元日の記事で「1912年4月15日、北大西洋に沈んだタイタニック号。今年は、沈没から100年を迎える。『政治面では世界的に激動の1年』になりそうな2012年だが、世界の国々が“沈む”年にだけはなって欲しくない。」と書いたが、タイタニック号沈没を思い起こさせる事故が起こってしまった。1月13日、ティレニア海で座礁&転覆した「コスタ・コンコルディア」がそうで、死者数11人&行方不明者数28人(其れ其れ、1月18日現在の人数。)という大惨事に。
映画「タイタニック」は好きな作品で、何度見ても涙してしまう。沈み行く船に最後迄留まり、海に消えた船長の姿にも泣けて泣けて仕方なかったが、「コスタ・コンコルディアの船長は乗員達をほったらかしにし、とっとと船から逃げ出していた。」という事で非難を浴びている。船長として在るまじき行為だ。」と呆れ果てる許りだが、では「実際に自分が彼と同じ状況に置かれたら、最後迄職務を全う出来ただろうか?」と考えると、答えに窮してしまう。家族の事を考えると、「何としても生き延びたい。」という思いが在るから。
「我先にと逃げ出そうとする乗客達で甲板がごった返す中、少しでも気を鎮めて貰えればと、甲板上で最後迄演奏を続けたバンドのメンバー達。」も、映画「タイタニック」で滂沱してしまうシーンの1つ。今回の事故でも、楽団員の哀しい死が在ったと言う。
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「楽器の為に客船内へ=犠牲の楽団員―ハンガリー紙」(1月19日、時事通信)
ハンガリー紙ブリック(電子版)は18日、イタリア沖で起きた豪華客船の座礁事故で犠牲になった同船の男性ハンガリー人楽団員は楽器の為に船内に戻り、死亡したと伝えた。
ヴァイオリン奏者のサーンドル・フェヘールさん(38歳)で、楽団のピアニストによると、泣いていた乗客の子供2人に救命胴衣を着せた後、愛用のヴァイオリンを安全な場所に仕舞う為に船室に戻り、甲板に出て来てから行方が判らなくなったと言う。
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「今回の事故で救助された乗客の中には、大伯父がタイタニック号沈没事故で亡くなった姉弟が居た。」という報道も在り、100年前の大惨事と重ね合せてしまう部分が結構在る。
乗客を落ちつかせるために演奏したという話は、『ブラック・ジャック』にも出てきますね。飛行機が北極圏に近いところで不時着したときに、世界的バイオリニストがおもむろに演奏し始めて乗客が落ち着きを取り戻したものの、バイオリニストは凍傷で指がもげてしまい、義指をつける手術をブラック・ジャックが行うといったストーリーだったと思います。音楽は、普通の人が普通に暮らしている分には「日々の潤い」ですが、困難に直面した時には凄い力を持つものですね。
タイタニック号が沈んだ23年後、同じ日付(4月14日)に、同じ場所をタイタニアン号という船が通りかかり、だんだん不安が高じた見張り担当の船員が、思わず非常信号を鳴らしたために航海士が船を緊急停止させたら、前方に巨大な氷山があったらしいです。奇しくもその見張り担当者の誕生日も4月14日だったそうです。
自分が今回の船長の立場だったら、どういう行動を取っていたか?正直な思いを書けば、先ずは乗客達の安全確保を考えるでしょうね。「船長という職務を全うしなければいけない。」という責任感が2割、そして「乗客達を放置して逃げたりしたら、自分のみならず家族も猛バッシングを受けるだろう。」という懸念からが8割。そして徹底的に乗客の安全確保を図るも、いよいよ自身の命に危機が迫った時には、「船と共に沈む。」という選択肢を自分は選べない。矢張り自身の家族の事が気掛かりですし、自身の命を惜しむという情け無さが出てしまうと思うので。普段は偉そうな事を書いている自分ですが、恥ずかしいけれどそんな感じかと。ですから今回の船長がとっとと逃げ出した事には憤りを覚えるけれど、「“最後迄”船に残らなかった。」という点に於ては、自分は彼を非難出来ない。
手塚先生の大ファンなので、「ブラック・ジャック」の逸話を記して下さったのは、とても嬉しいです。「ストラディバリウス」(http://www.phoenix.to/75/bj55.html)も名作。音楽が人々に力を与えるという事では、大好きな映画「サウンド・オブ・ミュージック」でも其れを痛感しました。
国民性と言いましょうか、其の国の人々に対する“一般的なイメージ”というのは在りますね。勿論例外は在りますが、日本人やドイツ人の国民性としては「生真面目」や「責任感が強い」というのが“良いイメージ”として在れば、イタリア人に対する“悪いイメージ”としては「チャラい」というのが在るのは否めない。(唯、「チャラい」というのも、“良く言えば”「陽気」というプラス・イメージで置き換える事も出来る訳ですが。)
「『子孫を残す為に、何としても生き延びる。』という意思は、人間のみならず多くの生き物に見られる物ではないか。」というのを、現在視聴している「プラネットアース」(http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/ff70891b80b5f95da9fc4eeb388fc1f1)で強く感じます。人間も「弱肉強食」の世界に身を置く生物の1つでは在りますが、同時に「弱き者を慈しみ、助ける。」という思いが在るのも、仰る様に人間なのですよね。