ブログ「ポロと旅する&あさちゃん。スポーツ3」の記事「川崎の中1男子生徒殺害事件の件を前振りに、『SELF DEFENSE「逃げるが勝ち」が身を守る』」で、運営主のスーパーサウスポーあさちゃん。様や他の方が指摘されている点、自分も非常に気になっていた。
「先月、川崎区の多摩川河川敷で、中学1年の男子A君(13歳)が惨殺された事件。」で、殺人容疑で逮捕された主犯格の少年Bが事件前、「テロ組織『ISIL(イスラーム国)』に擬え、自らの不良グループを『川崎国』と名乗り、『俺等に、法律は関係無い。自分達のルールで動く。川崎国だ。逆らったら、生きた儘、首を切る。』と、周りに良く凄んでいた。」と言う。A君の殺害方法には、ISILが人質を殺害した際の方法と酷似した部分が少なく無く、「ISILが人質を殺害した際の報道が、彼等に大きな影響を与えたのではないか?」というのが、其の指摘だ。
「残酷な事件に関する報道が、全ての人達に悪影響を与える。」とは思っていないけれど、今回の事件のみならず、「ネット上で、ISILが人質を殺害した際の映像を真似、悪巫山戯動画や写真をアップしているアホ。」が結構居た事を思うと、「“現実”を“現実”としてでは無く、“虚構”の様に捉える連中が増えているのではないか。」という薄気味悪さを感じてしまう。(「残酷な現実から逃避したいが為、意図的に悪巫山戯行為に走っている。」というのとは、一寸違う気がする。)
1万8千人を超える死者及び行方不明者を出した「東日本大震災」発生から、今日で4年が経過した。数多の家屋や人命を呑み込んだ巨大津波の映像は、今も恐ろしい光景として脳裏に焼き付いている。リアル・タイムで目にした人間としては、彼の“現実”を“現実”として心に刻まなければいけないと思っているが、中には“虚構”の様な感覚で、記憶から薄れて行っている人も居るのではないかと懸念したりもする。
「天災は、忘れた頃に遣って来る。」という言葉を、改めて噛み締めたい。
マスコミの報道のパターンが(これはISILのやり口とも似ているのですが)やたらと煽り立てているものばかりだから
ってところにも原因があるのかもしれませんし
幼児のものと思われていた「全能感」
ひっくり返せば、自分が体験したものだけが真実で、それ以外は虚構にすぎないという考え方
を成長とともに捨てることができない人が増えているからかもしれません。
3月11日の大津波は、テレビの画面で見ていて正直「かんべんしてくれよ!!」という感じではありました。
あれが南海トラフ、東南海トラフとしていつ再現されるかわからないという認識が薄い人が多いのが
正直怖いです。
マスコミの報道パターンが扇情的、確かに其れは在りますね。視聴率至上主義が露骨になった頃より、「在りの儘を伝える。」というよりも、「多少事実で無い部分が在ったとしても、視聴者の関心を惹く形で報じる。」という報道番組が多くなった様に感じます。
又、「現実と虚構が区別出来ない人。」もそうですが、「全く根拠も無しに『そんな事在り得ない。』とか『~は全く駄目。』といった決め付けをする人。」も増えている気がします。じゃあ、「具体的に、何故そう思うのか?」と問い掛けると、「ネットにそう書いてあったから。」と答えるに到っては、“思考放棄”という言葉しか浮かばないです。
「政治は、其の国の国民の成熟度以上には成り得ない。」と言いますが、そんな思いを最近は、非常に強く感じています。