6年前の記事「不思議な経験」に詳しく書いたが、自分は過去に何度か不思議な経験をしている。所謂“スピリチュアル系の経験”で、其の記事の中では3つの不思議な経験を記した。若し自分がそんな経験をしなかったら、他人が話す“スピリチュアル系の経験”を、「そんな馬鹿な事、在る訳無いだろ。」と一笑に付した事だろう。なので、「自分の不思議な経験を、皆に信じて貰いたい。」とは思わない。「実際に自分で経験してみないと、信じられない事って在る。」のだから。(とは言え、宗教が関わる話は、一切信じていないが。)
************************************************
臨死体験:死に臨んでの体験。
************************************************
脚本家の内館牧子さんは「週刊朝日」に「暖簾にひじ鉄」というコラムを連載しており、当ブログでも何度か紹介して来たが、9月16日号は「臨死体験の物語」というタイトルで、臨死体験に付いて取り上げている。
上記したが、「生命の危機に陥り、意識不明になった際、当人が体験した事。」を臨死体験と呼ぶ。其の儘亡くなってしまえば、体験した事は他者に伝わらない。生命の危機を脱し、生還した人達の口から証言された物が臨死体験。
父方の祖母が亡くなる少し前、「不思議な夢を見た。アオザイを着た女の子達が、楽しそうに踊っている夢。」と語っていたのを覚えている。生命の危機に陥った訳でも無く、“単なる夢”と言ってしまえば其れ
迄なのだが、「ヴェトナムどころか海外にすら行った事が無く、又、ヴェトナムに対する関心なんて皆無だったろう祖母が、其れ迄は「何時御迎えが来ても悔いは無い。」みたいな事を良く言っていたのに、其の夢を見て以降、明らかに「生きたい。」という思いを持つ様に変わった事、そして其れから少しして亡くなった事。」を考え合わせると、臨死体験に近い感じを受けてしまった。
唯、自分の周りには、臨死体験をした者が存在しない。だから、「臨死体験って、絶対に在り得る。」と断言は出来ないけれど、そういう体験談をちょこちょこ見聞するので、「在ってもおかしくは無い。」とは思っている。
御笑いタレントの松村邦洋氏が2009年に「東京マラソン2009」に出場した際、急性心筋梗塞による心室細胞で倒れ、一時心肺停止状態になったが、其の際に「(2008年に亡くなった)ウガンダ・トラ氏が現れ、『其方の川を渡れ。』と言った。なので、言う通りにした。」そうだ。言う通りに其方の川を渡ったら、意識が戻ったという事で、言う通りにしなかったら亡くなっていたのかも知れない。
「臨死体験の物語」によると、10年以上に亘って臨死体験の調査&研究を行っている明治大学意識情報学研究所の岩崎美香研究員は、「生命の危機状態に陥った後、生還した人の約3分の1が臨死体験をしたという報告が在る。」としている。
又、臨死体験をした日本人を5つの年代に分け、体験内容を細かく比較もしたそうだ。調査対象は1910年頃の生まれから、1979年以降に生まれた人達を5分割。「臨死体験には、其の人の死生観や文化的な要因が影響している。」という指摘が在ったので、「年代によって、臨死体験は可成り異なるのではないか?」と予想していたが、意外にも年代による差は余り無かったと言う。
5つの年代全てが「体外離脱」を経験しており、4つの年代が「花園」や「人物との遭遇」を答えたそうだ。年代によっては、遭遇した人物が自分の側に手招きしていた一方で、他から「来るな。」という警告が在ったと回答。
***********************************************
私は平成20(2008)年に、岩手県盛岡市で急性の心臓病に襲われた。岩手医科大学付属病院に救急搬送され、約13時間もの緊急手術を受けた。2週間の意識不明が続き、命の危険はとうに家族に伝えられていた。
その間に体験したのだろうと思うが、私はどこかのビルの屋上で、白いオープンカーを一人で見てさわっていた。何人も乗れる大きな車だった。すると係員らしきオジサンが、言った。「今夜は火祭りがあるからね、見る人を乗せて上空から見物するんだ。」。
屋上から車が空を飛ぶのもあり得ない話だが、私は当然のように頼んだ。「私も見たい。一緒に連れてって下さい。」。
オジサンはうなずき、私は期待に胸をふくらませて屋上を降りた。その後、私がどこにいて、どう時間をつぶしたかはまったくわからない。ただ、待ち遠しくて、3回、4回と屋上に行った。そのたびにオジサンが、「夜にならないと車は出ないよ。暗くなってからまたおいで。」と言う。私は言われるたびに屋上を降りた。
そしてどこかで、暗くなるのを待ち続けたのだと思う。やがて、本当の夜になった。今度こそ間違いなく出発する。イソイソと屋上に行った。
だが、白いオープンカーがない。私は何度も見ているし、オジサンは乗せてくれると言った。別のオジサンがいたので聞いてみた。「ここにあった白い車で、火祭りを見に行くことになってたんですが。」。オジサンはケロッと答えた。「ああ、みんなを乗せて、ちょっとさっき出ちゃったよ。」。
あんなに何度も来たというのに、私はわずかな時間差で置いて行かれたのだ。
************************************************
4ヶ月後、2度の手術を経て、東京に生還した内館さんは、人から言われたそうだ。「其の車に乗ってたら死んでたな。」、「何回も屋上に行って車に触ってたってだけで、貴方が生死の紙一重に居たって判るよ。其れ、臨死体験だよ。」と。「花畑」も「川」も無く、誰かに呼ばれて我に返った訳でも無い。「車が勝手に出ちゃて、乗れなかった。」事で、彼女は生還した訳だ。