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① 御薦めの雑炊
鍋物等、温かい料理が嬉しいこの季節、一寸変わった雑炊を紹介したい。それは「牛乳&味噌雑炊」。知人に紹介すると「牛乳と味噌の雑炊!?何か不味そう・・・。」と良く言われてしまうのだが、これが結構美味。かなり昔、料理人の神田川俊郎氏が「美味しい雑炊でっせ!」と料理番組で紹介していた物。
鍋に御飯と牛乳、味噌、刻んだニラを入れて軽く煮込む。最後に卵を入れて箸で掻き混ぜ(溶き卵)、一煮立ちしたら出来上がり。「○○は何グラム」とか「カップ○○cc」なんて細かい事は書かない。自分自身の舌で判断し、味が薄い様だったら塩を振っても良し。想像するよりも美味な、御薦めの雑炊。
② 物真似
「織田裕二氏の所属事務所が民放各局に対し、『物真似を企画される際には、真似される本人のイメージを尊重して戴く様なルール作りを御願いしたい。』との通達を出した。」と、少し前に報じられていた。織田氏の物真似【動画】で人気が出た山本高広氏を意識した通達なのだろうし、あのオーバー・アクションな物真似に対して、織田氏自身が相当不快な思いを持っているという事なのだろう。
山本氏は「昔から織田さんのファン。これからも物真似を続けて行きたい。」といったコメントを出したが、それに対して物真似の先輩・清水アキラ氏は「織田裕二さん(の物真似)の様に、本人が嫌だと言っているのに、遣るのは如何な物か?」と苦言を呈した。「清水氏自身の物真似も、皆から嫌がられていた。」とする声に清水氏は、「嫌がられたけれど、谷村新司さんも『遣るな。』とは仰らなかった。」とも。まあ清水氏の場合、多分にネタとしての苦言だとは思うが。
概して物真似というのは、(真似される側が)真似されて嬉しくない特徴を、よりオーバーに再現する芸だと思う。オーバーに再現されるからこそ、見ている側は面白いのだが、例えばホリ氏による木村拓哉氏の物真似の如く、「貴方の演技は一本調子なんですよ。」と示唆している“かの様な”物は、「物真似される当人として面白くないだろうな。」と理解出来なくも無い。(コロッケ氏によると、嘗ての野口五郎氏は自分の物真似をするコロッケ氏に対して、かなり不快に思っていたらしい。)
唯、物真似されるというのは、それだけ物真似される側がメジャーな証明でも在る。多くが知らない人の物真似をしたって、そうは受ける物では無い。人格を否定するかの様な物真似なら別だが、そうで無ければ「『自分もそれだけメジャーな存在になったのだ。』と笑って許せる懐の深さが織田氏に欲しかった。」と個人的には思う。物真似される事で新たな仕事が舞い込んで来る可能性だって在るだろうし、世の中は持ちつ持たれつの関係で成り立っているのだから。
③ 人柱
橋や堤防、城等を築く際、工事の無事完成を祈り、神々の心を和らげる為に、犠牲として人を水底や地中に生き埋めにする事、又、その埋められた人を「人柱」や「人身御供」と称する。海外でも散見されたこの風習、我が国では何時頃迄行われていたか御存じだろうか?漫画「探偵学園Q」シリーズを読破されている方ならば、この件に触れられていたので御存じの事だろう。斯く言う自分も、この漫画によって知った話だ。「せいぜい江戸時代末期辺りでは?」とイメージされる方も多いのではなかろうか。
1968年、マグニチュード7.9を記録した十勝沖地震が発生。この地震では52人が死亡、330人が重軽傷を負い、住宅被害は全壊673棟、半壊3,004棟、一部損壊15,697棟に上った。北海道に在る常紋トンネルも壁面が損傷する被害を受けた為、2年後の1970年にその改修工事が開始となった。その際に壁から立ったままの人骨が、又、入口付近でも大量の人骨が発見され、人骨の一部には外力による損傷が見られたと言う。このトンネルは凄惨なタコ部屋労働で建設された事でも有名で、予てから鉄道員の間で「常紋トンネルには人柱が埋まっており、彼等の亡霊がトンネルや信号場に出る。」という噂が在ったそうだ。これ等の人骨が人柱だったのかどうかに付いては異論&反論が在る様だが、少なくとも病等で倒れた労働者達が治療される事も無く、生きたままに埋められた可能性は低くない様だ。
