当ブログで、何度も紹介した事が在る知り合いの高齢女性。兎に角、嬉々として弱者を叩く。例えば生活保護費の不正受給のニュースが報じられると、生活保護費受給者を十把一絡げにして叩く。彼女の頭の中では「必死で頑張っているのに、最低限の生活を送る事も出来ない人が存在する。」なんていう事が、全く思い浮かばないのだろう。セーフティー・ネットが充分に機能していない我が国に在っては、誰しもが苦しい境遇に陥る可能性が在るというのに、「私は、そんな境遇に陥る訳が無い。」と彼女は思っている様だ。或る意味、彼女は想像力が欠如していると思う。
又、極右的な思考の彼女は、自身が嫌いな人物(所謂“リベラルな立場の人物”。)に付いて語る際、馬鹿の一つ覚えの様に主張する事が在る。「〇〇は在日韓国人で、生家の墓は済州島に在るのよ。」というのが其れで、彼女の嫌いな人物は“皆”、そういう事らしい。「本当?」と問うと、彼女は自信たっぷりに「本当よ。ネットに書いて在ったから。」と答えるのも、此れ又、馬鹿の一つ覚え。「自身にとって好ましい事しか報じない媒体だけに当たり、自身にとって好ましい情報(=デマ)だけを無条件で妄信する。」という事だ。「様々な媒体に当たり、全てを自身の頭で考え、そしてデマを排除して行く。」という当たり前の作業が出来ないのは、思考力の欠如と言って良い。「『リベラルな人間許りが在日朝鮮人で在り、生家の墓が済州島に在る。』っていうのは、どう考えても不自然。」という事に思い到らないのは、想像力の欠如でも在る。
彼女の様な人、老若男女を問わず、増えている様に感じる。様々な能力の欠如、又は様々な能力の衰えを、其の言動から感じさせられる事が、近年とても増えているから。
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「災害の時どうする? 字幕付きYouTubeに慣れて『ラジオを聴き取れない若者達』急増」(5月21日、FLASH)
5月10日、警視庁の警備部災害対策課がツイッターに投稿した呟きが、話題を呼んでいる。「小学生の娘が、ラジオを聴き取れない。」という内容だ。「ラジオを聴いた事が無い小学生の娘と、一緒に放送を聴いてみました。感想は『何を言っているのか聴きとれない。』との事。視覚からの情報が多い現在、耳からの情報には、多少の慣れが必要なのでしょうか?ラジオは災害時の重要な情報源、家族でラジオに耳を傾けるのも、防災対策の1つになるのでは・・・。」。
此のツイートに対して、SNS上では様々な声が寄せられた。「TVも一々テロップが付くので、耳だけでは理解出来なくなった。」、「『テロップに慣れ過ぎている。』のかも知れない。」、「視覚情報の無い物って駄目らしい。子供等皆、電話しないもんな。」、「ラジオは、訓練と迄は行かない迄も、慣れないと、内容が入って来ないんですよね。」。
本当に、「聴く力」は落ちているのか。コミュニティ・ラジオを専門とする、北郷裕美・大正大学社会共生学部教授が、こう話す。「『聴く力』の衰えは、大学で教えていても感じます。授業でラジオ・ドラマ等、音だけを聴かせる事が在るのです。すると、学生が戸惑うというか、どうして良いか判らない状況に陥ってしまう。悪気は無いと思うんですが、音だけを聴くシチュエーションが日常生活で少なくなっているから、思わず拒否反応を示してしまう。ネット・ネイティヴと言われる、今丁度20歳位の学生から、著しい変化を感じますね。」。
其の原因として北郷教授が挙げるのが、SNSでも指摘されていたテロップだ。「YouTubeやTVで、テロップが入るのが影響していると思います。ヴァラエティのテロップを含めて、短文じゃないですか。書体なんかを見ても、視覚に絵の様に訴え掛けて来る。だから、『音だけを聴く事に、拒否反応を示してしまう。』のだと思います。警視庁のツイート自体は小学生の話で、今の大学生は此れ程どでは無いと思いますが、時間の問題だと思います。電車でも、昔ならイヤホンで音だけ聴いている人が居ましたが、今はゲームにしろ動画にしろ、必ず画面を見ている。音だけを聴いて、目を瞑っている人って減りましたよね。」。
