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「児童虐待6万件に迫る 昨年度、過去最多又更新」(7月26日、北海道新聞)
全国の児童相談所(児相)が2011年度に把握した児童虐待の件数は5万9,862件(速報値)で、過去最多を更新した事が26日、厚生労働省の纏めで判った。2010年度(東日本大震災の影響で福島県は未集計。)と比べ3,478件の増加。1990年度の集計開始の翌年度から21年連続増となった。
厚労省は「社会の関心が高まり、疑わしいケースも通報するという意識が高まった為。」と分析している。
一方、虐待から子供を守る為、親権を最長2年間停止出来る様にした今年4月の改正民法に基づき、児相の所長が家庭裁判所に親権停止を申し立てたケースは6月末時点で6自治体の7件。
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此の手のニュースは、見聞すると心が重くなってしまう。「『親』という立場を振り翳し、『子供』に対して理不尽な暴力を振るう。」というのは、本当に卑劣な事。子供は親を選べないのだから、児童虐待に遭っている子供達を、社会で救済&育成していかなければいけないと思う。
古今東西、児童虐待は存在していただろう。しかし、“実数として”近年増えているのだとしたら、「『恥』を『恥』と思わない人達」が増えている事と無関係では無い気がする。
「チャットに嵌った親が育児放棄をした事で、子供を死なせてしまった。」とか「無抵抗な赤ん坊に対して親が、ストレス発散で殴る蹴るを繰り返した挙句、死なせてしまった。」なんていうのは、「親」としてだけでは無く、「人」として最低の行為。恥じ入る心を少しでも持っていたならば、こんな事は出来様筈が無い。
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「小2に暴行、中3を書類送検 ネットに動画」(7月25日、よみうりテレビ)
相模原市の路上で今年5月、小学生の男児に暴行を加えた等として、警察は25日、同市の市立中学3年の少年(15歳)を暴行等の疑いで書類送検した。暴行の様子を少年の同級生が撮影し、インターネットの動画投稿サイト「YouTube」に掲載していた。
警察等によると、少年は今年5月、相模原市の路上で、小学2年の男児(7歳)に態とぶつかった上、付き纏う等した疑いが持たれている。少年は容疑を認めていると言う。
少年の同級生で中学3年の少年(14歳)が暴行の様子を撮影し、インターネット上に掲載していた事から事件が発覚した。撮影した少年も家庭裁判所に送致されている。
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4ヶ月程前だったか、「車を運転中に、自転車に乗った男子中学生と衝突しそうになった事で立腹した40歳代の男性が、執拗に車で男子中学生を追い回し、脅迫しているシーンを自身で撮影。其れを、動画投稿サイトに掲載していた。」という報道が在った。又、「中学3年の少年が小学6年の男児を、“遊び”と称して暴行を加え、其の映像を動画投稿サイトに掲載していた。」という報道が、つい先日在った許りだ。
「年長者が年下を虐めるなんて、最低の行為だ。」というのは自分が子供の頃、親を始めとした大人達から良く言われた事。「最低の行為」はイコール「恥」として、強く心に刻み込まれた子供達は少なくなかったと思う。
とは言え、「年長者が年下を虐める。」という最低の行為をしてしまう子供は、昔も居た。でも、居たけれど、其れを公言する様な輩は、そうは居なかった。自身が卑怯者で在る事を、大々的にアピールする様な物だから。「卑怯者と看做される事」を「恥」と思う気持ちが在った訳だ。
“象”の体格と腕力を有する中学3年が、“蟻”の体格と腕力しか有さない小学2年生に因縁を付け、そして暴行する。“普通の人間”ならば、此れが如何に恥ずべき行為から理解出来るだろう。