そして驚くのは、このトンネルの開通が1914年(大正3年)という事。即ちこれが人柱だった“としたら”、人柱の風習は大正初期辺り迄残っていた事になる訳だ。
昔、祖母から聞いた話だが「地方では戦後間も無い頃迄、『双子は忌まわしい存在。』という迷信から、双子が生まれると殺してしまう家庭“も”在った。」と言う。勿論、当事者が直接それを口にした訳でも無く、噂として耳に入って来るのだが、警察が動くという事は滅多に無かったとか。これが事実だとしたら、正に「闇から闇に葬る」風習が僅か半世紀ちょい前迄、我が国に存していた事になる。
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① 御薦めの雑炊
鍋物等、温かい料理が嬉しいこの季節、一寸変わった雑炊を紹介したい。それは「牛乳&味噌雑炊」。知人に紹介すると「牛乳と味噌の雑炊!?何か不味そう・・・。」と良く言われてしまうのだが、これが結構美味。かなり昔、料理人の神田川俊郎氏が「美味しい雑炊でっせ!」と料理番組で紹介していた物。
鍋に御飯と牛乳、味噌、刻んだニラを入れて軽く煮込む。最後に卵を入れて箸で掻き混ぜ(溶き卵)、一煮立ちしたら出来上がり。「○○は何グラム」とか「カップ○○cc」なんて細かい事は書かない。自分自身の舌で判断し、味が薄い様だったら塩を振っても良し。想像するよりも美味な、御薦めの雑炊。
② 物真似
「織田裕二氏の所属事務所が民放各局に対し、『物真似を企画される際には、真似される本人のイメージを尊重して戴く様なルール作りを御願いしたい。』との通達を出した。」と、少し前に報じられていた。織田氏の物真似【動画】で人気が出た山本高広氏を意識した通達なのだろうし、あのオーバー・アクションな物真似に対して、織田氏自身が相当不快な思いを持っているという事なのだろう。
山本氏は「昔から織田さんのファン。これからも物真似を続けて行きたい。」といったコメントを出したが、それに対して物真似の先輩・清水アキラ氏は「織田裕二さん(の物真似)の様に、本人が嫌だと言っているのに、遣るのは如何な物か?」と苦言を呈した。「清水氏自身の物真似も、皆から嫌がられていた。」とする声に清水氏は、「嫌がられたけれど、谷村新司さんも『遣るな。』とは仰らなかった。」とも。まあ清水氏の場合、多分にネタとしての苦言だとは思うが。
概して物真似というのは、(真似される側が)真似されて嬉しくない特徴を、よりオーバーに再現する芸だと思う。オーバーに再現されるからこそ、見ている側は面白いのだが、例えばホリ氏による木村拓哉氏の物真似の如く、「貴方の演技は一本調子なんですよ。」と示唆している“かの様な”物は、「物真似される当人として面白くないだろうな。」と理解出来なくも無い。(コロッケ氏によると、嘗ての野口五郎氏は自分の物真似をするコロッケ氏に対して、かなり不快に思っていたらしい。)
唯、物真似されるというのは、それだけ物真似される側がメジャーな証明でも在る。多くが知らない人の物真似をしたって、そうは受ける物では無い。人格を否定するかの様な物真似なら別だが、そうで無ければ「『自分もそれだけメジャーな存在になったのだ。』と笑って許せる懐の深さが織田氏に欲しかった。」と個人的には思う。物真似される事で新たな仕事が舞い込んで来る可能性だって在るだろうし、世の中は持ちつ持たれつの関係で成り立っているのだから。
③ 人柱
橋や堤防、城等を築く際、工事の無事完成を祈り、神々の心を和らげる為に、犠牲として人を水底や地中に生き埋めにする事、又、その埋められた人を「人柱」や「人身御供」と称する。海外でも散見されたこの風習、我が国では何時頃迄行われていたか御存じだろうか?漫画「探偵学園Q」シリーズを読破されている方ならば、この件に触れられていたので御存じの事だろう。斯く言う自分も、この漫画によって知った話だ。「せいぜい江戸時代末期辺りでは?」とイメージされる方も多いのではなかろうか。
