大相撲・時津風部屋の序ノ口力士・時太山(17歳、本名:斉藤俊氏)が名古屋場所に備えた26日の稽古中に体調を崩し、急性心不全で亡くなった。時太山は26日に兄弟子の胸を借りたぶつかり稽古の最中に気分が悪くなり、横になって休んでいたものの、約1時間後、呼吸が荒くなっているのに兄弟子が気付き、救急車を呼んだ。救急車が到着した時点で、完全に心停止状態だったという。
犬山署は28日、新潟大学で行われた行政解剖の結果、多発外傷によるショックが死亡に繋がった可能性が在るとと発表。張り手等激しい稽古が心臓停止に繋がったと考えられるが、直截の死因は特定出来なかったという。又、同署によると時太山の頬等に掠り傷が在った他、肋骨1本の骨折が見付かったが、単独で死亡に繋がる傷は無かったとの事。
ところが、時太山が亡くなった要因には”過度なしごき”が在ったのではないかという話も出ている。時太山が稽古を苦に、過去3度脱走を図って連れ戻された事実。そして遺体に立ち会った遺族によると、「全身に皮下出血や擦り傷が在った他、顔面は赤く腫れ、耳は裂けていた。更に太腿には煙草を押し付けた様な火傷の痕が3ヶ所在った。」と証言したからだ。これに対して時津風親方は、「そういう事は一切無い。」と否定している。
今回の件は別にして、「大相撲の世界に過度なしごきが存在しない。」なんて思っている人は少ないのではないか?それこそ、プロ野球の世界に裏金が罷り通っているのを知らなかった人が少なかったのと同じ位、暗黙の内に「そういう事は或る程度、普通に行われているんだろうな。」と思っている人は少なく無いと思う。
昨日、この件を報じたTV番組に元小結の龍虎勢朋氏がゲスト出演し、コメントを発していた。大相撲の世界で八百長が行われているで在ろう事は、過度なしごきと同様に広く認識されている事だと思う。朝青龍の八百長疑惑が取り沙汰された際にも龍虎氏は同じ番組に出演し、支離滅裂で筋の全く通らない世迷言を終始展開、スタジオ内を白けさせていた。もっとまともな人と思っていただけに、日本相撲協会のスポークスマンとしか思えない言動にはガッカリさせられたものだが、今回の彼もゲンナリする程”イカレテ”いた。
「耳が裂けていた。」、「太腿に煙草を押し付けた様な火傷の跡が3ヶ所在った。」という点を含め、時太山の遺体の状況を説明した上で、「今回の件をどう捉えていますか?」と司会者が龍虎氏に尋ねた所、「大相撲には”可愛がる”という伝統が在りますからねえ。見込みの在る者に対して、兄弟子達が”可愛がる”のは良く在る事。あの高見山も来日した当初は股割りが出来ず、兄弟子達が竹刀で叩く等”可愛がって”いました。彼も当時は『何でこんな事をされなければいけないんだ。』と恨んだ事でしょうが、彼を一人前にしたいが為の兄弟子達の愛の鞭の様なもの。」といった趣旨のコメントを至極当たり前の様に口にしたのは驚いた。そりゃあ大相撲の世界は「無理ヘンにゲンコツと書いて『兄弟子』と読ませる。」なんて話が然も当たり前の様に語られているのだから、過度なしごきは普通の事なのかもしれない。しかし肋骨が折られていたのみならず、耳が裂けていたとか煙草を押し付けた様な火傷の跡が在った等というのが事実で在れば、これはしごきなんてレベルではなく完全な虐め、否、暴行事件としか思えない。プロ野球の世界でも選手達をボコスカぶん殴り、それを「愛の鞭や!」なんて平然と言っていた御仁が日本代表チームの監督を務めたりしているのだからプロ野球ファンの一人として偉そうな事は言えないが、こういった単なる暴力を愛の鞭と摩り替えるのはもう好い加減止めにして欲しい。
大相撲は特殊なスポーツだと思っている。他のスポーツ以上に礼儀や仕来りを重んじなければならない等、或る意味古臭い世界。そういった古臭さを全部否定する気は無いし、礼儀や仕来りを重んじるのは良い事だと思っている。だが、「可愛がる」という言葉を錦の御旗に「理不尽な虐め」が平然と行われているとしたら、これは古い世界だからどうのこうのなんて言い訳は全く通用しないだろう。子供達が野球をしなくなった理由の一つに、野球部での「特訓」の名を借りた「虐め」に嫌気が差したというのが在ると思う。同様に、大相撲の世界に「可愛がる」という名目での「虐め」が蔓延しているとすれば、老若男女を問わず大相撲から離れて行ってしまう人達が増えているのも当然ではなかろうか。
