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大学の客員教授、久和秀昭(くわ ひであき)が窃盗と公務執行妨害の容疑で逮捕された。運転する車の中から、血の付いた他人の財布が発見されたのだ。久和は内閣府が設置する経済財政諮問会議に参加した事も在る経済政策通だが、警視庁志村署の佐久間龍平(さくま りゅうへい)に対して「公務員を信用していない。」と言い、取調べは進まなかった。
一方、財布の持ち主を捜していた志村署の中田三都(なかた みつ)は、フリー・ライターの菊池創(きくち はじめ)に行き着く。菊池は交通事故を探っていたが、其の事故には財務省の或る人物が絡んでいた。
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誉田哲也氏の小説「首木の民」を読了。原作をドラマ化した物は見た事が在るけれど、誉田作品を読んだのは、恐らく今回が初めてだと思う。
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・「分かりやすく言うと、財務省は『歳入と歳出』を比べるべき場面で、『税収と歳出』を比べている、ということです。国の収入は他にもあるのに、その一つに過ぎない税収だけを取り出して、それと支出の合計である歳出を比較して、ほら歳出の方が過剰に多くなっているでしょう、だから日本は危ないんですよ、と国民を恫喝しているのです。」。
・「いいえ。政府も官公庁も、国民に『税』という決済方法で雇われた公共サービス業者に過ぎません。言うまでもありませんが、国家というのは国民と領域と主権です。立法は国会が、徴税は官公庁が、国民の負託を受けて代行しているだけで、政府や官公庁に主権があるわけではありません。主権は、在民です。」。
・「国債は、政府と日銀とがやり取りして財源を生み出す『装置』。片や税は、財務省が国民に課し、財務省が国民から取り立てる、いわば財務省が財源を牛耳るための『装置』。そりゃ、国債なんて便利なものを出すのが当たり前になってしまったら、財務省は困りますよね。自分たちの裁量で使える『税収』というお金が減ってしまうんですから。政府と日銀で勝手に財源を作られてしまったら、財務省の出番なんてなくなってしまう。今までみたいに、大きな顔はしていられなくなる。」。
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「緊縮財政政策」及び「積極財政政策」に関しては、何となく内容を知っている積りではいたのだが、此の作品でより詳しく知る事が出来た。旧大蔵省時代から我が国では「国債の発行は『悪』で在り、孫子の代迄『借金』を積み増させるだけ。」として、「緊縮財政政策こそ『正』で在り、積極財政政策は『悪』で在る。」とされて来た。自分も同様の考えだったし、其の考えは今も変わらないが、「こういう考え方も在るのか・・・。」と積極財政政策に付いて、目から鱗が落ちる思いだった。何方にもメリットとデメリットが在るのだろうけれど、自国民にとって“ベター”なのは、一体何方なのだろうか?
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首木(頸木、軛):車の轅の前端に渡して、牛馬の頸の後ろに掛ける横木。転じて「自由を束縛する物」の意味。
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日本人を雁字搦めにしている“首木”が何なのか?最初は「首木=国債」として扱われていたが、最終的には「首木=税」という事に成っている。其の“ロジックの変遷”が実に興味深いし、考えさせられる物が在る。
「容疑者が警察の取り調べに対し、こんな風に対応し続けられる物かなあ?」という疑問が。又、原作がドラマ化された物を見た時にも感じた事だが、「登場人物達の言動が軽過ぎて、何か付いて行けない。」というのは、誉田作品の特徴なのかも。
総合評価は、星3つとする。