1968年、マグニチュード7.9を記録した十勝沖地震が発生。この地震では52人が死亡、330人が重軽傷を負い、住宅被害は全壊673棟、半壊3,004棟、一部損壊15,697棟に上った。北海道に在る常紋トンネルも壁面が損傷する被害を受けた為、2年後の1970年にその改修工事が開始となった。その際に壁から立ったままの人骨が、又、入口付近でも大量の人骨が発見され、人骨の一部には外力による損傷が見られたと言う。このトンネルは凄惨なタコ部屋労働で建設された事でも有名で、予てから鉄道員の間で「常紋トンネルには人柱が埋まっており、彼等の亡霊がトンネルや信号場に出る。」という噂が在ったそうだ。これ等の人骨が人柱だったのかどうかに付いては異論&反論が在る様だが、少なくとも病等で倒れた労働者達が治療される事も無く、生きたままに埋められた可能性は低くない様だ。
そして驚くのは、このトンネルの開通が1914年(大正3年)という事。即ちこれが人柱だった“としたら”、人柱の風習は大正初期辺り迄残っていた事になる訳だ。
昔、祖母から聞いた話だが「地方では戦後間も無い頃迄、『双子は忌まわしい存在。』という迷信から、双子が生まれると殺してしまう家庭“も”在った。」と言う。勿論、当事者が直接それを口にした訳でも無く、噂として耳に入って来るのだが、警察が動くという事は滅多に無かったとか。これが事実だとしたら、正に「闇から闇に葬る」風習が僅か半世紀ちょい前迄、我が国に存していた事になる。
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したりと、いろんなところでお祭りという形で今もそのような慣わしの名残が見受けられます。 ダムやトンネルなど大規模な土木工事の場合、炭鉱などもそうですが、昔から大なり小なりの命が奪われて来ていますね。 炭鉱での粉塵爆発火災などでは坑道の奥深くに残された人が生きていても、延焼を防ぐため、石炭の損失を防ぐために人命よりもコストを重視するわけですが、大量の水を注入して水没させることで鎮火させます。 中に残された人のことを想像すると、炎から逃げのびたら今度は水攻めで、真っ暗で狭い場所で悲惨な死に方をするわけです。 初期の製鉄でも溶解した鉄を浴びて溶けた人などがいたようですし、セメントの採取現場ではダイナマイトの爆発に巻き込まれたというのもよくあったようです。 全部労災なんですけど、昔は資本家ばかりが優遇されていて働く人たちは使い捨てのような時代があったんですね。 タイのカンチャナブリというところに戦場に架ける橋で有名になった、泰面鉄道の鉄橋があり、そのすぐ近くに掘っ立て小屋のような戦争博物館があります。 資料ではマレー半島から無理やり集めたきた労働者と、ジュネーブ条約違反の連合軍捕虜の徴用で建造されたとあります。 鉄道輸送路でしたが、完成からまもなくあっけなく空爆で落とされました。 重機などほとんどなく象と人力で大半をこなしています。 危険を知らせようにも言葉が通じないこと、高い断崖と硬い岩盤、栄養不良に突貫作業で多くの人命が失われています。 終戦と同時に連合軍捕虜は救われましたが現地で徴用された人たちはジャングルに取り残されてさらに命が失われたそうです。 そういう場所、なんだか暗い影が感じられるんですよね。
織田君は山本君と共演するくらいの太っ腹であって欲しいですね。 芸人さんのやることをいちいち気にすることないじゃないですか。
ごはんとチーズやごはんとマヨネーズがどうしても違和感があり、ダメだったんですけど、考えて見ればドリアなんか食べるし、クリームシチューなんかミルクが入っているんだし、大好きなクリームコロッケにもミルクが入っていてそれと一緒にごはんを食べてるんだ。と、思うと牛乳とお味噌も大丈夫かなあ。
他の方の物真似はOKという事で在れば、仰る様に別の理由が在るのかもしれませんね。と言っても、他の方が彼の物真似をしていた記憶は在るものの、具体的にそれが思い出せない。それだけ山本氏の物真似のインパクトが強い、もっと言ってしまえば“えげつない”という事かもしれません。
