そして昨日、広島高等裁判所で差し戻し控訴審が開始となった。事件の悪質性等から死刑適用を主張する検察側に対し、弁護側は「被告に殺意は無かった。被告の精神年齢は12歳程度。」として傷害致死適用を主張した。被告人には21人もの弁護士が付き、彼等は事件に付いて次の様な主張をしているそうだ。
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・ 被告人が排水検査員の格好をしていたのは相手を油断させる目的では無く、コスプレ趣味の一環。被告人は実母が家出をした寂しさを紛らす為、ママゴトのつもりで遊ぼうと女性に抱き付いたが女性は抵抗。弾みで首を押さえた所、結果的に死に到らしてめてしまったという偶発的な出来事だった。
・ 傍らで泣いていた女児を泣き止ませようと、その首にリボンを蝶々結びしていた過程で誤って死に到らしめてしまった。
・ 「精子を遺体に注ぎ込む事で、再び女性は生き返る。」という思いを被告人は持っていた。故に屍姦目的では無い。
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昔、弁護士を侮蔑する呼称に「三百代言」というのが在った。「詭弁を弄するどうしようもない輩。」という意味で、法律の端っこを齧った自分としては余り愉快では無い呼称だが、それでも今回だけは敢えてこの呼称を使う。この21人の弁護士は三百代言に過ぎない!
被告人は冒頭の書簡に付いて、「決して本心では無く、冗談のつもりだった。」といった弁解をしていた様に記憶している。あれが本心では無い冗談と、どれだけの人が信じる事だろうか?又、あの文章を書いた被告人が、果たして弁護士達の指摘する様に精神年齢12歳程度の人物と言えるのだろうか?
遺族の本村氏がコメントしていた様に、21人もの大弁護団は死刑廃止を目的とするが故に被告人に付いたとしか思えず、其処に正義や事実究明の意思が到底感じられない。当ブログでは何度か書いて来たが、自分はハッキリ言って死刑賛成派で在る。特に人としか思えない所業に及んだ者は情状酌量の余地が在る場合は除いて、殺害した人数を問わず死刑に処す可きで、其処に老若男女の境を入れる可きでは無いと思っている。そしてこの事件に関しては、例え感情的に過ぎると言われようとも、「一刻も早く死刑に処す可し!」という思いしかない。
もし自分がこの事件で本村氏と同じ立場になった際、この21人の弁護士達は同じ主張を貫けるのだろうか?
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・ 被告人が排水検査員の格好をしていたのは相手を油断させる目的では無く、コスプレ趣味の一環。被告人は実母が家出をした寂しさを紛らす為、ママゴトのつもりで遊ぼうと女性に抱き付いたが女性は抵抗。弾みで首を押さえた所、結果的に死に到らしてめてしまったという偶発的な出来事だった。
・ 傍らで泣いていた女児を泣き止ませようと、その首にリボンを蝶々結びしていた過程で誤って死に到らしめてしまった。
・ 「精子を遺体に注ぎ込む事で、再び女性は生き返る。」という思いを被告人は持っていた。故に屍姦目的では無い。
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昔、弁護士を侮蔑する呼称に「三百代言」というのが在った。「詭弁を弄するどうしようもない輩。」という意味で、法律の端っこを齧った自分としては余り愉快では無い呼称だが、それでも今回だけは敢えてこの呼称を使う。この21人の弁護士は三百代言に過ぎない!
被告人は冒頭の書簡に付いて、「決して本心では無く、冗談のつもりだった。」といった弁解をしていた様に記憶している。あれが本心では無い冗談と、どれだけの人が信じる事だろうか?又、あの文章を書いた被告人が、果たして弁護士達の指摘する様に精神年齢12歳程度の人物と言えるのだろうか?
