚直と言えば、此れ程愚直な生き方は無い。でも、私心が無く、愚直だからこそ、愛する人も多いと言えましょう。
“人としての”大久保利通というのは、自分も好きでは無い。でも、彼の時代を率いて行くには、彼の様なスタンスは求められたのだろうなという気もしています。西郷隆盛や大久保利通、坂本龍馬、高杉晋作等々、今になってみれば「時代の1つの歯車に過ぎなかったんだなあ。」という思いが在ります。唯、だからと言って、彼等の1人でも欠けていたなら、「今」という時代は存在しなかったとも思う。歴史というのは、本当に面白い物です。
名球会入りが当面の目標ですかな。w
大変な記録達成、おめでとうございます。ヽ(゜▽゜)(゜▽゜)o∠※PAN!。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★゜'・:*
西郷さんは地元への義理堅さゆえに命を落としたわけだけど、それ故に敬愛されている。
南しんぼうという人が歴史上の人物のコスプレをして旅行へ行くという本を読んだとき、西郷の格好をして鹿児島に行ったら、何処へ行っても丁重な扱いを受けたそうです。郷土の偉人を馬鹿にするなと怒られそうなもんなのに、意外な反応だなあと思いました。
逆に大久保利通には厳しいそうですね。
鹿児島とは縁もゆかりもないのですが、なぜかうちの蔵に西郷氏の肖像画がありました。曽祖父在命中に買って飾ってあったらしいです。
「一掛け二掛けて」に様々な歌詞が存在するのは、「恐らく口伝えして行く過程で、様々な“変化”をして行ったのだろう。」と想像はしていたのですが、其の前にも歌詞が在ったというのは知りませんでした。寺社仏閣の名称が読み込まれていたという事で、凄く勉強になりました。
1877年9月3日、火星が地球に大接近した際、其の明るい赤い光が火星の物とは判らなかった庶民達の間から、「急に現われた異様に明るい星の赤い光の中に、陸軍大将の正装をした西郷隆盛の姿が見えた。」という噂が飛び交ったそうです。所謂「西郷星」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%83%B7%E6%98%9F)なる噂ですが、此の年に西南の役で亡くなった西郷隆盛を惜しむ人達が如何に多かったかを表す逸話。
「一番初めは一の宮、二また日光東照宮・・」と続きます。
で、十で東京泉岳寺・・のあと一かけ二かけて・・と続くのです。
西郷さんのやったことって・・すっごく影響が大きかったってことですよね・・。