「新聞休刊日というのが在りますが、『TVにも放送休止日っていうのが在ったらどういう事になるのだろうか?』って考えてみたんです。」
先日の朝日新聞のコラムで、TV局の人間がそんな想定で文章を書いていた。「普段は読まない本を読む。」、「家族との会話が増える。」といった影響を挙げ、その上で「地震情報等、重要なニュースを確認する意味合いから、TVに放送休止日が在るというのは許されない事なのだろう。」とし、「だからこそ我々作り手は、一層良い番組を放送して行かなければならないと思っている。」という趣旨の内容だった。
「愚にも付かないどころか社会全般に悪影響を及ぼしかねない内容の番組が余りにも多く、そんな番組を四六時中”垂れ流して”いる位なら一層の事、嘗てオイルショックの頃に断行された深夜放送の取り止めを考えても良いのでは?」という記事を以前書いた。自分は”元祖テレビっ子”と呼ばれた世代に属し、食事中は勿論の事、インターネットや持ち帰った仕事を片付けている時ですらTVを付けっ放しにしている程の人間だ。TV番組全般に一方ならぬ思い入れが在るし、正直TVの無い生活は考えられない。だがそんな自分でも、「放送休止という日が在っても良いのかもしれない。」と思う事が在る。前記した様などうしようも無い番組を目にした時だ。
長嶋茂雄氏が第二期政権を担っていた頃、彼が面白い案を打ち出し、それは実施された。「球音を楽しむ日」を設け、その日に限っては”鳴り物”での応援を球場全体で控え、拍手や声によって応援する事で「捕球音や打球音を堪能しよう。」という試みだった。CS放送等で昭和40~50年代にかけての試合中継が再放送されているのを見ると、球場内は常に「吸音を楽しむ日」状態。アナウンサーや解説者も必要最低限の喋りだし、妙な効果音が用いられる事も無く、球音が実に心地良い。固唾を呑んで選手達の一挙手一投足を見詰めている観客達の緊張が画面からも感じられるし、その緊張感が選手達にも好影響を与えていた様に思ったりもする。長嶋元監督の打ち出したこの企画、球音の心地良さが毎回楽しみだったのだが、残念乍ら近年は実施されていない様だ。
TVの放送休止日が設けられたとしても「ながら族」の自分故、食事やインターネットをしている時には代わりにラジオ番組を流す事になるだろう。其処に「球音を楽しむ日」の様な「動と静」は存在し得ないだろうが、少なくとも放送休止日が設けられた事で得られる(発見出来る)新しい何かが在りそうな気はする。
先日の朝日新聞のコラムで、TV局の人間がそんな想定で文章を書いていた。「普段は読まない本を読む。」、「家族との会話が増える。」といった影響を挙げ、その上で「地震情報等、重要なニュースを確認する意味合いから、TVに放送休止日が在るというのは許されない事なのだろう。」とし、「だからこそ我々作り手は、一層良い番組を放送して行かなければならないと思っている。」という趣旨の内容だった。
「愚にも付かないどころか社会全般に悪影響を及ぼしかねない内容の番組が余りにも多く、そんな番組を四六時中”垂れ流して”いる位なら一層の事、嘗てオイルショックの頃に断行された深夜放送の取り止めを考えても良いのでは?」という記事を以前書いた。自分は”元祖テレビっ子”と呼ばれた世代に属し、食事中は勿論の事、インターネットや持ち帰った仕事を片付けている時ですらTVを付けっ放しにしている程の人間だ。TV番組全般に一方ならぬ思い入れが在るし、正直TVの無い生活は考えられない。だがそんな自分でも、「放送休止という日が在っても良いのかもしれない。」と思う事が在る。前記した様などうしようも無い番組を目にした時だ。
長嶋茂雄氏が第二期政権を担っていた頃、彼が面白い案を打ち出し、それは実施された。「球音を楽しむ日」を設け、その日に限っては”鳴り物”での応援を球場全体で控え、拍手や声によって応援する事で「捕球音や打球音を堪能しよう。」という試みだった。CS放送等で昭和40~50年代にかけての試合中継が再放送されているのを見ると、球場内は常に「吸音を楽しむ日」状態。アナウンサーや解説者も必要最低限の喋りだし、妙な効果音が用いられる事も無く、球音が実に心地良い。固唾を呑んで選手達の一挙手一投足を見詰めている観客達の緊張が画面からも感じられるし、その緊張感が選手達にも好影響を与えていた様に思ったりもする。長嶋元監督の打ち出したこの企画、球音の心地良さが毎回楽しみだったのだが、残念乍ら近年は実施されていない様だ。
TVの放送休止日が設けられたとしても「ながら族」の自分故、食事やインターネットをしている時には代わりにラジオ番組を流す事になるだろう。其処に「球音を楽しむ日」の様な「動と静」は存在し得ないだろうが、少なくとも放送休止日が設けられた事で得られる(発見出来る)新しい何かが在りそうな気はする。
で放送休止日があったとしても、テレビ中毒者はスイッチをONにしてビデオを見たりするんととちゃいますか?
