ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

〇〇程度

2019年05月08日 | 教育関連

西村京太郎氏だったと思うが、其の作品の中で書かれていた文章が印象に残っている。何という作品だったかは覚えていないので、正確な文章では無いけれど、次の様な物だった。

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就職の際、採用条件に「大学卒業程度」と在る場合、日本だと「大学卒業程度=大学卒業証明書の提出必須」を意味し、「大学卒業証明書の提出が無い場合は、採用試験すら受けられないのが大概。」だが、海外では「自分自身が『大学卒業程度の能力が在る。』と思えば、採用試験は受けられる。」事が多い。
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海外の場合、実際に大学は卒業していなくても、「其の程度の能力が、自分には備わっている。」と応募者が考えれば、(年齢制限等の条件は別にして)少なくとも採用試験は受けられ、採用試験の結果によって、採用or不採用が決まると言うのだ。「採用試験で、大学卒業程度の能力が在るかどうかを判断する。」という事なのだろうけれど、大学卒業証明書という“紙切れ”が無ければ、採用試験すら受けられないからすると、「へー。」と思ってしまう。

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国立大13校、英語卒程度』で出願可 民間試験活用に疑問」(5月8日、毎日新聞

2020年度に始まる大学入学共通テストに導入される英語の民間資格・検定試験の成績に付いて、全国の国立大学82校の内、少なくとも13校が「中学卒業程度」を出願資格とする事が判明した。国立大学協会(国大協)は「高校中級程度」を出願資格にする等の方針を示しているが、13校は受験機会の均等が保障されていない事や英語の不得意な受験生に門戸を閉ざさない事を考慮した。
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大学を卒業してもうウン十年経つし、近年の大学事情には余り詳しく無いので、今回の元記事を1回読んだだけでは、仕組みが良く判らなかった。何度か読み直した結果、「恐らくこういう事だろう。」と理解したのだけれど、2020年に始まる大学入学共通テストでは、英語は“大学入試センター認定した”民間資格・検定試験が利用される。(従来マークシート式の問題“も”、4年間に限って受験出来る様だ。)→4月から12月の間に高校3年生は、民間資格・検定試験を受験する事になるが、受検生は試験実施団体に対して、大学入試センターに試験結果が通知される事を同意し、試験結果は受検生と大学入試センターに対して通知される。→国大協の方針では『国立大学に“出願”出来る条件として、英語は“高校中級程度の成績”としているが、国立大学の内少なくとも13校は『英語で中学卒業程度の成績を残せば、出願は可能。』とした。という事の様だ。

英語の試験を民間資格・検定試験に“丸投げ”したという点に関しては、正直懸念が在る。不正が介在する可能性が高まるのではないか?という思いが在るからだけれど、万が一、不正が明らかとなった場合は、「当該受験生を不合格にする。」事の他、「関わった民間資格・検定試験を廃業させる。」位の厳罰は必要だろう。

で、今回の13校の決断に付いてだが、個人的には「在り。」だと思う。
「大学入試共通テスト
受験“以前”に、民間資格・検定試験を活用する形で英語の試験は行われる。」という事なのだから、「仮に英語の試験結果が良く無くても、其れだけで出願も出来ない。」というのは、どうかと思うので。

「当然。」では無く、「在り。」としたのは、各大学の独立性も考慮したから。「学校側の事情により、“足切り”を設けざるをない。」事も在ろうから。でも、可能な限り、多くの国立大学が出願は認めて欲しい。


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2 コメント

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Unknown (悠々遊)
2019-05-08 21:22:33
こんばんは
競争相手の多かった団塊世代としては、ずいぶんよい世の中になったものだと思いますね(笑)。
国語と社会科系はほどほどの成績だったものの、理数系が苦手で英語はほぼ手も足も出ない落ちこぼれでしたから、今でもその方面に強い人は尊敬の念をもって見てしまいます(苦笑)。
で。外資系や仕事柄どうしても英語が必要になる分野に就く人はともかく、仮にそれ以外の能力が高い生徒を「英語ができない」だけで門前払いしてしまうとすれば、それはそれで将来的に大きな損失になると思うので、こういった措置は歓迎したいです。
あくまでたとえ話ですが、英語圏の生徒に「日常会話程度の日本語が出来なければ受験できない」とした規定があったとすれば、いったいどれだけの生徒が大学を受験できるでしょうかね。
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>悠々遊様 (giants-55)
2019-05-09 01:58:16
書き込み有り難う御座いました。今回は、此方にレスを付けさせて貰います。

全般的な能力には欠けていたとしても、一つの分野では特異な能力を発揮する。歴史上の偉人の中には、そんな人が結構居ます。なので、「英語が不得意。」というだけで門戸を閉ざせば、人類にとって大きな損失を生んでしまう事も在るでしょう。「多くの受験生の中から、効率良く篩い落として行かなければならない。」という“現実”が在るのは理解出来るけれど、だからと言って杓子定規な対応というのは“理想”を阻む要因にもなる。

自分も理数系は大嫌いでした。なので、理数系を得意とする人は、無条件で尊敬してしまう。

又、中学1年の時は英語の先生と肌合いが合わなかった事から、英語の授業は真面目に聞いていなかった。だから、中学1年の時の英語の成績は惨憺たる状況。でも、素晴らしい師と巡り合い、「先生が好きじゃ無いからといって、授業をサボタージュすれば、結局損をするのは自分。」という事に気付き、真面目に勉強した事で、英語が好きになった。英語を必要とする仕事に就いているなんて、昔の自分が知ったら、本当に驚く事でしょう。

そんな感じで、「仮に或る時期、特定の科目が苦手だったからと言って、将来はどうなるか判らないという。」のを、身を以て思い知らされているので、余計に今回の13校の決断には、心から拍手を送りたいです。
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