「郵政民営化の是非を問う選挙だ!」と小泉純一郎首相が叫んだ第44回衆議院議員総選挙が行われたのは2005年9月11日。この時に選出された衆議院議員は、9月10日に任期満了を迎える。麻生太郎首相衆議院の解散に踏み切るのか否かは不明なれど(首相の座に固執するタイプに感じられ、本音の部分では解散したくないのではないかと思っているが。)、遅くとも秋口迄には総選挙が行われるのは確実な訳で、そんな時期に選挙関連の小説を読破した。
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私立大学で教鞭を執り、犯罪被害者救済活動を続けて来た大原奈津子は、衆議院統一補欠選挙東京6区への出馬を決める。前議員の田所孝夫がセクハラ事件を起こし、その失職に伴う補選だった。
そんな折、元犯罪者の顔写真や所在等を記したビラを撒いて騒ぎを起こしていた「凶悪犯罪抑止連合会」という実体不明の団体から奈津子宛てに、推薦状が届く。不審な団体からの支持は選挙を不利にする為、奈津子は教え子の夫で元刑事の平澤栄治に相談する。栄治は抑止連の正体を突き止めるべく、捜査を開始した。選挙を知り尽くした策略家・森崎啓子や、抑止連との関係を書き立てる雑誌記者・井端純平のきな臭い動きに翻弄され乍らも、栄治の捜査によって補選の絡繰りが見えて来る。
選挙と、その周辺に渦巻く数々の策謀。様々な人物の思惑が交錯し、それぞれの企みが絡み合う中、開票日が近付く。
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第5回「このミステリーがすごい!」大賞(2006年)で優秀賞に輝いた「当確への布石」(著者:高山聖史氏)。受賞時のタイトルは「暗闘士」という事だが、このタイトルのままでは読者に訴える物が無かったと思う。と言って「『当確への布石』というタイトルは適切か?」と問われれば、読み終えた今は「うーん・・・。」と唸ってしまう。このタイトルも、内容とジャスト・フィットしている様に感じないので。
全体的に読み辛い文章だった。決して難解な文章という訳では無く、寧ろ平易な文章だが、文章と文章との繋がりに判り辛さを感じる所が少なくないのだ。「これは誰が言った言葉?」、「どういう意味なのだろう?」と混乱し、もう一度文章を読み直す作業が多々。これではストーリーに没頭出来ない。
感情移入してしまう程のキャラクターも登場せず、結末も想定内といった感じで、「これで優秀賞なの?」とい疑問が湧いた。
総合評価は星2.5個。
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私立大学で教鞭を執り、犯罪被害者救済活動を続けて来た大原奈津子は、衆議院統一補欠選挙東京6区への出馬を決める。前議員の田所孝夫がセクハラ事件を起こし、その失職に伴う補選だった。
そんな折、元犯罪者の顔写真や所在等を記したビラを撒いて騒ぎを起こしていた「凶悪犯罪抑止連合会」という実体不明の団体から奈津子宛てに、推薦状が届く。不審な団体からの支持は選挙を不利にする為、奈津子は教え子の夫で元刑事の平澤栄治に相談する。栄治は抑止連の正体を突き止めるべく、捜査を開始した。選挙を知り尽くした策略家・森崎啓子や、抑止連との関係を書き立てる雑誌記者・井端純平のきな臭い動きに翻弄され乍らも、栄治の捜査によって補選の絡繰りが見えて来る。
選挙と、その周辺に渦巻く数々の策謀。様々な人物の思惑が交錯し、それぞれの企みが絡み合う中、開票日が近付く。
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第5回「このミステリーがすごい!」大賞(2006年)で優秀賞に輝いた「当確への布石」(著者:高山聖史氏)。受賞時のタイトルは「暗闘士」という事だが、このタイトルのままでは読者に訴える物が無かったと思う。と言って「『当確への布石』というタイトルは適切か?」と問われれば、読み終えた今は「うーん・・・。」と唸ってしまう。このタイトルも、内容とジャスト・フィットしている様に感じないので。