10~20年前に、「若者が、映画の字幕を読めなくなっている。」と話題になった事が在る。だが、北郷教授によれば、「今の若者は、映画の字幕とTVのテロップを別物と捉えている。」と言う。「映画館でも、字幕より吹き替えの方が人気が在るという事で、最初は吃驚したんですが、矢張り本を読まなくなっていますからね。大学生でさえ本を読まなくなって、年間1冊or2冊という人も居ます。今の若者は、長い文章が苦手なんです。ネット上で、活字を読んではいるんです。でも、非常に短い文だし、じっくり読むというより、どんどん移ろって行く。活字に対する弱さは、出て来ています。学生のレポートを見ても、ツイッターやラインの延長の様に、箇条書きが連続で繰り返される様なレポートが増えています。映画の字幕は、長文の様に続きます。同じ文字では在るけれど、好き嫌いがハッキリして来るんですね。今の若者は、同じ字幕でも、映画の字幕とTVのテロップを、別物と捉えているのではないでしょうか。」。(同前)
更に北郷教授は、驚く事を言う。「便利な物に慣れ過ぎて、此れ迄自分が触れ合って来ていない物に対し、身体が拒否反応を示す若者が多い。」と言う。「授業で昔の動画を見せる事が在るんです。ニュース映像とか、古い映画ですね。モノクロの映像を見せてアンケートを取ったら、『色が付いていない物を見ると、吐きそうになる。』という物が在りました。モノクロ映像を身体が拒否するなんて、一寸驚きました。触れて来た環境とは違う物に対する拒否反応が強いというか。積極的に自分から吸収するのでは無く、楽な方に行っている。全体的に、想像力が弱くなっていると思うのです。文字や音を拒否するのも同じです。文字や音から、脳の中で絵を構築する想像力が、トレーニングされていない。初めから絵を求めてしまうから、拒否反応を起こすのだと思います。」。(同前)
決して、面白くないから“ラジオ離れ”をしているのでは無い。今の若者は「未だラジオに触れていない。」状態なのだ。だから、「周囲が、音だけに触れさせる努力が必要。」と言う。「ラジオを聴いていた世代、親や家族がラジオを流しっ放しでも良いんです。絵の無い環境で、音だけ流す。音だけを聴く状況を作る。此れは努力が必要ですが、そうしないと、災害時にラジオを聴けないと思います。ラジオを聴いている学生は、感覚としては1%位です。100人居て1~2人。『ナインティナインのオールナイトニッポン』とか、矢張り芸能人のディスク・ジョッキー型の物ですね。其れでも良いと思うんです。芸能人は、TVで言えない事を、ラジオで本音に近い形で喋ります。最近で言えば、有吉弘行さんも、上島竜平さんが亡くなって最初の第一声は、自分のラジオ番組でした。嘗て中居正広さんも、スマップ解散に付いて初めて語ったのは、自身のラジオ番組でした。芸能人の本音が聴けるのも、ラジオの魅力なんです。だから、芸能人のラジオを聴くのでも良い。是非ラジオに接して、親しんで欲しいと思います。」。
「脳を鍛えるには、ラジオが最適。」という声も在る。災害時に備える上でも、ラジオを聴く習慣を付けたい物だ。
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TV番組、特にヴァラエティー番組で無闇矢鱈とテロップが付けられる様になって久しい。「はい、此処が笑うポイントですよ。」的なテロップに到ってはうんざりしてしまうし、テロップ過多な状況には「見ている側の思考力や想像力を奪ってしまうのではないか?」という懸念が、自分にはずっと在った。そういう状況が“聴く力”を失わせていっているとしたら、非常に心配。
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以前に書いた事だけれど、学生時代は良くラジオ番を聞いていた。好きな番組の1つに「ラジオ劇画傑作シリーズ」【音声】というのが在り、放送当時に人気を博していた漫画をラジオ・ドラマ化した内容。一番印象に残っているのは、第2弾の「ブラック・ジャック」だ。効果音の使い方等、とても面白かった。
TV番組とラジオ番組の大きな違いは、受け手が“視覚”を使用するか否かだろう。TV番組の場合、視聴者は視覚を使用する。「雨が降っている。」とか「人が怒っている。」等が、画面を見ていれば、説明されずとも判る。でも、ラジオ番組の場合は“音声”だけが頼りなので、聴取者は音声のみで状況を判断する事になる。ラジオ番組の制作者は音声で状況を的確に伝えなければならないが、くどくどしい説明調だと、聴取者も飽きてしまうだろう。TV番組の制作者にも苦労は在ろうが、ラジオ番組の制作者は本当に大変だと思う。
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4年前の記事「ブロードキャスト」の中で書いた文章。ラジオ番組は“作り手の能力”を鍛えると同時に、“聴き手の想像力や思考力”を鍛えるという面が在る。読書やラジオ番組の聴取等で、様々な能力を鍛える事は重要だ。