8月3日にテレビ朝日系列で放送された「池上彰のニュースそうだったのか!!」で、(学校での)水泳の授業に付いて取り上げていた。「夏だけの体育の授業=水泳」というのが当たり前な感じの日本だが、実は「(我が国の様に)殆どの学校にプールが在るというのは、世界的にも珍しい。」のだとか。
では、「何故、日本の学校では、こんなにもプールが普及しているのか?」というと、1955年に発生した「紫雲丸沈没事故」による部分が大きいそうだ。此れは「修学旅行中の小・中学生等が乗った宇高連絡船『紫雲丸』が、貨物船と衝突&沈没した事故。」で、生徒100名を含む、合計168人が亡くなった大惨事。此の事故により、「若しもの時に備え、子供達が泳げる様にした方が良い。」という話になり、学校での水泳の授業化が進み、延いてはプールの設置率が上昇。
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「プール設置率」
1963年(公立学校のみの数字)
小学校:約14%
中学校:約9%
2018年(屋外プール)
小学校:約94%
中学校:約73%
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プール設置率、55年間で非常に上昇しているけれど、個人的には「小・中学校共に、100%(近く)じゃ無いんだ。」という驚きが在った。「学校のプール=設置されていて当たり前。」というイメージが在ったからだが、僻地等の理由から「設置されていない。」という所も在るのだろう。
で、小・中学校のプール、実は近年減っていると言う。2021年のデータだと「小学校:約87%、中学校:約65%」と、2018年と比べると「小学校:約7%減、中学校:約8%減」となっている。
では、何故、学校のプールが減っているのか?プールの耐用年数は「30~40年」で、全国一斉に作られたプールが近年、どっと“寿命”を迎えているのだが、費用が結構必要な事から、「新たに作るか?其れとも、無くすか?」という議論になっているそうだ。
又、一番大きな要因は「教師不足」。「プール掃除」や「水質管理」、「夏休み中のプール管理」、「水泳の専門知識が必要(命に関わる話なので、生半可な知識では教えられない。)」等、教師の負担が大きい事に加え、肝心の教師数が足りていないというのが在る。「余りにも多忙過ぎて、プールに入れる水を止め忘れ、多額な水道代が当該教師に請求された。」なんていうニュースも在ったっけ。
そういう事情も在り、学校内のプールを廃止し、民間のスポーツクラブに“水泳の授業”を委託する学校も出て来ている。教師の負担減を目的に、部活動の指導を“アウトソーシング”する動きが広がっている様だが、其の一環と言えるだろう。
学習指導要領によると、水泳の授業は「小学校1年生~中学校2年生迄必修。」となっているが、「プールが無い場合は座学だけで済ませ、実技は無くても良い。」という事になっているとか。水泳の授業が座学だけというのは、何か妙な感じがする。
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経験格差(体験格差):世帯年収の違い等から、子供の経験に差が出る事。
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番組内でゲストの伊集院光氏が、「貧富の差によって、貧しい家庭の子の“出会えるスポーツ”が限定され、延いては運動能力に差が出てしまうのはどうかと思う。学校にプールが設置されていない為、水泳の授業が座学だけで済まされた場合、御金の在る家庭の子はスポーツクラブ等で水泳の練習が出来るけれど、貧しい家庭の子は出来ないとなる可能性も出て来る。国が補助金を出す等、何等かの“救済措置”が必要ではないか。」という趣旨の発言をしていたが、其の通りだと思う。余りにも格差社会が進んでしまった事で、学力格差のみならず、経験格差迄起こってしまっては、何とも遣り切れない事だから。
こういう季節は水が恋しい(笑)。
「紫雲丸沈没事故」が小中学校の水泳授業、ひいてはプールの普及に大きく影響した、との解説だったそうですね。
だとするとひとつ疑問が浮かんできます(話題が水泳だけに)。
なぜ小中学校の水泳の授業が『着衣水泳』を含んで始まっていないのか。
沈没による事故が起こったとき、乗船者は普通は着衣のはず。
水着による水泳と着衣水泳は全く別物であり、いくら水着での水泳で泳げる、溺れない訓練をしても、着衣でパニック状態では役に立たないと思うんですよね。
切っ掛けが沈没による溺死犠牲事故だったなら、とそう思う訳です。
私の小学生時代(1955~1961)、1度転校していますが京都市内のどちらの学校にもプールはありませんでした。
しかし中学校には立派なプールがあり水泳の授業や水泳大会もありましたが、着衣水泳の記憶はありません。
今は乗船時に救命胴衣着用は必須ですから、着衣水泳の練習は必要ないのかもしれませんね。
ちなみに、私が入学した小学校にプールはありませんでしたが、近くに踏水会という水泳の私塾があって、そこでは立ち泳ぎや古式泳法も教えていたそうです。
古式泳法と言えば戦国時代に武具を付けたままで泳いだという伝統泳法の流れで、確か着衣泳法も含まれていたはず・・・。
学校での「着衣水泳授業」に付いて、以前、本に書かれていました。其れによると、「学校で着衣水泳授業が行われる様になったのは、1980年代から。」という事でした。「其れ以前は、競泳種目の泳法指導が重要視されていた。」と。
で、此処からは飽く迄も“私見”ですが、「確かに古式泳法の流れで着衣泳法の存在自体は、其れ迄にも存在していたものの、“国民性”から『着衣状態でも、“根性”で泳げる筈。』という考え方が根強く、だからこそ順位を争う泳法は重要視されていたが、命を守る泳法は軽視されていたのではないか。」という気が。何しろ「戦時中、竹槍でアメリカの爆撃機を落とそうとする訓練が行われていた様な根性論が前面に打ち出されていた国。」ですので。