大昔、父が突然「家系図を作って貰うには、何の位費用が掛かるんだろうなあ?」と、母に話していたのを覚えている。TVドラマ「ルーツ」【動画】が大ヒットしていた頃で、其れに触発されたのだろう。真剣に作って貰おうと思っていた訳では無かった様だが、興味は在ったのだと思う。
今から6年程前、母方の縁戚から「家系図を作ろうと思っているのだが、其方の名前等を載せても構わないか?」という連絡が在った。別段問題は無かったので許可した所、表計算ソフトで作成した家系図を送って戴いた。高祖父母迄遡った力作で、暫くの間見入ってしまった程。
人は或る時期になると、自身のルーツという物を、無性に知りたくなるものなのかもしれない。斯く言う自分も社会人になって数年経った頃から、自身のルーツという物が知りたくなった。どういった人達を経て、今の自分が存在しているのか?アイデンティティーの確立を、潜在的に求めていたのだろう。
大好きな番組の1つに、NHKで放送されている「ファミリーヒストリー」【動画】が在る。「『著名人の両親や先祖が、如何に生き抜いて来たか?』を、日本国内外の関連する人達に取材し、其のVTRを視聴する本人との感想で構成された番組。」で、「良くもまあ、此処迄調べ上げたなあ。」と感心してしまう内容。全ての回を見て来た訳では無いが、レギュラー化された2012年以降は、殆ど見ていると思う。
此の番組を見ていて思うのは、「人生って、一寸した出会いや出来事で、大きく変わってしまう事が在るんだなあ。」とか、「知らず知らずの内に、御先祖様の“遺伝子”を受け継いでいるんだなあ。」といった事。
先週は、片岡鶴太郎氏を取り上げていた【動画】。御笑いタレントとして世に出た彼だが、30歳半ば辺りから様々な“顔”を見せる様になり、40歳の頃からは画家としても活躍する様に。
「自分の絵心が何処から来たのか?」がずっと気になっていたそうだが、番組スタッフが調べ上げた所、両親の祖父が共に、絵に関係する仕事を“一時期”していた事が判明。母方の祖父が羽子板の絵師だった事は、以前にチラッと聞いた事が在った様だけれど、父方の祖父に関しては全く知らなかったと言う。「知らず知らずの内に、御先祖様の“遺伝子”を受け継いでいるんだなあ。」と、改めて感じさせられた次第。
最も印象に残ったのは、鶴太郎氏の父親・荻野忠雄氏に関する話。1926年、果物屋の長男として生まれた彼は、4歳の時に父を病気で失う。「父の顔を覚えていない。」と言う彼は、「母の顔も、余り覚えていない。」とも。と言うのも、再婚した母は6歳の忠雄を亡夫の実家に預け、1歳の弟を連れて家を出て行ったからだ。其れ以降、母と会う事が無かった彼は、「母を恨んでいた。今生きていたとしても会いたくない。憎さが在る。」と語っていた。
「どうして弟と一緒に連れて行ってくれなかったのか?」という思いを、ずっと抱えていた忠雄。父の実家で邪険にされていた訳では無い様だが、“両親の居ない子供”として非常に寂しい思いをしていて、「母と一緒に暮らせる弟が羨ましい。」と。
離れ離れになってから30年近く経った頃、兄弟は再会する事になる。「兄に会いたい。」と思い続け、消息を尋ね回っていた弟の事を忠雄が知り、弟の元に行ったのだ。色々と話をする中で、弟は弟で兄・忠雄の事をずっと羨ましく思っていた事を知る。再婚した母は新しい父との間に7人の子供を儲け、自分の居場所の無い弟は12歳の時、外に働きに出た。「実家に置いていくなら、2人とも置いていって欲しかった。再婚先に連れて行くなら、2人とも連れて行って欲しかった。実家で暮らし、居場所が在るで在ろう兄が羨ましかった。」と、寂しかった思いを吐露する弟。御互いが御互いを、羨ましがっていた訳だ。
寂しい子供時代を過ごした兄弟は、離れ離れになった環境で、共に“笑いの世界”に救われていたというのは、非常に興味深い。兄の子供(鶴太郎氏)が、其の笑いの世界に身を投じた事も、因縁めいた物を感じる。
ルーツに関しては私も興味を持ったことが何度かあります。母方の叔父さんがかなりガンバリ、戦国時代までさかのぼりました。どうやら自分の母方をたどったらそこまで行ったようです。なんでも祖母の実家を訪ねたら立派な系図があって、なになにしかじかの由縁を教えてくれて解決したらしい。「じゃあ祖父方は?」と言ったら、それもそれなりに頑張ってみたがそこまではたどり着かなかった。でもものすごい遠縁の曽祖父の兄弟の子孫の北海道にいる人やら東京にいる人まで探り当てて、そのがんばりには敬服しました。一生会うことのない親類だけど。。。
父方は祖母が亡くなった時に相続関係でなんとなくやっていたらあらびっくり。父親の伯母は祖母の従姉妹。どうやら3つの家で婚姻を繰り返したようだった。系図を親類の婆さん(祖母の大量にいる従姉妹の一人)に書いてもらっても、こんがらがる。とにかく驚いたというより呆れた。だからあの人たちあんなに仲良かったのかと。そんな近親婚八つはか村?!も昭和30年代以降は近代化し、他からヨメもらったりムコもらったりしたが、その人たちの苦労はなかなかのもんだったろうと思ったのでした。系図見ただけでおなか一杯。ゆえにそれ以上はたどる気力もなく。
AK様も、彼の番組を見ておられましたか。両親が居ないという事で、鶴太郎氏の父親は幼少期、可成り寂しい思いをしておられた様ですね。“異分子”という事で虐めに遭い、逆に「強くならなければ。」と思い立って、暴れん坊になった。其の結果として、学生時代には親友らしい親友が出来なかったと。
費用が発生するからと、伯父達に修学旅行の事を切り出せず、修学旅行に行けなかったという彼。「両親が居ないんだから仕方無いと思っていました。」と口にした場面が、余りにも切なかった・・・。
そんな彼が、今や地元で皆から頼られる老人会の会長を務めているというのですから、人生は判らないですね。見た感じ、凄く陽性な奥さん(鶴太郎氏の母親)との巡り合いが、彼を良い方向に導いたのかも。
ルーツ、戦国時代迄遡れましたか。一般人の場合、遡れるのは精々4代位前という事で、AK様の場合は(書かれている様に)確りとした家系図が存在していた事が、非常に大きかったのでしょうね。