遺族の本村氏がコメントしていた様に、21人もの大弁護団は死刑廃止を目的とするが故に被告人に付いたとしか思えず、其処に正義や事実究明の意思が到底感じられない。当ブログでは何度か書いて来たが、自分はハッキリ言って死刑賛成派で在る。特に人としか思えない所業に及んだ者は情状酌量の余地が在る場合は除いて、殺害した人数を問わず死刑に処す可きで、其処に老若男女の境を入れる可きでは無いと思っている。そしてこの事件に関しては、例え感情的に過ぎると言われようとも、「一刻も早く死刑に処す可し!」という思いしかない。
もし自分がこの事件で本村氏と同じ立場になった際、この21人の弁護士達は同じ主張を貫けるのだろうか?
御紹介戴きましたサイトを拝読させて貰いましたが、正直言ってかなり勉強になりました。恥ずかしい話ですが誤認識している点が幾つか在り、「無期懲役=”期限を決めない”懲役刑。」、「無期懲役で在っても、模範囚ならば10数年で仮釈放。」等がそうです。「10数年で仮釈放」というのは昔、刑事罰関連の本でそういったデータを目にした事や、世の中に流布されている”説”を鵜呑みにしていたのですが、こちら(http://share.dip.jp/hannichi/yosimasa/mukisiryou/siryou.html)の情報を見ると「1995年以前は10数年で仮釈放されているケースが少なからず在るものの、それ以降は20年を超えるケースが殆ど(18年以下で仮釈放されているケース5件を除き。)の様ですね。これは意外でしたし、己が知識の浅さを恥じるばかりです。
それと終身刑に「仮釈放の可能性の在るケース(相対的終身刑)」と「仮釈放の可能性が無いケース(絶対的終身刑)」が在るというのをすっかり失念していました。そう言われてみれば、刑法の講義でそんな話を聞いた様な。真剣に講義を聞いていなかったのがバレバレですね。自分の中での終身刑の概念は後者で、イメージとしてはアメリカの場合を思い描いていました。
無期懲役の者が仮釈放された場合、終生「保護観察」という形で残刑の執行が続く訳ですが、これは形骸化してしまっているとも言われていますよね。以前「又もや保護観察中に・・・」(http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/c87bcb318e3f3864d8258bc5f23d4b03)という記事でも触れましたが、「職業として保護司に専従しているケースが殆ど無いという状況下では、十二分に保護観察を行うのは現実的に不可能。」と。
あと、唯でさえ刑務所のキャパシティーが足りないと言われている以上、実際に絶対的終身刑を設けてしまうのは施設的にも予算的にも難しいという面は在るのかもしれませんね。
さて、無期懲役に関してこういう記事があります。
http://d.hatena.ne.jp/youhei2007/20070309
それでもこの人に対しては甘いと仰るかもしれませんが、参考までに。
法解釈に感情を入れてしまうのは好ましくないという意見も在りますが、「情状酌量」という概念が在ります様に法解釈から完全に感情を取っ払うのは無理なんですよね。自分も”全面的に”感情を入れ込んだ解釈は好ましくないとは思いますが、”或る程度”感情が介在してしまうのは止むを得ないし、そうで在って良いと思っています。それが100%排除されてしまうのは余りに”潤い”が無いのではないかと。
今回の弁護団もそうですが、杓子定規に「死刑反対」を叫ぶ所謂”知識人”と呼ばれる人達に対し、「被害者と同じ立場になった場合、それでも同じ主張を貫けますか?」と聞きたいです。
この事件にかかわる弁護士の人たちの詭弁を見聞きするたび、怒りを通り越してやりきれないですね…。
これほど鬼畜な行為をした上に反省のかけらもなく、身内や友人からさえ見限られた(経緯はよくしらないのですが、個人的な手紙が公の場に出てきてるのは、手紙を受け取った人たちがあまりにもひどいと思ったからですよね?)被告を、あの人たちが本気で、過失を犯しただけの無害な人間だと思うのなら、たとえばご自分の奥さんや娘さんやお孫さんを彼と二人きりにできますかと聞きたいです。
