物を無くす事は余り無い自分だけれど、傘だけは良く無くす。雨の日に電車に乗った際、他の人の迷惑にならない様に内側に向けた形で手摺りに傘を掛けるのだが、取り忘れて下車し、「あっ!取り忘れた!!」と気付くのだ。鉄道会社に電話して確認するのも何なので、結局は新しい傘を買う事になる。そんな感じで良く無くすので、安い傘しか買わない。
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「平気で人の傘を持って行く人 『自己中』、『普通の神経なら考えられない。』」(7月1日、キャリコネニュース)
梅雨の時期の必須アイテムと言えば「傘」。然し、急な雨に降られた時、職場やコンヴィニ等どで傘を盗まれてしまい、苦い思いをした事が在る人も多いのではないだろうか。
6月16日、ガールズちゃんねるに「傘を盗る人の心理」というトピックが立てられた。トピ主は、雨の日に職場のロッカーに保管していた置き傘を盗まれてしまったと言う。其のその旨を友人に相談した所、「借りただけじゃない?」と言われたそうで、「無断で持って行く事は、借りるとは言いません。」、「傘を盗って行く人は、どういう心理なんでしょうか?」と怒りのコメントを残していた。
トピック内では、「普通の神経なら、考えられない。」、「他人の傘を黙って持って行くのは窃盗だよね。」等、平気で傘を盗んで行く人を批判する声が多数寄せられていた。
更に、傘を盗まれたトピ主に「借りただけじゃない?」と言った友人に対しても、「其の友達も、『借りる。』って感覚なんだね。残念。」、「傘を取る人も怖いけど、其の発言をする友人も変な人だと思うよ。」と、批判的なコメントが相次いで投稿されていた。
又、トピ主と同様、職場で置き傘を盗まれた経験が在る人からの書き込みも、幾つか見受けられた。数年間使っていた御気に入りの傘を盗まれてしまったという或るユーザーは、「後日、先輩が『此の前傘無くて、誰かの置きっ放しの傘使っちゃったー。ボロボロだったし。』って言われました。確かに持ち手に傷付いてましたが、数年使ってる御気に入りの傘だったのに・・・。ボロボロって言われて、『其れ私のです!』って言えなくなりました。」という悲しいエピソードを投稿していた。其れにしても、人の傘を勝手に使っておいて「ボロボロ」とは、随分と図々しい先輩だ。
此の様に臆面も無く他人の傘を盗んで行く人の心理に付いて、トピック内では、「コンヴィニの塵箱に買ってない物の塵を入れたり、トイレの三角コーナーに普通の塵入れたりっていうのと同じ感覚だと思う。」、「盗った人は、『其の人も、他の盗れば良いじゃん。』位にしか考えてないですよ。相手にするだけ無駄です。残念ですが。」と、盗む人の罪の意識が低い事を指摘する声が在った。傘を盗まれたら、持ち主は雨に濡れて帰るか、新しい傘を買わなければいけなくなる。そうした事に対する想像力も働かないのだろう。
傘を盗まれない為に、予め対策を講じているユーザーも多い様で、「職場で傘取られたく無い人は、名前シール貼ってた。最初は笑ってたけど、自分も遣ってみたら、全然取られなくなったよ。」、「折り畳み傘か傘袋を使って、荷物と同じく持ち歩く。」といった自衛策が書き込まれていた。
当然乍ら、傘を盗むのは、立派な犯罪に当たる行為。傘を買わずに済んでも、持ち主の恨みを買ってしまう事を自覚して欲しい物だ。
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どんな理由が在るにせよ、他人のロッカーを“態々”開け、無断で他人の傘を持って行くというのは、窃盗以外の何物でも無い。そういう事を平気で出来てしまう神経が理解出来ないし、又、そういう行為を「借りただけじゃない?」と言えてしまう人も理解出来ない。傘立てに置いてあったのでは無く、態々他人のロッカーを開けているのだから。
又、置き傘を黙って持って行ってしまった先輩の話だが、後日、持って行った事を皆の前で言っているのだから“軽い気持ちでの行為”だったのだろうとは思うけれど、きちんと元の場所に返すべきだし、「ボロボロだったし。」とか言うべきでは無い。
以前にも書いた話だが、もう15年以上も前の出来事。雨の日に電車に乗り、何時もの様に手摺りに傘を掛け、うつらうつらしていた。で、降車駅のアナウンスがされたので、「さあ降り様か。」と思った所、手摺りに掛けた傘がすっと引き抜かれる感覚が。「えっ!?」と思って見ると、20代位の若い兄ちゃんが自分(giants-55)の傘を手に取って、スタスタと出て行くではないか。慌てて追い駆け、肩を叩いて「其れ、俺の傘だよ。」と声を掛けた。
申し訳無さそうな顔をして、「あっ!済みません。自分の傘と間違えました。」とでも言うと思っていた。彼の傘は車内に見当たらなかったけれど、“嘘”でもそう言うだろうと。でも、振り向いた彼は全く無表情の儘、持っていた傘をポイッと此方に放り投げ、無言でスタスタと立ち去って行ったのだった。もう唖然とするしか無かった自分。結局、「自分の物は、自分の物。他人の物も、自分の物。」という感覚なのだろう。
又、記事内で書かれているけれど、「『其の人も、他の盗れば良いじゃん。』位にしか考えてない様な盗った人。」というのは確かに存在するだろうし、こういう輩に限って自分の物が他人に盗まれると、狂った様に批判するだろう。
犯罪が起こると、加害者を責めるのでは無く、巻き込まれた被害者を「そういう時間に、そういう場所に行くのが悪い。」みたいに責めるアレな人が居たりするけれど、そういう人は「盗まれる環境にしていた人間が悪い。」と被害者を責めるに違い無い。仮に落ち度が在ったにしても、責められるべきは加害者なのに。
傘を獲る人は、金がないから、貧困や生活のやむに已まれぬ悩みやストレスから、獲るわけではないでしょう。貧困が犯罪を生むものならば、モラルは先進国日本では一人でに糾される、という事になると思います。子供や未成年の悪戯や、軽犯罪で済まされてしまう案件で、そこに厳格に臨む、というのはずれているかも知れません。教育でカヴァーし切れない、生活に直結する日々のモラルというのは、個人の本質が出るだけに、最も教えづらい、導きづらい事なのでしょうね。
学校の道徳で教える、という事も考えられますが、教材で日常的でつまらないテーマを教えても、それが人の心に響くか、という事は別でしょう。人の本質に関わる事柄を糾すには、圧倒的に人の善悪を問う美談もありだと思います。同じ人間だと前提を持った上で、優れた美談や偉人から学ぶ、という試みを教育の分野から試してもらいたい、と思います。
仰る様に傘は高い物では在りません(勿論、高額な物も在りますが。)ので、盗る方も良心の呵責というハードルが高くないのかもしれません。でも、立場を逆にして、雨の時に自分の傘が誰かに持って行かれたとしたら、どう思うのか?「そういう“想像力が欠如した人”が増えた。」いうのも在るのかもしれませんね。
「自分とは無関係な話は、どうだって良い。」という考え方で、本来は大事な事柄から目を逸らしたりする人が少なく無い。でも、本当に無関係な事なのか?歴史を振り返るだけでも、「無関係と思われた事柄が、軈ては自身にも降り掛かって来て、気付いた時には雁字搦めとなって、何も言えず、何も出来なくなっていた。」なんて事は腐る程在る。想像力を逞しくするというのは、非常に大事な事なんですけどね。