当ブログを立ち上げたのは2004年7月17日(土)*1で、「社会保険庁」という記事が1件目だった。そして、今日2016年7月17日(日)、今回の記事「今日から二回り目」にて、十二支で言えば二回り目に入る。2004年7月17日から数えて今日は、4,384日目。記事の通算件数は4,448件なので、1日に1件以上は書いて来た計算になる。飽きっぽい自分とすれば、「良くもまあ、こんなにも続けられた物だ。」と思ったりもする。
ブログを立ち上げた2014年とは、どんな年だったのか?アテネ・オリンピックが開催された年だが、我々日本人にとって最も記憶に刻まれたのは「2004年5月22日に当時の小泉純一郎首相が北朝鮮を訪問し、第2回日朝首脳会談が行われ、其の結果、2年前に帰国していた拉致被害者2組の実子達が、同日中に“帰国”した。」という一件だろう。相当昔の話に思えてしまうが、「北朝鮮による日本人拉致問題」は全く解決していないと言っても良い。拉致被害者の御家族も高齢化が進んでいる中、政治家は此の問題を政治利用する事無く、一日も早く全面解決して欲しい。
此れ迄に書いて来た記事をカテゴリー別に分けると、次の様になる。
*********************************
=カテゴリー別=
時事ネタ関連: 1,014件
スポーツ関連: 783件
書籍関連: 696件
政治関連: 256件
TV関連: 253件
映画関連: 191件
歴史関連: 65件
動物関連: 60件
「ズバリ聞きます!」:53件
教育関連: 41件
御笑い関連: 28件
旅行関連: 12件
其の他: 996件
*********************************
個人的には、政治関連の記事をもっと書く積りだった。思った程に記事に出来なかったのは、“政治に対する失望感”が強まっているのも在るが、“政治に対して無関心な人間が増加している事への失望”の方が大きいかもしれない。
とは言え、大好きな日本がおかしな方向に進んで行くのを、自分は座視出来ない。「理不尽な事には『理不尽!』と、政治に付いては特に強く訴えて行きたい。」と思っている。
そんな訳で、二回り目に入った当ブログを、今後も何卒宜しく御願い致します。
*1 「2004年7月17日」という日に起こった出来事を捜していたら、子供の頃に良く見ていた番組「お笑いマンガ道場」【動画】に出演されていた漫画家・鈴木義司氏が、此の日に75歳で亡くなられていた。同番組内で、彼と口喧嘩するのが“御約束”だった漫画家・富永一朗氏は、今年で91歳になられている。
毎日1件以上UPとは本当にすごいです。まさに継続は力。
記事にする話題の豊富さもさることながら、健康でなければこうは続けられません。
巷に広がる、政治への無関心は私も強く感じるところですが、最近は政治に関心を持つこと自体が「恥ずかしい」という風潮を感じてしまいます。
政治が国民の期待に応えてくれないという諦観から無関心に向かうのと同時に、政治家のあまりに破廉恥な言動の多さに、真面目に政治を口にすることが恥ずかしいと思わせているのでしょうか。
しかし無関心や恥ずかしいからと口をつぐんでしまっては、道徳心を口にしながら自らの破廉恥を反省する気はない輩の思うつぼ。
日本の民主主義の危機回避のためにも、これからも警鐘を打ち続けてくださることを期待します。
悠々遊様もそうですが、自分が好んで覗かせて貰っているブログの多くは、オリジナリティーに溢れた内容。其れに比べると当ブログは、公に報じられたネタに対し、ああだこうだと駄文を連ねているだけなので、何とか長く運営出来ているという次第です。
政治への無関心というのは、概して若者世代に使われる言葉ですが、感覚的に言うと、老若男女を問わず、其の傾向が強くなっている様に感じます。「自分が1票を投じた所で、政治は何も変わらない。→自分の存在意義が感じられない。→ネット上で、匿名且つ無根拠に刺激的な事を書いた方が自分をアピール出来る。」という思考が、結構在る様にも。
今回の参院選、全体的な状況は判りませんが、都心部に限って言えば、面白い結果が出ましたね。選挙権が「18歳以上」に引き下げられた事で、18歳~19歳の投票率がどうなるか注目していたのですが、18歳に限って言えば(年代を問わない)全国平均を上回り、19歳は下回っていた。理由は色々在るでしょうが、「選挙権が18歳以上に引き下げられた。」という報道が散々された結果、「18歳」という部分許りに注目が集まり、「19歳」という年齢層に当事者意識が湧かなかったというのも在るでしょうが、大きいのは「高校で“政治参加”という意識を高めるイヴェントが、結構されていたのではないか?」という気がしています。若しそうだとしたら、普段から政治を意識する環境というのは大事なのでしょうね。
「思考」や「想像力」が失われれば、人間が人間たる立場を自ら放棄した事になる。他の動物達と、何等変わらない状況になる事を、放棄した人達は甘受しているのだろうか?