犬山署は28日、新潟大学で行われた行政解剖の結果、多発外傷によるショックが死亡に繋がった可能性が在るとと発表。張り手等激しい稽古が心臓停止に繋がったと考えられるが、直截の死因は特定出来なかったという。又、同署によると時太山の頬等に掠り傷が在った他、肋骨1本の骨折が見付かったが、単独で死亡に繋がる傷は無かったとの事。
ところが、時太山が亡くなった要因には”過度なしごき”が在ったのではないかという話も出ている。時太山が稽古を苦に、過去3度脱走を図って連れ戻された事実。そして遺体に立ち会った遺族によると、「全身に皮下出血や擦り傷が在った他、顔面は赤く腫れ、耳は裂けていた。更に太腿には煙草を押し付けた様な火傷の痕が3ヶ所在った。」と証言したからだ。これに対して時津風親方は、「そういう事は一切無い。」と否定している。
今回の件は別にして、「大相撲の世界に過度なしごきが存在しない。」なんて思っている人は少ないのではないか?それこそ、プロ野球の世界に裏金が罷り通っているのを知らなかった人が少なかったのと同じ位、暗黙の内に「そういう事は或る程度、普通に行われているんだろうな。」と思っている人は少なく無いと思う。
昨日、この件を報じたTV番組に元小結の龍虎勢朋氏がゲスト出演し、コメントを発していた。大相撲の世界で八百長が行われているで在ろう事は、過度なしごきと同様に広く認識されている事だと思う。朝青龍の八百長疑惑が取り沙汰された際にも龍虎氏は同じ番組に出演し、支離滅裂で筋の全く通らない世迷言を終始展開、スタジオ内を白けさせていた。もっとまともな人と思っていただけに、日本相撲協会のスポークスマンとしか思えない言動にはガッカリさせられたものだが、今回の彼もゲンナリする程”イカレテ”いた。
「耳が裂けていた。」、「太腿に煙草を押し付けた様な火傷の跡が3ヶ所在った。」という点を含め、時太山の遺体の状況を説明した上で、「今回の件をどう捉えていますか?」と司会者が龍虎氏に尋ねた所、「大相撲には”可愛がる”という伝統が在りますからねえ。見込みの在る者に対して、兄弟子達が”可愛がる”のは良く在る事。あの高見山も来日した当初は股割りが出来ず、兄弟子達が竹刀で叩く等”可愛がって”いました。彼も当時は『何でこんな事をされなければいけないんだ。』と恨んだ事でしょうが、彼を一人前にしたいが為の兄弟子達の愛の鞭の様なもの。」といった趣旨のコメントを至極当たり前の様に口にしたのは驚いた。そりゃあ大相撲の世界は「無理ヘンにゲンコツと書いて『兄弟子』と読ませる。」なんて話が然も当たり前の様に語られているのだから、過度なしごきは普通の事なのかもしれない。しかし肋骨が折られていたのみならず、耳が裂けていたとか煙草を押し付けた様な火傷の跡が在った等というのが事実で在れば、これはしごきなんてレベルではなく完全な虐め、否、暴行事件としか思えない。プロ野球の世界でも選手達をボコスカぶん殴り、それを「愛の鞭や!」なんて平然と言っていた御仁が日本代表チームの監督を務めたりしているのだからプロ野球ファンの一人として偉そうな事は言えないが、こういった単なる暴力を愛の鞭と摩り替えるのはもう好い加減止めにして欲しい。
大相撲は特殊なスポーツだと思っている。他のスポーツ以上に礼儀や仕来りを重んじなければならない等、或る意味古臭い世界。そういった古臭さを全部否定する気は無いし、礼儀や仕来りを重んじるのは良い事だと思っている。だが、「可愛がる」という言葉を錦の御旗に「理不尽な虐め」が平然と行われているとしたら、これは古い世界だからどうのこうのなんて言い訳は全く通用しないだろう。子供達が野球をしなくなった理由の一つに、野球部での「特訓」の名を借りた「虐め」に嫌気が差したというのが在ると思う。同様に、大相撲の世界に「可愛がる」という名目での「虐め」が蔓延しているとすれば、老若男女を問わず大相撲から離れて行ってしまう人達が増えているのも当然ではなかろうか。
師匠と弟子に信頼関係があれば
「愛のムチ」もあるかもしれません。
しかし、タバコを押し付けるのがそれだと言うのなら
なにおか言わんや、です。
ただでさえ入門者が少なくなっている大相撲、
そんな無意味なシゴキを続けるのなら・・・
先が思いやられます。
帝国陸軍となんら変わらない。イジメをシゴキとか愛のムチとか言って誤魔化してます。
自分達のストレスを後輩をいたぶって解消しようとしているだけでしょう?そういう卑しい心根の連中が大きな顔をしてるから日本はダメになるの。
竹刀で叩いて健全な精神が培われるという根拠はどこにある?
