パ・リーグのクライマックスシリーズ第1ステージは、マリーンズが勝ち残った。マリーンズ・ファンの方々には「おめでとう!」の言葉を送らせて貰うが、ホークスを応援している自分としては、4年連続にしてホークスがプレーオフで涙を呑んだ事実が何とも遣り切れない。昨日の記事で懸念した通り、ホークス打線がマリーンズ先発の成瀬善久投手を打ち崩せなかったのが敗戦に繋がった訳だが、詳細に展開を分析すると「送りバントをきちんと決められず、チャンスを逃す。」、「無駄な四球からの失点。」といった”敗戦の法則”を見事に実践してしまったのがホークスだった。「この悔しさを忘れずに、来季こそはリベンジを果たして欲しい。」と過去3年間祈って来たが、流石に4年連続ともなると気持ちが落ち込んでしまう。今は唯、ホークスの選手達に「御疲れ様。」の言葉を掛けるだけだ。
閑話休題。パチンコ・デビューは小学校低学年の時。教育的には問題在りと言われてしまうかもしれないが、休日に家族でパチンコ屋に行く事がしばしば在った。親から2百円程貰い、隣の台で1球ずつ玉を弾く。そう、その頃は電動式パチンコでは無く、手打ち式のパチンコが主流だったのだ。玉が一個入るとチューリップ状の役物が開閉する所謂”チューリップ機”が殆どで、玉が役物に入る度に「チーンジャラジャラジャラ。」と玉が出て来るのが楽しかった。手持ちの玉を使い切ると隣で親が弾いている台を見続け、時折何玉か貰っては自分の台で打つという感じ。
大学生の頃は懐が寒くなると、行き付けのパチンコ屋に向かった。其処は何故か釘の調整が異常に甘い台が存在し、千円程度の”軍資金”が5千円以上になって戻って来るのが常。貧乏学生にとっては実に在り難いパチンコ屋だったが、案の定と言う可きか自分が大学を卒業する一寸前に潰れてしまった。
社会人になって以降もパチンコ屋に行く機会は在ったが、その頻度は著しく低くなって行く。非喫煙者の自分にはあの煙が濛々としている環境が嫌で、パチンコを良くやっていた頃でも帰宅すると直ぐにシャワーを浴びていた程。服や顔、手、そして耳穴の奥迄煙草の不快な匂いがこびり付いており、それを逸早く洗い流したかったのだ。それと煙草の煙の問題以外に、パチンコに金が掛かり過ぎる様になったというのもパチンコ屋から足を遠退かせた要因。そしてパチンコ屋に行かなくなってから、もう10数年になろうとしている。
「入れば大儲けが出来る。」、そんな射幸心を煽る様なパチンコ台が人気を集め出した頃と、自分がパチンコに魅力を感じなくなり始めた時期は殆ど重なっている。パチンコ玉の貸玉料が上がり、少ない玉で遊ばなくてはならなくなった。昔は千円札1枚でそれなりに遊べたのに、この頃から千円札はブーブー紙の如くあっと言う間に消えてしまう存在に成り下がってしまったのだ。だが一般には射幸性の高いパチンコ台が人気を集め、1995年にはパチンコ人口は2,900万人に迄膨れ上がる。「パチンコに入れ揚げ過ぎて破産宣告を受ける。」、「パチンコをしている間に、子供を炎天下の車の中に置きっ放しにして脱水症状で死なせてしまう。」といった事柄が社会問題になった。
昨日の東京新聞(夕刊)に「1円パチンコ」という記事が載っていた。1995年に2,900万人もの愛好者を誇ったパチンコ業界も、今やその数は半分近くに迄落ち込んでいるという。パチンコの射幸性を高めた事で30兆円産業に迄上り詰めたパチンコ業界も、一か八かのギャンブル性がドンドン高まって行くにつれ、逆にパチンコ離れを生み出してしまった。倒産するパチンコ屋も増えており、その対策として北海道では「1円パチンコ」が導入されてブームになっているそうだ。一般的なパチンコは1玉4円で借り、出た玉は1玉2.5~4円程度の換算で景品と交換出来るが、1円パチンコの場合は1玉1円という事で一般的なパチンコよりも4倍の玉が借りられる。勿論、交換率はその分下がり、1玉1円以下と大儲け出来る可能性も格段に減る。大儲けが出来難い代わりに大損する事も減り、純粋に時間潰しの娯楽という”昔風の感覚”が蘇っているとも言える。北海道内で1円パチンコを導入している店は既に200店舗程在り、関東を中心に全国にその輪は広がっているとか。
こういう流れは個人的に大歓迎。1円パチンコが近所のパチンコ屋でも導入されれば「十数年振りに足を運んでみようかな。」という気は湧くだろうが、後は煙草の匂いが体に全く付かない様な対策を施して貰えないものだろうか。
