ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

許容範囲

2015年02月22日 | 其の他

近年、「終活」という用語を、良く見聞する様になった。昔は「死に支度」なんて言い方をしていたが、は「『』を迎えるに整えておく事柄。」を意味する。当然乍ら其の内容は人其れ其れだ。

 

昨夜、フジテレビ系列で放送された「土曜プレミアム」は、「中居正広の『終活』って何なの?~僕はこうして死にたい~」というタイトルで、「終活」に付いて取り上げていた。様々な「終活スタイル」が紹介されたり、ゲスト達が自身の経験を踏まえて「死との向き合い方」を語ったりと、非常に興味深い内容。

 

番組内では「自分のの中に、何を入れて欲しいか?」という質問が在り、綾小路きみまろ氏は「自分が作ったネタ帳。」、北斗晶さんは「家族との思い出の品々。(既に用意してあり、定期的に入れ替えを行っているそうだ。)」、坂上忍氏は「何も入れて欲しく無い。(後で「愛の写真。」と言ったりもしていたが。)」と答える等、人によって色々在るのが面白かった。因みに自分の場合は、2年前の記事「自分の棺に入れて欲しい物」で理由を含めて記した様に、『自分や兄弟、そして自分の親が写った写真。』を出来れば全て、そうで無ければ其の殆どを入れて貰いたい。と思っている。

 

で、「自分の棺の中に、何を入れて欲しいか?」という質問に対する遣り取りを見ていて、ふっと頭に浮かんだのは、25年前の出来事。

 

1990年5月、フィンセント・ファン・ゴッホ作品「ガシェ博士の肖像(医師ガシェの肖像)」とピエール=オーギュスト・ルノワールの作品「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」がオークションに出され、前者は約125億円(当時のレート換算による。以降も同じ。)、そして後者は約119億円にて、“同一人物”により落札された。

 

落札したのは、大昭和製紙(現・日本製紙)の名誉会長齊藤了英氏。当時、日本バブル景気沸いており、金に飽かして高額商品を買い漁る連中が珍しくなかった。「常識外の金額で買う事が、其の人物のステータスを上げる。」様な風潮が在り、両作品への落札額も常識外の高値。「バブル景気に沸く日本を象徴するニュース」として大きく報じられたのだが、落札した齊藤氏の日本間で見るルノアール、ゴッホは良いよ。死んだら、棺桶に入れて貰う積りだ。という発言が、世界から大きな非難を集める事に。

 

文化遺産を、にする積りか!」という非難。「人類共通の宝物を、個人の趣味で失わせて良いのか?」という怒りは、自分も凄く理解出来た。バブル景気に驕り高ぶり傲慢言動を見せる“一部の日本人”には、同胞の自分ですら、な感じがしていたし。

 

、芸術品に関しては、「故人の思い入れが非常に強く、どうしても棺に入れて、一緒に送り出して上げたい。」というのも在るだろうし、何の程度の作品ならば、個人の棺に入れて燃やしても良いか?」という“許容範囲”が難しいのも事実。「誰もが知る名作」の場合、“不可”と誰しもが思うだろうけれど、「そこそこの人が知る名作」とか、「知る人ぞ知る名作」なんていう場合だと、人によって判断は異なるかもしれない。


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6 コメント

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>マヌケ様 (giants-55)
2015-02-23 21:27:19
書き込み有難う御座いました。

結果的に「ガシェ博士の肖像(医師ガシェの肖像)」等は燃やされる事無く、存在し続ける事になったのは、本当に幸いでした。

「金さえ在れば、何でも許される。」という思考が彼の発言には色濃く感じられ、実に不愉快だった。最近、「日本の文化や日本人の技術はこんなにも凄い!」的な番組が目立ちますが、異国の人達の間から“自然と湧き上がった反応”ならば別ですが、自画自賛した上、他国を蔑む様な面が感じられる事が在り、此れ又、嫌な感じがしたりします。
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Unknown (マヌケ)
2015-02-23 12:47:36
法人で所有すれば資産になり、固定資産税で会社に迷惑がかかるというか、一生懸命働いてリストラで絞られている従業員の手前、経営者個人の趣味がそこまで許されてよいのかというのがありますね。 文化遺産を個人の思惑で燃やしてはいけないことくらいもわからない非常識さが情けないです。 美術館を作るか、寄贈するかで対処するのがまっとうな方法です。 クレイジーな日本人として名を残すのは絶対にやめて欲しいですね。
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>AK様 (giants-55)
2015-02-22 21:49:12
書き込み有難う御座いました。

全く其の通りですね。故人にとっては深い思い入れが在る物でも、他者にとっては全く無価値にしか思えない物も在る。だからこそ、残された者達が明確に判る様に、きちんとした“指示”を残しておかないと。

北斗さんの場合、「ママの棺に入れて欲しい物」みたいな記述がされた箱が、部屋の中に判り易い形で置かれていました。家族にも伝えて在る様で、此れだと残された物も戸惑わなくて良いでしょうね。
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>悠々遊様 (giants-55)
2015-02-22 21:43:24
書き込み有難う御座いました。今回は、此方にレスを付けさせて貰います。

「形在る物は、何時かは壊れる。」と言いますし、何よりも所有権を有しているのですから、個人が大枚を叩いて購入した美術品をどうしようが、“法律的”には勝手では在るんですよね。とは言え、素晴らしい芸術品を個人の趣味だけで毀損や消滅させて良いのかとなると、其処には自ずと“踏み止まらなければいけない面”も在る訳で・・・難しい話では在りますね。
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身もふたもないが (AK)
2015-02-22 16:42:10
そうは言っても葬式は故人ではなく喪主と葬儀屋のものだから、よほど念を押さない(毎日しつこく言うとか・笑)、バタバタしてるうちに忘れられて、2か月ぐらいして落ち着いた頃に「あ~!」ってことになっちゃうかも。わっかりやすい場所のわっかりやすい箱に入れて大きいペンで書くと良いかもしれんですね。
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Unknown (悠々遊)
2015-02-22 11:45:56
世界的名作を個人の所有物とすると、そういう問題が生じますね。
大枚をはたいて手に入れたものをどう処分しようと勝手。といわれれば、身勝手と思ってもそれを止める事は難しいですよね。
いっそそういう、一定以上の評価の定まったものは、公の財産として個人所有は禁じるとしたら、いっそすっきりするでしょうに。
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