あるいは砂嵐画面でもつけっぱなしと違いますか?
テレビにはスイッチがあるのです。見たくないなら消すことです。
リストラによって中高年層がごっそり退職し、そのツケが中堅に重く圧し掛かる。一人で何人分もの仕事をこなさなければならず、嘗ては当たり前だった後輩への口伝が疎かとなり、そんな先輩の悲惨さを目にした若手は3年以内に次々と辞めて行く。それによって中堅への重荷が更に課せられる。こんな悪循環が我が国の企業には多く見られますよね。
兎に角、数字(視聴率)の取れる番組が求められるので、斬新で意欲的な番組よりも二番煎じ&三番煎じでも良いから数字が望めそうな焼き直し&似通った番組を次々に製作&垂れ流すというのが今の放送界ではないでしょうか。
上で破壊王子様が書かれています様に「見たくないならTVを消す。」というのは正論なれど、TV漬けになってしまっている自分にとってはそれが結構困難なのも事実(笑)。それだけ強固な意志を有していれば、とうの昔にジャイアンツへの見切りを付けられているんですけどね。
日本でも、誰か音頭をとって、立ち上がれば、意外に盛り上がるかもしれません。
最近だとゲームっ子と言わない代わりに「ゲーム脳」とか言って脅している例がありますが、効果の程はどうなんでしょうね。
ところで2011年にはかなりの家庭でテレビが映らなくなります。テレビを売る会社は儲かるでしょうが、どうなるでしょうね。
鍵っ子って死語になりましたね。自分が小学校の時分には、「鍵っ子=可哀想な子」ってイメージが子供の中にも在った様に思うのですが、共働きの家庭が増えた今は敢えて「鍵っ子」なんて言葉で使い分ける程のマイノリティーな存在ではなくなったという事なのでしょうか。
「地上デジタル放送が始まる事によって、我々は多くの情報を入手出来る様になる。」と言われますが、そんなに多くの情報が必要なのだろうか?という気がします。画質が奇麗という事ですが、幾ら画質が奇麗でも今の様に見るに耐えない番組が垂れ流されるのだったら無意味ですしね。それに地上デジタル放送が始まると、受信出来ない地域が今より増えるという報道を先だって目にしましたし、果たして受けて側にメリットが在るのかなあと。「システムが切り替わる事で、基本的に殆どの人間がTVを買い替えなければならない状況故、ギリギリ迄購入を待てば地方自治体事に何等かの助成金が出るのではないか?」なんて噂も在りますよね(笑)。
アメリカの大ネットワークの視聴者の平均年齢はまさに「50代」(向こうのベビーブーマーの大多数ですね。向こうはベビーブーマー=1946~1960年生まれなので年金危機は実は日本より深刻です。ベビーブーマーは自殺せよ、という過激な見出しがまともな雑誌・新聞に出るほどです)だそうです。日本も似たり寄ったりだと思います。
ノーテレビデーには若いモンはDVDを見たり、ゲームしたり、ネットをすると思いますし、高齢者も高齢者でラジオを聞くと思います。実際自分の母はラジオしか聞きません。
デジタルの抜け道はケーブルテレビに加入してデジタルデコーダを借りることでしょうか。
確かに週間視聴率ランキングを見ても全体的に視聴率が下がっていますので、若い世代にとっては「放送休止日」を設けた所で余り影響はないのかもしれませんね。ラジオを聴くのは高齢者層が多いとも言いますし、そうなるとTV休止日が設けられて一番戸惑うのは自分の様な中年世代なのかなあと思ったりも(笑)。
デジタル放送は世界の潮流という事ですが、その必要性がどうにも理解出来ないでいます。多チャンネルが売りのCATVも、結局は見るチャンネルが極めて限られているという人が殆どでしょうから、多くの情報を流された所でそれを上手く活用出来るのかどうか。
そう言えばハイビジョン放送がやたらと宣伝されていた頃、「ハイビジョン放送が主流となったら、肌の肌理や皺等が目立ってしまうので大変。」なんて言われましたが、どうなんでしょうね。