閑話休題。パチンコ・デビューは小学校低学年の時。教育的には問題在りと言われてしまうかもしれないが、休日に家族でパチンコ屋に行く事がしばしば在った。親から2百円程貰い、隣の台で1球ずつ玉を弾く。そう、その頃は電動式パチンコでは無く、手打ち式のパチンコが主流だったのだ。玉が一個入るとチューリップ状の役物が開閉する所謂”チューリップ機”が殆どで、玉が役物に入る度に「チーンジャラジャラジャラ。」と玉が出て来るのが楽しかった。手持ちの玉を使い切ると隣で親が弾いている台を見続け、時折何玉か貰っては自分の台で打つという感じ。
大学生の頃は懐が寒くなると、行き付けのパチンコ屋に向かった。其処は何故か釘の調整が異常に甘い台が存在し、千円程度の”軍資金”が5千円以上になって戻って来るのが常。貧乏学生にとっては実に在り難いパチンコ屋だったが、案の定と言う可きか自分が大学を卒業する一寸前に潰れてしまった。
社会人になって以降もパチンコ屋に行く機会は在ったが、その頻度は著しく低くなって行く。非喫煙者の自分にはあの煙が濛々としている環境が嫌で、パチンコを良くやっていた頃でも帰宅すると直ぐにシャワーを浴びていた程。服や顔、手、そして耳穴の奥迄煙草の不快な匂いがこびり付いており、それを逸早く洗い流したかったのだ。それと煙草の煙の問題以外に、パチンコに金が掛かり過ぎる様になったというのもパチンコ屋から足を遠退かせた要因。そしてパチンコ屋に行かなくなってから、もう10数年になろうとしている。
「入れば大儲けが出来る。」、そんな射幸心を煽る様なパチンコ台が人気を集め出した頃と、自分がパチンコに魅力を感じなくなり始めた時期は殆ど重なっている。パチンコ玉の貸玉料が上がり、少ない玉で遊ばなくてはならなくなった。昔は千円札1枚でそれなりに遊べたのに、この頃から千円札はブーブー紙の如くあっと言う間に消えてしまう存在に成り下がってしまったのだ。だが一般には射幸性の高いパチンコ台が人気を集め、1995年にはパチンコ人口は2,900万人に迄膨れ上がる。「パチンコに入れ揚げ過ぎて破産宣告を受ける。」、「パチンコをしている間に、子供を炎天下の車の中に置きっ放しにして脱水症状で死なせてしまう。」といった事柄が社会問題になった。
昨日の東京新聞(夕刊)に「1円パチンコ」という記事が載っていた。1995年に2,900万人もの愛好者を誇ったパチンコ業界も、今やその数は半分近くに迄落ち込んでいるという。パチンコの射幸性を高めた事で30兆円産業に迄上り詰めたパチンコ業界も、一か八かのギャンブル性がドンドン高まって行くにつれ、逆にパチンコ離れを生み出してしまった。倒産するパチンコ屋も増えており、その対策として北海道では「1円パチンコ」が導入されてブームになっているそうだ。一般的なパチンコは1玉4円で借り、出た玉は1玉2.5~4円程度の換算で景品と交換出来るが、1円パチンコの場合は1玉1円という事で一般的なパチンコよりも4倍の玉が借りられる。勿論、交換率はその分下がり、1玉1円以下と大儲け出来る可能性も格段に減る。大儲けが出来難い代わりに大損する事も減り、純粋に時間潰しの娯楽という”昔風の感覚”が蘇っているとも言える。北海道内で1円パチンコを導入している店は既に200店舗程在り、関東を中心に全国にその輪は広がっているとか。
こういう流れは個人的に大歓迎。1円パチンコが近所のパチンコ屋でも導入されれば「十数年振りに足を運んでみようかな。」という気は湧くだろうが、後は煙草の匂いが体に全く付かない様な対策を施して貰えないものだろうか。
幼少時に住んでいたのがパチンコの発祥の地とされる名古屋でしたので、周りにパチンコ店が多かったというのもパチンコ・デビューが早かった要因かも(笑)。射幸性というよりも自分の場合は、単純に穴に玉を入れて、「チーンジャラジャラジャラ。」と玉が出て来るのが快感でしたね。親がゲットした玉を御菓子等に換えてくれたのも嬉しかった記憶が。
寂れた温泉街に行くとパチンコの原型と言われる「スマートボール」が射的と並んで良く置かれていて、1個1個の玉を弾いて遊ぶのも好きでした。
ところで最近知ったのですが、「パチンコの発祥が名古屋だったのは、朝鮮戦争時にアメリカ軍から爆弾用の小さな鉄球の発注が名古屋の会社に出され、その後『この玉を何かに転用出来ないだろうか?』という事でパチンコが生まれた。」のだとか。つまり朝鮮戦争が勃発していなかったら、少なくとも名古屋ではパチンコが生まれる事は無かったのかも。
博才のなさにすぐにやめました。
しかし今のパチンコ屋はキレイし
若いおねいさんが働いてるしで
昔と全く違いますね。
私もタバコを吸わないので
それが店より足を遠のかす理由の一つでしたが
今は克服されているのでしょうか?
それよりも今は
いろんな店内のいろんな「音」で
パチンコ屋にいられないかもしれません。
(耳が敏感なもので)
1円パチンコで射幸心をやたら煽らず
「適当な時間、遊ばせてくれる」が
復活すれば、昔来ていたファンを
取り戻せるかもしれませんね。