この差し戻し控訴審が始まるのは知っていましたが、この被告に21人の弁護士がついていたこと、こんな詭弁で弁護していたことはコチラで初めて知りました。
被告の権利を守るという点で弁護士は必要と考えますが、なぜこのような詭弁での弁護なのかと疑問に感じましたが、みんな死刑反対の思想を持つ弁護士なんですね。合点がいきました。ということは、この弁護士達は、自分の思想を実現するために利用できるもの(=今回の事件・被告人)はなんでも利用し、その実現のためにはどんな手段でも使う集団なんですね。被告人にも当然憤りを感じますが、この弁護士達にも憤りを感じ、あきれてしまいます。個人の思想は仕事に持ち込むべきものではないと思います(教育界での君が代問題も同様に感じます)。
ちなみに私は死刑賛成派です。死刑が撤廃されるのであれば、終身刑を設けるべきと思います。人の命は地球よりも重いはずなのに、(状況にもよりますが)人の命を奪っておいて数年でシャバに出てくる現実はオカシイと感じています。
我が国が法治国家で在る以上、法律に則って容疑者は裁かれる可きでしょう。その大原則を否定する訳では在りませんが、自らの欲望の赴くままに他者の命を理不尽且つ残虐な形で奪い去った上、意思能力や行為能力を問えない様に装っているとしか思えない形で、ヌケヌケと自身は命を長らえている様な輩が増えている現状を鑑みると、どうしてもハムラビ法典的な世界観を支持したくなるのが自分の本音です。
アメリカで顕著な様に、九分九厘有罪としか思えない容疑者が、大枚を叩いて遣り手弁護士を起用して無罪を勝ち取るといった風潮はどうしても納得出来ず、残念ながらそういった方向に向かっている様な我が国の場合、仇討ち的な要素が支持されてしまうのも致し方無い気がするんですよね・・・。
正直な事を書かせて貰えば、本村氏が初めてマスメディアに登場した際の自分が受けた印象は決して良いものでは在りませんでした。愛する妻子を無残に殺害した相手に対して激しい憎悪の念を持つのは当然の事と思う一方で、あそこ迄感情を顕にしてしまうと逆に同情を覚えている人達ですら引いてしまう所が在るのではないかという気がしたのです。勿論、当事者では無い自分に彼の気持ちが100%理解出来る訳も無いですし、実際に自分が当事者だったならば自分を抑える事等出来ず、彼以上に感情を顕にしていた可能性は否定出来ませんが。
しかし、それ以降の彼は努めて感情を抑えながら話ようになった気がします。想像するに廻りからアドヴァイスが在ったのか、はたまた懸命な彼の事故、極力冷静に訴えようという思いが湧いたのかもしれませんね。ついつい感情的になってしまう自分としては、彼のあの姿勢は凄いと敬意を覚えます。
ネット上では彼に対して批判的な意見も在る様です。その中には「実際に新しい家族を持っている。」といったものも在りました。その真偽は定かでは無いものの、彼が新しい家族を持ったからってそれの何処がいけないのか自分には理解出来ません。愛する者を失った哀しみは筆舌に尽くし難いものと経験上思いますが、だからと言って遺族は”現状”のままに居続けなければならないという訳では無い筈。愛する家族の為に闘いながら、新しい家族を持ったとして、それが何故批判される可きものなのか。
嘗て「愛と死を見つめて」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E3%81%A8%E6%AD%BB%E3%82%92%E3%81%BF%E3%81%A4%E3%82%81%E3%81%A6)という書籍等が大ヒットしました。愛する女性を見送った男性が、その後別の女性と恋に落ちた事を心無い連中は非難したと聞きます。亡くなった人間を思い続けて一生を独り身で過ごすのも、又は哀しい過去を吹っ切って新しい人生を切り開くのも、これは個々人の自由意志に委ねられる可きもの。被害者で在る事を利用して、訳も判らずに選挙に出る様なスタイルには正直疑問を覚えていますが、少なくとも今の本村氏が他者から非難される筋合いでは無いし、一日も早くまともな判決が下された後、彼には幸せになって欲しいと切に願います。
