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袴田事件:1966年6月30日、静岡県清水市横砂(現:静岡市清水区横砂東町)の民家で、味噌製造会社の専務一家4人が殺害されて集金袋が奪われ、此の民家が放火された強盗殺人&放火事件の通称。被告人として起訴された袴田巌氏に対し、1980年に死刑の有罪判決が確定したが、袴田氏は冤罪を主張しており、死刑確定後、再審請求を続けていた。其の結果、2023年に再審開始が決定。翌2024年に掛けて、「死刑確定事件としては戦後5件目となる再審」が行われていた。
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昨日、静岡地裁が袴田巖氏(88歳)に対して、無罪を言い渡すと共に、捜査機関による証拠捏造を認定した。此方に詳しく記されているが、「袴田氏を犯人とするには、余りにおかしい点が多い。」ので、個人的に「此の事件は冤罪で在り、袴田氏は無罪にされるべきだ。」と思っていた。なので、今回の判決は当然だし、捜査機関による“3つの捏造(①袴田氏が自白した検察官調書。②確定判決で犯行着衣とされた「5点の衣類」。③袴田氏の実家で見付かった5点の衣類の端切れ。)”迄認めたというのは、良い意味で踏み込んだ物と評価している。
58年という想像を絶する程の長期間、冤罪と闘って来られた袴田氏及び彼の姉・ひで子さんの心労は如何許りだったか。特に「死刑に怯え続けて来た袴田氏の事を思うと、死刑制度賛成派の自分だけれど、『冤罪の可能性は、徹頭徹尾排除されないと駄目。』。」という思いを改めて強くした。
閉廷直前、静岡地裁の國井恒志裁判長が、出廷を事実上免除された袴田氏に代わり、全ての審理に参加して来た姉・ひで子さんを自身の直ぐ傍に呼び、「判決に時間が掛かり、とても申し訳無いと思っています。」と謝罪した上で、ひで子さんが初公判で「弟・巖に、真の自由を御与え下さい。」と訴えた事を受け、「自由の扉は、ちゃんと開けました。唯、無罪は確定しないと意味が在りません。もう暫く御待ち下さい。ひで子さんが健康で居られる事を、心から祈っております。」と声を震わせ、言葉に詰まり乍ら語り掛けた事が報じられていた。國井裁判長の言葉を受け、ひで子さんは涙ぐんでいたという事だが、実に“情”を感じる言葉だ。
そういう情を感じさせる人が居る一方で、情を全く感じない人も居る。常軌を逸したレヴェルのパワハラや御強請り疑惑に関する「兵庫県庁内部告発文書問題」で、9月19日に不信任決議案が全会一致で可決された斎藤元彦・兵庫県知事も、そんな1人だ。
疑惑の数々に対し、無表情の儘、完全否定して来た彼。「異常な程の圧力を掛け続けた事で、告白者が追い詰められ、自殺するに到った。」というのに、其の“道義的責任”を問われても、「道義的責任が何か、私には判らない。」と真顔で言い放つ在り様。自殺した告発者に対しては涙一つ浮かべない一方で、自身のプライドが許さない事に関して“だけ”は涙を浮かべるという、情の欠片も感じられない、“冷酷無情”という言葉が当て嵌まる御仁。
「失職した上、出直し知事選に出馬する事を明言していた。」が、「僕ちゃんは、何1つ悪くないんだも~ん!」という事なのだろう。情が欠片も無い上に、厚顔無恥さも極まれりだ。