又、そんな恥ずべき行為をしている姿を動画投稿サイトに掲載する事が、卑怯な自分を大々的にアピールする事に繋がり、挙句に多くの人から蔑視されるというのも、“普通の人間”なら判る筈。
「『恥』を『恥』と思えない人達」が老若男女を問わず、どんどん増えて来ている様に感じるのは、実に嘆かわしい話で在る。
先ず「大津の事件」に付いてですが、「家庭内で暴力を受けていた。」というのは自分も某週刊誌の記事で目にしました。唯、BBC様も此の話は飽く迄も「伝聞」でしょうし、「事実」かどうかは当事者しか判り得ない事。誤った週刊誌報道の可能性や伝聞情報が誤りで在る可能性等は十二分に考えられますので、此の件に関してのコメントは差し控えたいと思います。
同級生に恐喝され続け、そして自殺してしまった中学生の事件、可哀想で可哀想でならない。第三者の立場からすると自分も「何でこんなにも金銭を持ち出して、親族は気付かなかったのだろうか?」という思いは正直在りましたが、報道によれば亡くなった中学生の子は非常に親族思いの優しい子で、親族に心配させてはいけないと、虐められている事実を隠していたとも言われています。
以前、頭脳明晰&スポーツ万能、優しくて明るい少年が自殺したという事件が在りました。執拗な虐めが原因だった様ですが、同級生の中で其の事実を知っていた人は殆ど居なかったとか。虐められていた同級生を庇った事で、当人が虐められる側に回ってしまったという事ですが、執拗な虐めにも「其れ迄通りの元気さ&明るさ」を見せ続けていたそうで、其の事が「彼が虐められているという事実」を見えなくさせていた様です。
話を戻しますが、恐喝され続けて自殺した中学生も、親族にはそんな素振りを全く見せなかったのではないでしょうか。家から金銭が何度も持ち出されても、「良い息子」で在り「良い孫」で在る少年が関わっているとは思いたくなかったろうし、思えなかったのではないかと。「虐めの影」が少しでも見えたなら別でしょうが、そうじゃないと「まさか~が金銭を持ち出しているなんて事は、絶対に無い。」と思ってしまう可能性も在りそうな気がします。
大津の事件ですが、亡くなった生徒は家庭で親から暴力を受けていたと聞きました。
もしそうなら、学校の事を相談なんてできないし、しても無視だったと思われます。
安全であるはずの家、学校でも苦しめられて、まさに地獄だったでしょう、、本当に気の毒でなりません。
いじめを苦に自殺、、というと、生徒は何故親に相談しなかったのか?という人が結構いますが、、
あれは恥ずかしくて言えなかった、よりも、相談もできない親だから言わなかった、、、の方が多いと思います。
ずっと以前、中学生が、一年くらいかけて同級生に約100万払った末、自殺しました。
親の財布から少しづつ、、、1年で合計100万円。
この子の親は気がつかなかったと言い切り、同級生と学校の責任だ、と怒っていました。
1年間も苦しんでいる子供の表情にも気がつかない鈍感さ、一年で100万取られても気がつかないだらしなさ、、、
祖父だったか祖母もいたそうですが、誰も相談されなかったし、気がつかなかったようです。
この親、家族にもそうとう問題があると思いました。
普通の家庭なら最後は親に助けを求めることができます、でも、こういうまさにバ○親には相談などできません。子供は絶望して死ぬしかない、、、
言葉がないです。
「生育環境」と「犯罪」という観点で言えば、どうしても頭に浮かんでしまうのは永山則夫死刑囚(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E5%B1%B1%E5%89%87%E5%A4%AB)の事。「劣悪」という表現では言い表せない程の生育環境には、どうしても同情心を持ってしまう。又、「金嬉老事件」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%AC%89%E8%80%81%E4%BA%8B%E4%BB%B6)を起こした金嬉老の場合も、背景には根深い「差別問題」というのが感じられ、永山死刑囚程では無いけれど、同情してしまう点が。
