2年前の3月、大阪市で不動産業を営む高齢の女性が逮捕された。不動産業を営んでいた父親が2004年10月に亡くなった際に社長業を引き継いだのだが、その際に相続税を脱税した容疑でだ。このニュースは大きく報じられていたので、覚えておられる方も多い事だろう。約61億円という大量の現金を台所やガレージの棚等、自宅のあらゆる場所に隠匿していたというあの事件だ。週刊朝日(3月12日号)に、「61億円隠し 過去最高額の相続税脱税事件 女性被告(66歳) 札束まみれの蓄財人生」という記事が載っていた。
1998年頃に父親が仮名口座で預金していた金融機関の経営状況が芳しくない事を知った彼女は、「このまま金融機関に置いといたら、全部取られてしまうかもしれん。取られなくても、相続税でようけ持って行かれて大変。はよう引き出して、現金にして家に置いとこ。」と妹に相談し、せっせと巨額の定期預金を次々に解約。その総額が約61億円。父親が亡くなった際に彼女と妹が相続した総額は現金と債権を合わせて約82億円だったのだが、申告は隠匿分の約61億円を差し引いた約21億円で行ったと言う。
「銀行が信じられないから。」、「相続税でドカンと持って行かれるのが嫌だから。」という理由は在るにせよ、約61億円もの大金を自宅に、それも無造作に隠していたという感覚に驚かされてしまう。
更に驚かされるのが、彼女や妹の生活振り。「超」が幾つも付く位の金持ちなのに、その生活は半端じゃ無い程に質素だったとか。「服はバーゲンや貰い物。休日は御握り持参で博物館に行く程度。」、「宝石や高級車等、贅沢品は殆ど見当たらない。家も可成り古い物件。只管、蓄財。家計簿も細かく付け、此処迄徹底している人は稀ですよ。」と、この事件の弁護士や捜査関係者の証言が載っている。普段付けていた家計簿には「鶏肉290円」等、買い物した物が細かく記されていたという事で、この記事を読む限りでは「彼女達にとって『御金』は『使う為の物』では無く、『只管貯める為の物』だった。」様に感じる。
昨年、都内で高齢者夫婦が何者かに殺害され、自宅が放火されたという事件が在った。被害者が地元で有名な大資産家だったという事で、こちらのニュースも大きく報じられていたが、週刊誌の報道等によると彼等も「銀行等は信用出来ない。」と大金を家に保管していたと言われている。夫は飲み歩きが、そして妻はパチンコが唯一の趣味だったとも言われ、それ以外は「泥棒が入ってはいけないから。」と夫婦のどちらかが家に居る状態が多かったとも。
被害に遭われたこの御夫婦は気の毒以外の何物でも無いけれど、「これだけ御金を持っていたのなら御金の心配よりも、日々の生活をより楽しくする為に御金を使う事にもっと心を向けた方が良かったのではないだろうか。」と思ってしまう。何に幸せを感じるかは人によって異なる訳で、余計な御世話なのは充分判っているけれど、それでも「御金に縛られただけの人生」の様な感じがして、その意味でも気の毒な気が。
貧乏性の自分なので、どれだけ大金が在ろうとも豪遊したりは出来ない。でも預貯金の利率を考慮し、大きく目減りしない範囲での金銭は、日々の生活に潤いを与えるべく費やすと思う。昔、英語の授業で「比較級」を習った際、“The more we have, the more we want.”という例文を覚えさせられた。「持てば持つ程、益々欲しくなる。」という意味だが、自分の様な貧乏人以上に、御金持ちはそう思う物なのだろうか。
1998年頃に父親が仮名口座で預金していた金融機関の経営状況が芳しくない事を知った彼女は、「このまま金融機関に置いといたら、全部取られてしまうかもしれん。取られなくても、相続税でようけ持って行かれて大変。はよう引き出して、現金にして家に置いとこ。」と妹に相談し、せっせと巨額の定期預金を次々に解約。その総額が約61億円。父親が亡くなった際に彼女と妹が相続した総額は現金と債権を合わせて約82億円だったのだが、申告は隠匿分の約61億円を差し引いた約21億円で行ったと言う。
「銀行が信じられないから。」、「相続税でドカンと持って行かれるのが嫌だから。」という理由は在るにせよ、約61億円もの大金を自宅に、それも無造作に隠していたという感覚に驚かされてしまう。
更に驚かされるのが、彼女や妹の生活振り。「超」が幾つも付く位の金持ちなのに、その生活は半端じゃ無い程に質素だったとか。「服はバーゲンや貰い物。休日は御握り持参で博物館に行く程度。」、「宝石や高級車等、贅沢品は殆ど見当たらない。家も可成り古い物件。只管、蓄財。家計簿も細かく付け、此処迄徹底している人は稀ですよ。」と、この事件の弁護士や捜査関係者の証言が載っている。普段付けていた家計簿には「鶏肉290円」等、買い物した物が細かく記されていたという事で、この記事を読む限りでは「彼女達にとって『御金』は『使う為の物』では無く、『只管貯める為の物』だった。」様に感じる。
昨年、都内で高齢者夫婦が何者かに殺害され、自宅が放火されたという事件が在った。被害者が地元で有名な大資産家だったという事で、こちらのニュースも大きく報じられていたが、週刊誌の報道等によると彼等も「銀行等は信用出来ない。」と大金を家に保管していたと言われている。夫は飲み歩きが、そして妻はパチンコが唯一の趣味だったとも言われ、それ以外は「泥棒が入ってはいけないから。」と夫婦のどちらかが家に居る状態が多かったとも。
被害に遭われたこの御夫婦は気の毒以外の何物でも無いけれど、「これだけ御金を持っていたのなら御金の心配よりも、日々の生活をより楽しくする為に御金を使う事にもっと心を向けた方が良かったのではないだろうか。」と思ってしまう。何に幸せを感じるかは人によって異なる訳で、余計な御世話なのは充分判っているけれど、それでも「御金に縛られただけの人生」の様な感じがして、その意味でも気の毒な気が。
貧乏性の自分なので、どれだけ大金が在ろうとも豪遊したりは出来ない。でも預貯金の利率を考慮し、大きく目減りしない範囲での金銭は、日々の生活に潤いを与えるべく費やすと思う。昔、英語の授業で「比較級」を習った際、“The more we have, the more we want.”という例文を覚えさせられた。「持てば持つ程、益々欲しくなる。」という意味だが、自分の様な貧乏人以上に、御金持ちはそう思う物なのだろうか。
現金を手元におくという発想はないですねえ。
完全に脱税するのは難しいけれど
「節税」する方法もあろうのにと思いますが
よっぽど会計士や税理士に相談する金も勿体無いと思ったのでしょうか?
「手元に一億でも有れば、一生食っていけるだろうから、寄付したりパーッと使えばいいのに」とも思いましたが、きんさんぎんさんでも
老後の貯金をするくらいですから、年寄りの貯金志向は高いというのもよくわかります・・
貯蓄に勤しむ国民性というのも在るのでしょうね。もっと言ってしまえば、「他国に比べて、将来に不安を感じている国民が多い。」という事かと。「そこそこの蓄えが在れば、老後は憂い無く過ごせる。」という国家体制ならば、これ程迄極端に貯蓄する人は出て来ないのかも。