ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

日本運動協会

2020年09月26日 | スポーツ関連

今から100年前の1920年、「日本運動協会」(通称芝浦協会)が設立された。「日本初のプロ野球チームは?」と問われると、1934年に設立された「大日本東京野球倶楽部ジャイアンツ前身)」と答える人が多いだろうけれど、実は其の14年前に設立された日本運動協会こそが、日本初のプロ野球チームだと言う。9月25日付けの東京新聞(朝刊)に、其の詳細載っていた。

1920年、早稲田大学野球部OB河野安通志氏、押川清氏、橋戸信氏等が発起人となり、日本運動協会は設立された。明治時代にアメリカから伝わった野球は当時、学生を中心に全国で大流行していたが、河野氏等はアメリカではプロ野球で在る“大リーグ”が繁栄している事を指摘した上、「日本でも“職業野球”を作らないと、将来は衰退してしまう。」
と、野球のビジネス化を志したのだ。

帝大出身の初任給が35の時代に、月給15円で選手を募集した。」との事。今のプロ野球選手では考えられない程の薄給だったが、島根商業山本栄一郎投手等14名は選ばれた。だが、対戦相手が見付からない上、「野球を、金儲けの道具にするとは何事だ!」という猛反発を受ける。“野球の芸人”と揶揄される事も在ったそうだ。

其れでも彼等はへこたれなかった。合宿や地方の球団と実戦を積み、チームを強化。設立から2年後の1922年9月9日、早稲田大学野球部と芝浦球場本拠地初試合を行う。延長戦の末、「0対1」で敗戦するも、「強い早稲田大学野球部と、良い勝負をした。」と話題になったと言う。そして、其の後は様々なチームと対戦する事に。

ところが、設立から3年後の1923年、日本運動協会は悲劇に見舞われる。此の年の9月1日に発生した関東大震災で、芝浦球場が使用出来なくなってしまったのだ。元々、赤字経営だった球団は、翌年の1924年1月、解散に追い込まれる。日本初のプロ野球チームは、3年余りで消滅してしまった。

因みに、日本運動協会は解散後、関西阪神急行電鉄(現在の阪急阪神ホールディングス。)に引き取られ、1924年に宝塚運動協会と名を変えるも、矢張り対戦相手捜しに苦労した上、昭和金融恐慌の影響を受けた事から、5年後の1929年に解散している。

其れから7年後の1936年、宝塚運動協会は阪急軍と名を改め、再出発する。今のバファローズの前身だ。又、日本運動協会の監督だった押川清氏は、ドラゴンズの前身で在る「名古屋軍」の創設に関わっている。日本運動協会設立時の選手の1人で、主将務めた山本栄一郎氏は協会解散後、ジャイアンツの前身で在る大日本東京野球倶楽部に入団。元記事に書かれている様に、「日本運動協会に関係した人達が、今のプロ野球のになった。」というのは、決して言い過ぎでは無いと思う。


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