昔、松坂慶子さん目当てで観た映画「青春の門」でも、炭鉱労働者の過酷な労働環境が描かれていました。雇い主が巨万の富を築く一方で、その捨て石になったと言っても良い数多の労働者達。しかし彼等が採掘した石炭をエネルギー源にし、生活が向上出来た一般人が居るのも事実。其処迄酷い状況が在ったとは知らなかったにせよ、雇い主だけを100%は責められない部分も在る気がしますね。
似てこないですから
真似される側は不快になるかもしれません。
しかしg-55さんもおっしゃるように
「ここでクレームつけたら『度量が狭い』と
思われ」るのは
芸能人として大変損だと思うのですが・・
あややは、はるな愛のモノマネで
露出が増えたように思えます。
美川憲一はコロッケのモノマネで
復活したのも記憶に新しいですよね。
ダチョウ倶楽部の真似するド○カムについては
抗議があっり、やらなくなったという
噂を聞いたことがあります・・
「モダンタイムス」の件、ご迷惑をおかけいたしました。
(誤解を招く表現、というよりも、私の読解力のなさが招いた結果ですので、誠に申し訳ありません)
ところで、私は成人してからは、ほとんど牛乳を購入していない位、あまり好みでないです(汗)。
でも、決して、牛乳が飲めない訳ではなく、単純に好きではないからです(劇汗)。
例え、かつて、好きであっても連続だと嫌いになるものもありますし、反対に、苦手でも、全くダメではないのものの、連続で更に、嫌となるもののもあります。
でも、本当に、大人になって(お酒を呑みだして)、好みも変わりました。
子供、自分、ワサビの美味しさが分からなかったですが、今では、なくてはならないものとなりました。
学生時代、サークルの合宿等で夜に怪談話をした事がありますが、銅の鉱山があった町の出身者からは、昔、鉱山で亡くなった大陸から来た(連れてこられた)労働者の幽霊が鉱山の跡地に出る話を聞いたことがあります。所謂「心霊スポット」と呼ばれるのは、トンネルとか貯水池とか廃鉱だったりしますが、そこで亡くなった人たちの悲劇を伝える話が、霊の話に変わったのかなとも思えます。
○物まね
はっきり言って、山本氏の物まねの元となっている、織田氏の「世界陸上」の司会こそ封印して欲しいです。
物まねといえば、僕は中川家の礼二氏がやる、
「居酒屋のおっちゃん」や「タクシーの配車係」などの物まねが好きです。北朝鮮の国営放送の女子アナの仰々しいしゃべり方を、誰か物まねしないかな、ゴールデンタイムでは差し障りがあるのかなと思ったら、礼二氏が関西ローカル番組でやっていました。
20年や30年までだとさすがにそういうのを実行する人はいなかったが、それでもなんとなく高齢者層を中心にそういうことをまだ許容する雰囲気はありました。あと例えばある旧家に障害児が生まれたのだが4歳ぐらいまで監禁していたという話も20年前にはフツーにありました。(一応書いておきますが、どっかの指導が入ったのか、改心した?としておきましょう、今はその娘のために私財を投じて授産施設を自分の土地の中につくってやってるそうです)
でも流石に今は80や90の年寄り以外はそういう因習を信じたり許容するような人はいないですね。70代の人だと結構合理的な人のほうが多いです。
人柱にしてもそうだけど、それに似たような事象は昭和の、へたすると30年代まで絶滅はしてなかったのではないかな。それだけ厳しい貧困と無教養の人々がいたということです。
抗議するとイメージ的に損だとか、余り考えないのでは?
もちろん信者的ファン以外にはイメージダウンはなはだしいだろうが。
前にも書いた事が在るのですが、かなり遠い姻戚関係に超一流企業のトップを務めていた人物が居ます。社会的には「名士」と称されるで在ろう人物ですが、彼に障害を持った子供が生まれた際、それこそ座敷牢の様な部屋に閉じ込め、ずっと人目に触れない生活をさせていたという話を聞き、「何て酷い事を・・・。」と憤りを感じたもの。そういう状態が何時迄続いていたのかは知りませんが、少なくとも戦後から大分経った頃でも在った様ですね。
様々な面で国民個々の尊厳を無視した出来事が起こっている現代の中国。あそこ迄酷くは無かったでしょうが、嘗ての日本も似た様な部分が在ったのではないかと。