先日、某テレビ番組で爆笑問題の太田光氏が「最近は、逆説的な言い方がし辛い世の中になってしまった。」と嘆いていた。本当に言いたい事を強調する為にわざと最初に相反する主張をし、追ってその理由を積み上げて行き、最終的には最初の主張と相反する、即ち本当に言いたかった事を浮かび上がらせるという手法は、全体を通して判断せずに、一部分だけを取り上げてどうこう騒ぐ人が増えて来た現代に於いて、非常に採り辛くなっていると言うのだ。
確かにそういった風潮を感じる。書き手の主張したい点は明らかに他に在るというのに、瑣末な点をそれが然も書き手の全ての意思で在るかの様に取り上げてバッシングする状況は、ネットの世界でもしばしば見掛けられるからだ。木を見て森を見ずなのか、はた又、単に難癖を付けたいだけなのかは判らないが、どちらにしてもコミュニケーションを図る上で決して喜ばしい風潮では無いと思う。
さて、何故この様な話から入ったかと言えば、今日の記事のタイトルだけを見て「差別表現だ!」と思われてしまうのを避けたかった為。後でも述べるが、「くだらない迷信を信じる程愚かな事は無い。」というのが自分の本意で在る。
十干と十二支の組み合わせから成る干支。甲子(きのえね)から始まって癸亥(みずのとい)迄、全部で60期存在しているのだが、その43期目が「丙午(ひのえうま)」となっている。「丙」も「午」も共に火性で在り、火性が重なる事から、「この年は火災が多い。」とか「この年に生まれた女性は気性が激しく、男を食い殺す。」といった迷信が古くから在り、何時の頃からか「夫殺しの丙午」といった表現がされる様になった。特に江戸時代中期にこの迷信が広く伝わり、丙午に生まれた女の嬰児が間引きされたりしたそうだ。この迷信は昭和の世の中に入っても完全に消滅しておらず、「丙午生まれの女の子だと、将来相手が嫌がって結婚出来ないのではないか。」といった両親の思いから、丙午の年の昭和41年(1966年)は出生数が激減している程。
迷信と言えば自分の親が子供の頃、「双子は呪わしい存在。」として忌み嫌う風潮が在り、今では信じられない話だが、双子が生まれると間引きしてしまう事がまま在ったという。勿論、公にでは無く秘密裏におぞましい事が為されていた訳だが、「人の口には戸が立てられない。」とは良く言ったもので、暫くすると「何処何処の誰々の家では、双子を間引いたらしい。」といった話が徐々に伝わって来たと言うし、「○○さんの子供が急死したのは、以前生まれた双子を間引いた祟りに違いない。」という噂を耳にした事も在ると。半世紀以上前の都心部では無い地域の話だが、そういった話が広まっても警察が特に動く事は無かったという。
迷信が、然も事実の如く流布される事の愚かしさと恐ろしさを感じてしまう。占いや血液型による性格判断等も、それを参考程度に考えるならば未だしも、唯一無二の絶対的真理と捉えてしまうのは非常に危険な事だろう。
先日、良く参加しているネット配信で、別の参加者が書かれていた話を最後に紹介したい。その方の姉上は某情報誌の構成を担当していて、1年半程「占いコーナー」を書いていた時期が在った。或る日、仕事上の事で友人に裏切られた為、軽い復讐心からその占いコーナーで半年間に渡って、その友人の生まれ月をずっと最悪の運勢として書いたという。ラッキー・アイテムも普通じゃない、訳の判らない物ばかりにしていたとか。そんな現実が時には在る事”も”、知っておいて損はないだろう。
確かにそういった風潮を感じる。書き手の主張したい点は明らかに他に在るというのに、瑣末な点をそれが然も書き手の全ての意思で在るかの様に取り上げてバッシングする状況は、ネットの世界でもしばしば見掛けられるからだ。木を見て森を見ずなのか、はた又、単に難癖を付けたいだけなのかは判らないが、どちらにしてもコミュニケーションを図る上で決して喜ばしい風潮では無いと思う。
さて、何故この様な話から入ったかと言えば、今日の記事のタイトルだけを見て「差別表現だ!」と思われてしまうのを避けたかった為。後でも述べるが、「くだらない迷信を信じる程愚かな事は無い。」というのが自分の本意で在る。
十干と十二支の組み合わせから成る干支。甲子(きのえね)から始まって癸亥(みずのとい)迄、全部で60期存在しているのだが、その43期目が「丙午(ひのえうま)」となっている。「丙」も「午」も共に火性で在り、火性が重なる事から、「この年は火災が多い。」とか「この年に生まれた女性は気性が激しく、男を食い殺す。」といった迷信が古くから在り、何時の頃からか「夫殺しの丙午」といった表現がされる様になった。特に江戸時代中期にこの迷信が広く伝わり、丙午に生まれた女の嬰児が間引きされたりしたそうだ。この迷信は昭和の世の中に入っても完全に消滅しておらず、「丙午生まれの女の子だと、将来相手が嫌がって結婚出来ないのではないか。」といった両親の思いから、丙午の年の昭和41年(1966年)は出生数が激減している程。
迷信と言えば自分の親が子供の頃、「双子は呪わしい存在。」として忌み嫌う風潮が在り、今では信じられない話だが、双子が生まれると間引きしてしまう事がまま在ったという。勿論、公にでは無く秘密裏におぞましい事が為されていた訳だが、「人の口には戸が立てられない。」とは良く言ったもので、暫くすると「何処何処の誰々の家では、双子を間引いたらしい。」といった話が徐々に伝わって来たと言うし、「○○さんの子供が急死したのは、以前生まれた双子を間引いた祟りに違いない。」という噂を耳にした事も在ると。半世紀以上前の都心部では無い地域の話だが、そういった話が広まっても警察が特に動く事は無かったという。