でも、だからと言って彼等が為した犯罪が許される訳では当然無く、其の辺のジレンマというのは確かに在りますね。
これらを全てわきまえた上で、やむにやまれず悪事を行う人もいれば、知ってはいても「自分こそが正しく相手や社会が間違っている」と確信しているがために罪悪感を感じずに行う人もいます。普段はわきまえていても、前後の見境をなくして行ってしまう人もいれば、問題の多い生育環境のために規範意識が育っていない人、それに加えて、実利以外の損得観念(=何をしたら何が起こるか)も育っていない人、さらには、家族の人柄や生育環境に特に問題はないにも関わらず、脳機能の障害などにより、特殊な世界観ができてしまっている人もいます。
適切な罰を課し、罪を罪と認識させて贖罪の念を持たせるには、そして犯罪自体を抑制するためには、その人々の背景や事情を踏まえた上で矯正・教育・医療・福祉等各方面からアプローチしなければなりません。しかし、背景や事情を尊重しすぎると、「この人はこういう事情があるから仕方ない」となり、本来厳しく問わなければいけないことまで追及が不十分になってしまいます。公安・法曹・教育・医療・福祉といった分野の方々は大変なご苦労とジレンマを抱えての判断の連続でしょうね。
「障害を持っているが故に、他者に危害を加えてしまう。」、こういうケースならば社会がそういった子供達としっかり向き合い、少しでも良い方向に進む様に、何等かの対策を取る必要が在ると思っています。唯でさえ逼迫した国家財政の中、中々予算を絞り出すのは難しいとは思うけれど、子供は国家の宝で在り、未来を築く根幹で在ると考えているので、目先の金銭に捉われてはいけない。
問題はそういう障害を抱えた子供達では無く、自らのストレス発散の為だけに、他者に危害を加える連中でしょうね。得てして学校の責任許り問われてしまい勝ちだけれど、子供の教育の多くは家庭に起因する筈で、“馬鹿親”を教育というのも考えなければいけない。「教育」というのは「啓蒙活動」だけで無く、寧ろ「親に対する厳罰処置」というのが必要な気がしていますが。
虐め問題というのは日本に限った事では無く、海外でも多く見受けられると言いますから、人間の中に抑備わっている「負の因子」なのでしょうね。多くの人は其れを“発症”させない様に、又は発症させたとしても出来るだけ少ない範囲でと自己抑制出来る。中には自己抑制が全く出来ず、大津市の事件の様な事を引き起こしてしまうのではないかと。
子供を虐待した親の中には、「本当は子供なんか欲しくなかった。」なんてほざいているアホが居る。「欲しくなかったなら、生むなよ!」と自分も思います。何度も言いますが、子供は親を選べないのですから。
この馬鹿な少年もあの彼のような奴ではないかなと思います。
激しい格差社会以上に問題ですよね。
なんというか日本の社会、日本の社会構造にも
問題が多いと思うのですが。
やれ、小中高は私立だ、それも名門私立だとか
子どもに変なクセがあるとか
いじめとか、最近ですと大津市の中学生の
いじめ自殺問題ありましたね。
あと、大阪での高校1年生の自殺問題もありました。
こういう生き辛い、住み辛い複雑な社会が
こういう問題を多く引き起こしている
感じがする、と、いうか
そう思わないと納得できない。
日本の個性を受け入れない社会、没個性社会
ある意味日本の、日本独特の社会主義体質が
この日本と、いう国を堕落させているのは
間違いないでしょう。
子どもを虐待するなら子どもを作るな
子どもを産ませるなと、言いたくもなります。
ヤンキー、暴力団の人は、そういう生き方が
好きだ、やめられないと、いうなら
またそういう人たちは子どもを作るな
作るべきではないと思うんです。
そういう法律を作るか
親になるのも法律で定めたり
資格、資格試験を作るなどしない限り
あるいは日本の社会の仕組みを変えたり
世直しを徹底させたりしない限り
こういう児童虐待の問題は減らない
なくならないのではないでしょうか。
本当に児童虐待の多さはあまりにも異常です。もっと子どもは親や教師たちがのびのびと
育ててあげようと、いうおおらかさ、柔軟さが必要だと思うのです。