全体的に読み辛い文章だった。決して難解な文章という訳では無く、寧ろ平易な文章だが、文章と文章との繋がりに判り辛さを感じる所が少なくないのだ。「これは誰が言った言葉?」、「どういう意味なのだろう?」と混乱し、もう一度文章を読み直す作業が多々。これではストーリーに没頭出来ない。
感情移入してしまう程のキャラクターも登場せず、結末も想定内といった感じで、「これで優秀賞なの?」とい疑問が湧いた。
総合評価は星2.5個。
書評も○○賞にしても、本を売るための広告の一手法、と考えれば何割か差し引いて受け止めればいいのでしょうね。
麻生さん。ほとんどは自身の蒔いた軽薄な言動のせいで窮地に立っていますが、先の2人の首相が任期途中で投げ出したものだから、何と言われようが自分は意地でも投げ出せない、と思っているようにも見えて、ちょっと気の毒な面も。
自分たちで担ぎ出しておきながら、形勢不利と見るやすぐに反乱を起こす議員たちを見ると、戦国時代の下克上の様相です。国の将来や国民のことよりも、自分の選挙の勝敗の方が気になる議員たち。そんな政治家を選んできた有権者。選ばざるを得ない選択肢の狭さ。
選挙での投票は皆勤賞です。次の選挙も棄権だけはするまいと思っています。しかし、真っ当な事を言っている候補者に入れても、彼の所属が弱小党なら、死に票になるのは目に見えており棄権と同じようなもの。とするとやはり選択肢は狭まります。
政権交代可能な2大政党制は結構ですが、選択肢を狭める現在の小選挙区制になって、政治家の質が悪くなったように思えるのは、私の錯覚でしょうか。
取り留めの無いことをダラダラと書き連ねてしまいました。不悪。
ミステリー好きが高じて、以前にミステリーを自分で書いてみようと思い立った事が在ります。パソコンが普及していなかった時代故、机の上に原稿用紙を置き、呻吟難苦して十数枚書き上げた段階で内容を見返しましたが、「てにをは」がおかしいわ、主語が曖昧になっているわ、ストーリーに整合性が無いわで散々な状態。「こりゃあ駄目だ。」と途中で放り出した次第。ほんの僅か書いただけでもこの在り様ですから、「小説家って大変な仕事だなあ。」と思いました。
とは言え、物書きを生業としている以上は、読者に「判り難い文章だなあ。」と思わせては失格。これから研鑽を積んで貰って、魅力的な作品を紡ぎ出して欲しいものです。
どうしても好きな作家の作品ばかりを読み耽ってしまい勝ちなので、自分も書評を見て未読の作家の作品を出来るだけ読む様にしています。唯、評価する人の“趣味”というのも当然在って、「激賞されていたけど、つまらないなあ。」と思う作品も在りますね。単に肌合いが合わない場合も在りますが、評価する人間と作者との癒着を感じてしまう程の不思議な高評価の場合も。
麻生首相、以前から首相の座に強い意欲を持っておられましたし、ああいう状況で敢えて総裁選に出馬したのですから、まあ止むを得ないでしょうね。「アニメや漫画を日本の基幹産業として育成して行く。」等、彼の掲げる政策に頷ける点が無くは無いけれど、二世議員に良く見られる「自身の考えと異にする考えに対して、端から耳目を塞ぎ、個人の主張を押し通そうとする。」という面が彼にも少なからず見受けられ、それがかなり災いしている様にも感じます。
これは自民党に限らず民主党にも言えるのですが、「国民」よりも「保身」を最優先している様な議員が多過ぎ。「幾ら真っ当な政治をしようと心掛けていても、選挙に落ちてしまったら何もならない。」という点は同情するし、真っ当に政治を行っている者は“より”当選し得る選挙体制にしなければいけないとは思うけれど、ああも露骨に保身に走られてはウンザリします。