本村さんはまだ若いです。裁判であらそった8年以上はその若さからすると、彼にとってとてつもなく長かったということです。どこかで耳にしたのは、わたしたちが目にする本村さんは、いつもくやしそうだったり、悲しそうだったり、事件について冷静に語っていたり。。でも、もちろん事件が彼の生活の一部ではあるけど、いつもいつも事件のことばかりの生活ではなく、当たり前に仕事をし(すごく仕事のできる人だそうです。)、ふつうに話し、ふつうに笑ったりする青年だそうです。
こんなことを言っていいのかはわかりませんし、本村さんが求めていることではないかもしれません。
亡くなった奥さんに申し訳ない気もします。それでもいつも思ってしまいます。
一生
殺された奥さんを思って一人で暮らすのではなく、また、新しい家族を持って欲しいとも思います。(精神的に難しいことだとは思いますが。)また、かけがえのない誰かを見つけ愛し合って暮らして欲しいです。
そのためには、、この判決が「死刑」でなくてはいけないのです。弁護士たちに言いたい。遺族がずっ~と、未来永久に、一歩も動けないのは、あなたたちの罪でもあると。
上で破壊王子様が書かれている点(「普段国家の暴走を怖れる人達が、この問題になると国家権力による暴力的介入を容認するのは不思議。」)、「これは確かに自己矛盾だなあ。」とずっと自分も感じています(苦笑)。唯、根本的なスタンスと感情面が時には相容れないというのも、人間の哀しいと言いますか複雑な部分では在るんですよね。法治国家で在る以上、法を遵守するというのは当然の事なれど、法解釈の上で”或る程度の振れ幅”は在って良いと思うんです。それが「情状酌量の余地を考慮する」事等でしょう。
人間はどんな思想&信条を持とうが、法に背かない限りそれは全くの自由だし、他者からその思想&信条を改める様に強要されるものでもないと思っています。それは弁護士だろうが何だろうがです。死刑制度賛成の弁護士も居れば、反対を掲げる弁護士が居たってそれは全くの自由。唯、問題なのは「国民の耳目が集まっているから、兎に角この事件を利用して死刑反対のムーブメントを作り上げよう!」といった思惑でこの事件の弁護を担当したの”だとしたら”全くおかしな話だし、実際に自分にはそうとしか感じられないんです。情状酌量の余地が在る案件で死刑制度反対を同時に訴えるとというのならば未だしも、この事件はどう考えてもそうでは無いと思うし、これじゃあ遺族を愚弄していると言われても仕方ないでしょうね。本村氏曰く「法廷では弁護団の人達が、自分と極力目を合わせようとしていなかった。恐らくやましさを感じていたからではないか。」と。全くその通りではないでしょうか。
「死刑」の次の選択肢が「無期懲役」という現状は、確かに問題を感じます。無期と言っても10数年で出生してしまう訳ですからね。「終身刑」を設けて欲しい所ですが、唯でさえパンク状態が言われる刑務所ですので、終身刑導入は施設面&費用面等で難しいという所も在るのかもしれません。後、個人的には「恩赦」という制度にも疑問を感じています。更生とは無関係な部分で、刑の減免が行われるというのはどう考えてもおかしい気がするんです。
>死刑
私は現状賛成です。廃止するなら終身刑の導入が必須です。あるいは仇討ち免許制度の復活でしょうね。
死刑に反対するなら無期懲役を求めるのは間違っています。だって出てきちゃうじゃないですか、娑婆に。
・・・性犯罪者の再犯率の高さ(ようは日本の刑務所における更生プログラムのまずさ)がわかってらっしゃらないらしい。
死刑よりもむしろ「何があっても生きながらえる」ことを強制する終身刑のほうがこういう犯罪人にはぴったりだと思います。
もちろん一切の女性との接触はできません。
だって危ないから。
誤って抱きついてまた首締めるかもしれないでしょ(皮肉)。
ひょっとしたら、日本の大衆は「近代裁判」よりも「大岡裁き」を望んでいるんじゃないですかね?封建制度の下なら犯罪も劇的に減りますからね。
あ、アタシは相変わらず死刑反対派です。代わりに仇討ちを認めよ!というやつです。吏員に復讐を代行させてなるものかってね。それにしても、普段国家の暴走を怖れる人達が、この問題になると国家権力による暴力的介入を容認するのは不思議ですねえ。