大学のラグビー部とか少女を強姦した事件とかあったでしょう。スポーツは教育の一つのアイテムにすぎない。それだけで健全な子供が育つとは到底おもえません。
スポーツは楽しくやるものです。
奇妙な精神論を持ち込むからおかしなことになる。
しかし、gaiants-55様もおっしゃる様に「耳が裂けていた」とか「タバコを押し付けた跡がある。」まで「愛のムチ」などという相撲協会の龍虎勢朋氏の発言は頂けません。この辺りの事実をちゃんと受け止めて「悪しき習慣である。この点は反省するべき。」となんで発言できないのか。身内をかばう体質は外野から見ていても嫌悪感しか感じませんね。
あと自分が大嫌いなのが「体育会系のノリ」という言葉。これさえ吐いていれば立場の弱いものに対するアルコール飲料の一気飲みなどの強要も正当化されそうで、それが大嫌いなんですよ。「体育会系」って自らが「俺たち運動神経ばかり鍛えていて頭が悪いから世間の常識も理解できず関係ないものね。」とガキみたいに開き直っているような印象を受けるのです。
敢えて龍虎氏を擁護するとしたら、「耳が裂けていたとか煙草の火を押し付けた様な火傷の跡が在った。」という部分”だけ”を聞き逃してしまったのかなと(苦笑)。まあ、そんな都合の良い聞き逃しは無いだろうし、龍虎氏としても相撲協会との関係も在って苦しい乍らのコメントだったとは思うのですが、でも概して相撲界に籍を置いている人達、それもそれなりの立場を占めている人達は「上位の人間が下位の人間に何をしたって許されるんだ。」という思いを持っている様な気がします。
上でtak_123様が書かれている様に、相撲界に限らずプロと呼ばれるスポーツの世界では、心身共に或る一線を越えた所を経験する事でより上に上がって行けるという部分が無きにしも在らずですので(並外れた天賦の才を有している者は別でしょうが。)、”常識的な範囲での”しごきという物を100%否定するつもりは自分も在りません。ただ「耳が裂けていたとか煙草の火を押し付けた様な火傷の跡が在った。」というのが事実ならば、これはしごきなんて範疇を遥かに超えており、これは単なる暴力行為としか思えません。
「愛の鞭」、果たして他者に対してどれ程迄に純粋な愛情で厳しく接せられるのかは疑問も湧く所では在りましょうが、100歩譲って「愛の鞭」なる物が存在するとしても、少なくとも自らの手を使って殴るといった自らも痛みを感じる方法では無く、竹刀やバット等を使って殴るなんていうのは愛の鞭では絶対に無いと思うし、仮に自らの手で殴るにしても尋常では無い怪我を負わせる様な類も同様に愛の鞭では無いでしょうね。
これもtak_123様が書かれておりますが、自分も「体育会系のノリ」という言葉をエクスキューズにして、結果的に弱者をいたぶっている様な遣り口(輩)は大嫌い。又、自分も使ってしまう事が無いとは言いませんが、「空気が読めない」という言葉を「悪事を正当化させる」為に用いられがちなのが何とも嫌。悪い事でもその場の雰囲気に流されてしまい、「空気が読めない。」の一言で正当な事が言えなくなってしまうというのは絶対に正しい事では無い。正論が正論として吐けない&受け容れられない世の中って、何処かおかしいと思います。
協調性が養えるとか、長幼の礼&社会的な常識を自ずと体得出来る等、所謂「体育会」に長所が無い訳では在りません。唯、アラメイン伯様も触れておられますが、日本の場合はスポーツに過度に精神的な物を求め過ぎ、それが故に余りにも息苦しさが強過ぎて、結果的に虐めを涵養している様な面が在る気がします。上の者が「何とか一人前の選手になって欲しい。」という気持ちから、所謂「愛の鞭」を振るう事が無いとは言いませんが、でも殴ったら”自動的に”殴られた方が「有難う御座いました。」と言わなければならない”システム”っていうのは妙。本当に「有り難かった。」と思う者がそれを口にするのは未だしも、言わされている感が傍目からは何とも奇妙に感じていました(苦笑)。
嘗ては「円谷選手の悲劇」なんていうものも在りましたが、今はそういう余りに過ぎた悲壮感が無くて、自分も良かったなあと感じますね。
そういえば母親は最近松井秀喜君以外のスポーツシーンを見ようともしません。あとの連中は「見るからにゴロツキ」というのです。「いやそんなことはない」と言うのですが、年を取るにつれ極端になってきた老母は聞く耳がありません。
このニュースもその傾向を強めそうです^^;。
野球の知識は殆ど無いうちの母親も、松井(秀)選手に関しては「人間的に好き!」と昔から応援しています。老若男女を問わず、幅広いファンを持つ彼は、昔のONの様な存在なのでしょうね。
最近はとかく「体育会系」という言葉が悪い意味で使われるケースが多いです。だからこそ、”ハンカチ王子”や”ハニカミ王子”の様な選手に安心感を覚える人も少なくないのでしょう。