2大政党に関して、以前或る週刊誌に面白い記事が載っていました。戦後の自民党に付いて触れた記事だったのですが、「『親米の吉田政権』が倒れた後には『親ソの鳩山政権』が、そして『金権政治の田中政権』が倒れた後には『クリーンな三木政権』が誕生と、一方向に極端に振れた時には、その揺り戻しとして逆方向への振れを生じさせていたのがこれ迄の自民党だった。即ち、自民党内部に2大政党が存在していた様な物だったが、それが機能しなくなったのが昨今の状況ではないか。」という分析。これはなかなか言い得て妙。
選挙制度は難しいですね。小選挙区制度は「死に票が多くなってしまう。」というデメリットが在る一方で、「選挙資金が他の制度と比べると少なくて済む。」や「一選挙区で一人だけが当選という形なので、政権交代が起り易い。」というメリットが在る。比例代表制度は「死に票が出難い。」というメリットが在るけれど、「政党が立候補者名簿に訳の判らない人間を載せてしまうと、そんな人間でも当選してしまう可能性が在る。」といったデメリットが。他の制度も同様で、完璧な制度は無い訳ですが、兎に角選ぶ側がもっと真剣にならないと駄目でしょうね。「格好良いから。」とか「美人だから。」、「面白そうだから。」なんていう軽佻浮薄は思い“だけ”で票を投じる事だけは避けて欲しい。何度も書いていますが、国会議員は我々国民の「生殺与奪権」を握っているという事をもっと認識しなければいけないと思います。
いつも図書量に脱帽です。^±^
うちもミステリーが好きですが、テレビですからね。
本当はもっと本を読まなあかんと思うんですがね。x±x
学生時代、やはり単位の絡みで裁判を傍聴した事が在ります。陳腐な言葉になってしまうけれど、社会の縮図を見せられた感じでした。自分が経験して来た人生とは異なる人生が在る。そんな当たり前の事を、再認識させられる機会でも在りました。(裁判自体は想像していたのとは異なり、結構“緩い”感じでしたが。)
祖父母は残念乍ら皆鬼籍に入ってしまっているのですが、歴史が好きだった事も在り、戦時中の話は良く聞きました。詳細に語ってくれた部分も在れば、言葉を濁す部分も。後者で言えば在日朝鮮人に関する事柄等がそうで、当時の環境がそうだったとは言え、「差別的な言動が在った事で、余り触れたくないのだろうなあ。」と思ったもの。
西村京太郎氏や志茂田景樹氏等、様々な職業を経験して来た作家は作品を生み出す“引き出し”を多く持っている感じがします。又、様々な経験をしていない者にとっては、如何に想像力が豊かで在るかというのが作家として要求されるのでしょうね。何れに於いても乏しい自分なぞは、やはり読み手に専念した方が良いのかもしれません。
「親米の吉田」から「親ソの鳩山」など、
過去には与党内でのライバルとの戦いに勝たないと
首相になれない制度でしたね。
今は小選挙区となり
よくも悪くも派閥の力が弱まったので、
「選挙に勝てるかどうか」だけで
リーダー選びをするので
与党の総裁選も「勝ち馬に乗らねば」となり
ほとんど逃げ切りレース。
そういう強くないリーダーシップなので
最終的に「お腹が痛い」とおやめになる有様です。
どろどろとした権力争いを肯定する気はありませんが、少なくともライバルとの功績争いが
政策実施力に反映されていたあの時代のことを思うと、今の与党300議席超保有の安定性は裏目にしか出ていないと思います。
「過去は全て美しい。」としてしまうのは好きじゃないけれど、昔の首相、即ち自民党の総裁には良くも悪くも魅力の在る人物が少なくなかった。自分(giants-55)の主義&主張と相容れるか否かは別にして、各々が確固たる信念を持っていた様に思います。自分が好きではなかった中曽根首相ですが、その見識には評価出来る部分が少なくなかったし。
それに対して最近の首相は、如何せん“軽い”。自身の主義&主張が無い訳では無いし、それなりに声高に叫んではいるのだけれど、良く良く聞くとその内容は誰かの受け売りだったりして、深い思慮が無いだけにやたらとブレるし、腰が据わっていない気がします。