迷信が、然も事実の如く流布される事の愚かしさと恐ろしさを感じてしまう。占いや血液型による性格判断等も、それを参考程度に考えるならば未だしも、唯一無二の絶対的真理と捉えてしまうのは非常に危険な事だろう。
先日、良く参加しているネット配信で、別の参加者が書かれていた話を最後に紹介したい。その方の姉上は某情報誌の構成を担当していて、1年半程「占いコーナー」を書いていた時期が在った。或る日、仕事上の事で友人に裏切られた為、軽い復讐心からその占いコーナーで半年間に渡って、その友人の生まれ月をずっと最悪の運勢として書いたという。ラッキー・アイテムも普通じゃない、訳の判らない物ばかりにしていたとか。そんな現実が時には在る事”も”、知っておいて損はないだろう。
>占いや血液型による性格判断等も、それを参考程度に考えるならば未だしも、唯一無二の絶対的真理と捉えてしまうのは非常に危険な事だろう。
本当にそうですね。私はO型なんですが、人はよく私をB型だとかAB型だとか言うんです。それでO型なんだって言っても、いや絶対にB型だと言い張る。血液型は今や性格判断の型になってしまっているらしい。
占いにしても血液型にしてもある程度当てはまることはあると思うが、それに左右されるのは危険ですね。たとえ正確な占いでも未来が分かってしまったらつまらないです。未知だから生きがいがあるんじゃないかな。
これも痛感します。マスコミや政治家たちの言論が不毛なのはこのせいかも。
占いなんてそんなもんです。
血液型にしろ星占いしろ人の性格や運勢を単純に振り分けられない。人生はもっと複雑です。
私は星占いなど少しは気にする方なのですが、当たると信じたり、当たらないと神様に毒づいたり、勝手なんです。 金運良しの日に合わせて宝くじを買ってみたり。 けれど今のところ当たったためしがありません。 動物占いや血液型占いで楽しく盛り上がったり遊び心をくすぐる程度のものはよいと思いますが、人の心理や思考パターンなどを研究した人間がたくみに人の心をもてあそぶような行為として占いをしてしまったらそれは問題だと思います。 レーガン大統領のご夫人が晩年、占星術から啓示を受け、政策に口を挟んだことをマスコミが批判していましたが、アメリカでもこんなことがあるのかと驚きました。 卑弥呼じゃあるまいし。
古今東西を問わず、時の為政者が占い師にアドバイスを受けるという事は結構在る様です。と言うか、卑弥呼なんかはそもそも占い師的な性格を持ったシャーマン(巫女)と為政者を兼任していた人物とも言われていますよね。
時の為政者から寵愛を受けていた占い師というと、嘗て藤田小乙女さんという人物が居りました。彼女は歴代の首相の相談役とも称されていましたが、晩年はハワイで実の息子と共に惨殺されました。犯人は知己の人間という事で逮捕されましたが、殺害に到った理由に関しては諸説飛び交っていたのを覚えています。高名な占い師で在りながら、自身の運命は占えなかったという皮肉。占いを信じるの個人の自由なのですが、占いとはその程度の存在と思っていた方が言い様に自分は思います。だって、占いで自分の人生が縛られてしまうなんてつまらないですから。
1966年生まれというと
斉藤由貴、早見優がそうだったと思います。どちらもファンでした。
マスメディアが執拗に取り上げた事で、「丙午」という存在が忘却の彼方から蘇って来たというのは在りそうですね。前回が1966年ですから、次の丙午の年は2026年になる訳ですが、この際も同じ様にマスメディアは取り上げるのだろうか?まあ、秋篠宮妃(紀子さん)が1966年生まれという事で、丙午のマイナス・イメージもかなり払拭されたのではないかという気がしますので、次の丙午の年にはそれが理由での出生率激減という”愚”は繰り返さないのかも。
しかし因習の大本山のようなところですが、丙午は気にしなかったのでしょうかね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/1966%E5%B9%B4
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ここを見ると斉藤由貴と誕生日が一日違いなんですね。
他の面子を見ると「三田寛子」「石川秀美」「高井麻巳子」(気が多いのでこの子達も好きだった)のようなタイプから、「村上里佳子」(不良ぽくて苦手だった)までさまざまですね。あとキョンキョンもそうなんですね。
因襲の大本山たる皇室も、美智子さんが輿入れされて以降はかなり柔軟性を持って来ているのかもしれませんね。雅子さんとの結婚話が持ち上がった際も、母方の御祖父様が水俣病を引き起こしたチッソの社長だった事が宮内庁でかなり問題になった様ですが、雅子さん当人は無関係という事で許可されたという話も在りますし。(こんな事迄問題視されてしまうのは気の毒と、流石に皇室嫌いの自分でも同情してしまいます。)もしかしたら紀子さんの場合は、長男では無く次男坊の御嫁さんという事も在って、丙午云々は”選考基準”でどうこう言われなかったのかもしれませんね。どういう理由で在れ、こんな”迷信”で言われも無い差別を受けるのは全くおかしなものです。
1966年生まれが16歳になった年、即ち1982年はアイドルの当たり年と言われました。この顔触れを見ると頷けますね。斉藤由貴さんや石川秀美さん(「実物は驚く程奇麗だった。」という話を、実際に間近で見た人間が良く言っていたのを思い出します。)等好きでした。