ジャイアンツ時代の10年間で332本のホームランを放った事を考えると、今頃は600本近いホームランを放っていてもおかしくは無かったのだろうけれど・・・何はともあれ、松井秀喜選手、日米通算500号ホームラン達成おめでとう!!
さて「『男と女』は良い映画だったなあ。『ダバダバダ』というスキャットだけで構成された主題歌(曲)も良かったし。」とは思っているが、今日はそういう話を書く訳では無い。書きたいのは、「男と女の違い」に付いて。
「差別は出来るだけ無くすべき。」だけれど、「男性」と「女性」という違いが在る以上、「性差」が存在するのは当然だと思っている。「何から何迄男女平等。」というのは現実的では無いと思うし、もし「男女は100%平等でなければならない。」と主張するならば、「メンズ・プランやらレディース・プランといった、自身にメリットの在る特典をも否定しなければ理屈に合わない。」だろう。
男と女には様々な違いが在るけれど、“概して言えば”「男は女よりも、子供っぽい部分を有している。」様に感じる。小学校の中学年辺り、同級生の女の子達が急に大人びて感じたもの。胸が膨らみ始めた等の肉体的な変化も然る事乍ら、精神的にもグッと大人になった様に思えた。所謂「第二次成長期」には、男子よりも女子の方が一足早く成長し勝ち。女子の大人っぽさに眩しさを感じる一方で、そんな気持ちを女子に見透かされない様に意味も無く囃し立てたりと、此の年代の男子は総じて子供っぽい事をしていたものだ。
遅れて第二次成長期を迎えた男子は、軈て女子の成長レヴェルに追い付く。男も女も「子供っぽさ」が消えて行くのだけれど、内面的には男の方が女よりも子供っぽさを捨て切れないのではなかろうか。男の自分は、そんな気がしている。
何年か前、高校時代の同級生が集まり、飲み会を行った。中年という年代に入って結構経ち、中には思春期を迎えた子供を持つ者も居た。そんな中の1人(彼とは学生時代に良く、一緒に悪さをしたけれど。)が突然、「何年か前からオークション等で『仮面ライダー・カード』を買い集めていて、もう一寸でコンプリートなんだよ。」と言って来た。
1971年から1973年に掛けて発売されたスナック菓子「仮面ライダースナック」には、「仮面ライダー」(動画)に登場するキャラクターが印刷されたカードが御負けで付いており、当時の子供達の間では爆発的な人気を誇っていた。ゲットしたカードを同級生に見せ合ったりしたものだが、小遣いも限りが在る子供故、集められる枚数も高が知れている。最終的には全部で500種類以上在った様だが、子供の頃に集められなかった悔しさを、其の彼は「大人買い」で晴らしていたのかもしれない。何とも嬉しそうに話している彼を見て、「良いなあ。」と自分も嬉しくなってしまったっけ。
事程左様に、男は幾つになっても子供っぽい部分を残している。斯く言う自分も、例外では無い。先日には「ライダー大集合!」というイヴェントで「38年間憧れ続けたヒーローに会い、大感激をした。」し、「仮面ライダーX」(動画)で主人公・神敬介を演じていた速水亮氏(彼も、同イヴェントに参加されていた。)が御自身のブログで「(イヴェントの)打ち上げパーティーが在り、其処に実はファンも潜り込めた事や、潜り込んだファンに対して彼が『写真等ライダーと撮って貰い、楽しみなさい。』、『どんどん撮りなさい。』と仰った事。」が紹介されているのを拝読し、「ファンに対する思い遣りが深いなあ。」と嬉しく思うと共に、「あー自分も紛れ込みたかった。ライダー達と一緒に、写真を撮りたかった。」なんぞと本気で悔しがったりしたのだから、何とも子供で在る。
ところで、私が思うに、年齢を重ねるということは、男は積み重ねる。女は通り過ぎるということではないでしょうか。
男は、少年の上に青年を積み重ね、その上に中年を積み重ね、さらに、その上に老年を積み重ねているのではないでしょうか。だから、男には、いくつになっても、「少年」が底の方に残っています。
女は、少女→若い娘→中年→老年と、それぞれの過程を通り過ぎています。だから、中年の女性には「少女」は残っていません。
どうでしょう。女の人にしかられるかな。
実は今回の記事、雫石様の記事「女性の団体競技が強い国を増やそう」(http://blog.goo.ne.jp/totuzen703/e/888fdbdd5aae4e4c2d7aba8ed970e8b5)にヒントを得て書き上げた物です。
知り合いの小学校教師から以前聞いた話なのですが、所謂モンスターペアレントからの突き上げを恐れる余り、教育現場は過剰な迄の自主規制が年々酷くなっているとか。昔は通信簿の備考欄に「落ち着きが無い。」とか「協調性が無い。」等と書かれるのが普通だったけれど、今は「マイナス・イメージの記述はしない。」というのがコンセンサスとして出来上がっていて、例えば「落ち着きが無い。」は「活発で在る。」、「協調性が無い。」は「独立心旺盛。」という「プラス・イメージの表現」に置き換えられているそうです。
事程左様に、言葉とは捉える方向によって「プラスのイメージ」になったり「マイナスのイメージ」になったりするもの。
で、本題に入りますが、飽く迄も「概して」という但し書き付きでは在るものの、女性よりも男性は子供っぽい部分を残している生き物だと思うんです。男性よりも女性は、概して「現実的」な部分が在る。こう書くと、「其れは偏見だ!」と憤慨されるが居られるかもしれないけれど、上記した様に「子供っぽい」というのは「夢を多く抱えている。」というプラス・イメージとも言えるし、又、「現実的」というのも「理性的」と矢張りプラス・イメージでも捉えられる。詰まり、必ずしも悪い表現とは言えないという点を理解して戴けたらと。
其れに「概して」という事で在り、当たり前の話だけれど全部が全部そういった面を有しているという訳では無い。作家の田辺聖子さんの子供っぽさが自分は大好きだし、逆に男性でも子供っぽい部分が全く見受けられない人も居るし。
「男は『少年』という土台の上に、様々な年代を積み重ねて行っている。」というのは、言い得て妙ですね。