過去に何度か書いているが、我が国には「ハレ(晴れ)とケ(褻)」という世界観が在る。普段の生活、即ち「日常」が「ケ」で、儀礼や祭、年中行事等の「非日常」が「ハレ」という区別で、三箇日は「ハレの代表的な日」と言って良かった。「何時もと違う世界」や「年の初めの例とて 終わり無き世の目出度さを♪」等の記事でも紹介したけれど、昔の三箇日は殆どの店舗が閉まっていて(コンビニエンス・ストアなんぞは普及していなかった。)、街中は静寂が終日支配していたもの。
「大晦日の夜(23時半頃)、遠くから除夜の鐘が聞こえて来るのを自宅で聞く。」というのが、嘗ては定番だった。シーンと静まり返った夜中に「ボーン。」と聞こえて来る鐘の音は、此れも又、ハレを感じさせる物だったが、聞こえなくなってからもう可成りになる。
「三箇日、野外で凧揚げや羽根突きに興じる子供達の姿。」というのもハレを感じさせる光景だったが、少なくとも近所では見なくなって結構経つ。
そして「三箇日、振袖や羽織&袴姿で野外を歩く人々。」というのも、ハレを感じさせる光景。しかし近年、ニュース映像でそういう光景を目にはするものの、近場で見る機会は年を経る毎に減っていたのだが、今年の三箇日は遂に「振袖や羽織&袴姿で野外を歩く人」を見掛けたのは零。三箇日全て、人が多く集まっている場所(巨大ショッピング・センター等。)に出掛けたのにも拘らずだ。
昨年の大震災を考慮しての「自粛ムード」が影響しているのかもしれないが、「三箇日位は華やかさを前面に打ち出し、『ケを忘れて、ハレに浸る。』という雰囲気が在っても良かったのではないか。」と、個人的には残念に思う。
近くの神社の初詣には、何人か着物姿の女の子がいたように思いますが。
着物を着る機会も、正月、成人式、卒業式ぐらいでは、廃れていくのも仕方ないでしょうね。
高い・着付けが難しい・普段着に出来ないの「3い」が伝統を阻むのでしょう。
かく言う私もかれこれ20年近く、着物に下駄履きをしておりません。気分がびしっと改まるのは感じるものの・・・。
今年は神社の社務所横に床机が出してあって、その上に剣玉、独楽、オハジキ、お手玉、ビー玉、ベーゴマ、メンコなどなど、昔懐かしい遊び道具が雑多に置いてあり、子供に混じって大人も手にとって遊んでいました。
子供には新鮮、大人には懐かしいひと時で、とてもいいアイデアだと感じましたよ。
寿司職人、大工、理容師、着付け師等々、昔は「手に技術を持っていれば、一生食うに困らない。」と言われていた職が在りましたが、機械化や略式化等の影響で、そういう御時勢ではなくなりました。大晦日と言えば理容師や着付け師が大忙しだったのも今は昔で、彼等にとっては厳しい時代でしょうね。
三箇日に放送されていたクイズ番組に、“番長”こと清原和博氏がゲスト出演していました。司会の名倉潤氏が清原氏に「清原さんの家では、御子さんとキャッチボールをしたりしてるんですよね?」と質問した所、「いや、しないですよ。子供達は、良くテレビゲームをしてます。」と清原氏が答え、「えー、番長の御子さんなのに外で遊び回るのでは無く、家でテレビゲームしてるんですか!?」と名倉氏達が真顔で驚いていたのが印象的でした。
1人遊びが普通になってしまった、今の子供達。複数人で遊ぶにしても、テレビゲームというのが一般的で、昔の様にメンコ等で競い合うなんていうのは、何等かのイヴェントでしか経験出来ない事なのでしょう。ですから、悠々遊様が書かれた神社の試みは、凄く面白いと思います。