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・華族:1869年から1947年迄存在した日本の貴族階級。
・華族令:日本の法令。1884年7月7日に制定された「明治17年宮内省達無号」と、其れを廃して1907年に制定された「皇室令」が在る。1907年制定の「華族令(明治40年皇室令第2号)」は、1947年に廃止された。
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BS-TBSで、2019年10月12日から今年の3月26日迄放送されていた「関口宏のもう一度!近現代史」。日本史、特に近現代史が好きなので良く見ていたが、此の放送内容を纏めた本「関口宏・保阪正康のもう一度!近現代史 明治のニッポン」に、「華族令」に付いて触れた項目が在る。
「華族」とは、1869年の「版籍奉還」によって作られた特権階級。「2年前の1867年、江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜が、明治天皇に政権を返上した。」事を「大政奉還」と言うが、「幕藩体制が終わり、明治政府へと権力が移行して行く過程で断行されたのが、「全国の藩が、所有していた土地(版)と人民(籍)を朝廷に返還する。」という「版籍奉還」で、「華族」という制度は版籍奉還によって“大きな特権を取り上げられた藩主に対する瓦斯抜き”という意味合いが在ったと思う。
1883年8月、憲法調査の為のヨーロッパ調査旅行から帰国した伊藤博文は、ドイツ帝国の「ビスマルク憲法」、そして其れに基づく「帝国議会」を参考にし、我が国の憲法と国会を作る方向に動く。国会に関しては、帝国議会に倣って「二院制」にする事となり、「貴族院(上院)」と「衆議院(下院)」が設けられる事に。
「衆議院の議員は選挙で決めれば良いが、貴族院の議員はどう決めれば良いか?」を検討。結果として「華族の中から、貴族院議員を選ぶ。」事にしたのだけれど、「其の為には、“法令による華族認定制度”が必要。」という事で制定されたのが「華族令」。
当時、華族とされていたのは約500家在ったそうだが、其れ等を華族令により「公爵」、「侯爵」、「伯爵」、「子爵」、そして「男爵」という5つの階級に分けた。
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・公爵:明治維新を成し遂げた大名や公家、徳川本家等が当該。公家・三条実美の三条家、薩摩藩の島津家、長州藩の毛利家等が在る。
・侯爵:前田家等、15万石以上の大名や、維新で活躍した大久保利通の大久保家、木戸孝允の木戸家等が当該。
・伯爵:5万石未満の大名に加え、明治政府を率いた薩長土肥のリーダー・クラスが当該。伊藤博文や井上馨、黒田清隆、山縣有朋、板垣退助、大隈重信等。
・子爵:5万石未満の大名や、旧幕臣で在り乍ら維新後に政府で尽力した榎本武揚等が当該。
・男爵:功績を上げた軍人達や、明治維新後に公家や大名家から分家した者が当該。
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華族は貴族院の議員となる義務を負ったが、其の見返りたる“特権”が物凄かった。「華族家継続の為の政府からの資金援助」、「皇族・王公族との通婚」、そして「学習院への無試験での入学」等で在る。
買ったままでしまい込んでいた「日録20世紀」を最近になって読み始めました。
1907年の華族令では天皇の藩屏を期待して、日露戦争の論功行賞の意味合いで中将以上のほとんどが男爵になるという、大盤振る舞いが行われたそうですね。
でも期待とは裏腹に単に特権階級を増やしただけになっていたようで。
逆に農民や炭鉱労働者、製糸工場の女工など低賃金での過酷な労働を強いられた人たちへの救済は、ほとんど顧みられず過激な社会主義や無政府主義を呼び込むことにつながっていく時代だったんですね。
“日露戦争の論功行賞の意味合い”、そういう感じは在ったでしょうね。
恩赦も、似た感じがします。結局、「“時の政権にとって好ましい人物(政治家や官僚等)”の罪を減じる。」という意味合いが、結構強い気がするので。