8月24日にアップした「球界の中心に居てはいけない人 Part1&Part2」には、予想を遥かに超える書き込みを頂戴した。良くも悪くも存在感の在る星野仙一氏を批判した内容だけに、或る程度の反応の大きさは予想していたが、此処迄多いとは驚き。「捻くれ者の自分の意見はマイノリティーに属している。」という自覚が自分の中に在るのはこれ迄も何度か記したし、「今回の私見に対しても反論&異論が多く在るだろう。」と思っていたのだが、意外にも私見に近い思いを持っておられる方がそこそこ居られたのも予想外。
多くの御意見を頂戴したの嬉しかったが、中には自分の思いと全く違った捉え方をされている様な書き込みも見受けれら、それがとても残念だった。タイガース・ファンの後輩から「自分は○○さん(小生の事。)の考えを理解しているので書かれている内容を理解出来るが、あの内容で『坊主憎けりゃ袈裟迄憎いだけじゃないか。』と思われる人が居るのも一寸理解出来るかも。」といった趣旨のメールを貰った事も在り、あの記事の補足と併せ、このブログに関する自分のスタンスを書く事にした。尚、説明する上で或る方との遣り取りの一部を紹介させて貰うものの、この記事が特定個人を批判する意図で書いた物では無い事を御理解戴きたい。
では、本題に入る。「自分は星野仙一氏が大嫌い。」というのは、当ブログを立ち上げた当初から何度も明らかにしている。だから、改めて此処でその理由は記さない。自分なりに確固たる理由が在っての嫌悪感なのだが、「それが絶対的に正しい。」なんて思い上がりは全く無い。或る対象に対しての嫌悪感は、「あの人は美味しいって言うんだけど、自分はどうしてもピーマンが嫌い。」といった思いと同様に、他者から「それはおかしい。好きになれ!」と言われてもそうなれる物では無いし、同時にそういう強制をする物でも無いと思っている。
あの記事の中でも記した様に、「北京オリンピックの野球で、日本代表チームが惨敗した結果から『戦犯捜し』をした訳では無い。」し、実際にそれはしていない筈。あくまでも、それ以前の彼の言動に対する根深い不信感から、「星野仙一氏は球界の中心に居てはいけない人」と記した次第。
「星野氏がタイガースのSD(シニア・ディレクター)を務めているから、タイガースが球界の中心に在ってはいけない。」とも、「星野氏を球界から追放しろ。」とも自分は思っていないし、書いてもいない。過去に於いても現在に於いても、タイガースには好きな選手が居る(居た)し、どんな状況でも熱心にタイガースを応援して来たタイガース・ファンには心からの敬意を持っている程。ジャイアンツ以外のチームを“試合では”敵と思っているが、試合が終われば同じ球界の“仲間”と捉えている。唯、どうしても仲間と受け容れられない球界人も居るのは事実だが、それは自分なりの理由が在っての事で在り、「何処何処のチームの人間だから。」という事では全く無い。
「自分の思いと、全く違った捉え方をされているのではないか?」と自分が不本意に感じたのは、「ジャイアンツ・ファンは全てジャイアンツ至上主義。」、「ジャイアンツ・ファンだからON至上主義。」と捉えられている“様に感じられる”書き込み。あの記事のみならず、過去の記事を遡っても自分は一切そんな事は書いていない。当ブログではジャイアンツに対する苦言が多いので、寧ろ「“一般的”なジャイアンツ・ファンからはこのブログ、嫌悪されているのではないか。」と思っている程。又、ONは好きだが、それだって盲目的に好きというのでは無く、過去にもおかしいと思った点には批判をして来ている。故に「ジャイアンツが球界の中心。」だなんて思ってもいないし、そんな事を書いてもいない。
あの記事で書きたかったのは、これ迄の星野氏の言動を踏まえた上で、「やはり球界の中心に彼が居ては(影響力を行使していては)、球界の将来にとって良くない。」という“自分の思い”が在り、それを書いた。あくまでも私見で在り、それが唯一無二的に正しいだなんて全く思っていないし、書いてもいない。又、他者に私見を押し付けようなんて思いも無い。
「タイガースを立て直してくれた人だから、“基本的に”自分は星野氏を支持する。」、そういう考えが在っても良いと思っている。個人的には、そういう一途な思いが結構好きだったりするし。
唯、好きな対象だから(乃至は好きな対象に関係在るから)何でもかんでも支持するというので“在れば”、それはどうかと思う。それは「坊主憎けりゃ袈裟迄憎い」とは正反対の、「恋は盲目」状態だと“自分は”思う。(実際にタイガース・ファンのブログの中にも、「タイガースを優勝させてくれた星野氏には今でも感謝している。けれども、彼の言動には賛成出来ない点が少なくない。」といった趣旨の記述をされている方も居られる。何事に対しても、自分は是々非々で書いて行きたい。)
だがしかし、個人的にどうかとは思うけれども、法律に明々白々触れる事は別にして、「好きだ嫌いだという『心の中』に関する事に付いて、他者が『それは絶対に間違っている。自分の考えこそが正しいのだ。』と強要する“かの様な”事は在ってならないし、自分もそれはしない。」というのが自分の考え。
一昨日放送された「NEWS ZERO」での星野氏のコメントの数々に対し、「潔い。」とか「流石、男・仙一!」と思う人が居たって、それは全くの自由。自分の場合は怒りで無く、「あのコメントじゃあ、選手が報わないよ・・・。」という寂しい思いしか無かったが、こう捉えるのも又自由な筈だ。
次に、当ブログに関する自分のスタンスを書きたい。
****************************
① 「誰かの主張を打ち負かす為の場」にはしたくない。
当ブログを開設した理由は、様々な方から意見を頂戴し、自身の勉強にしたいと思ったから。此処を見てくれた方々が「そういう考え方も在るのか。」という風に、新たな視点を見出してくれたら嬉しいという思いも在った。故に「『論』を有している文章ならば、異論&反論も大歓迎!」というのが自分の考え。「その考えに大賛成です!」といった書き込みばかりだったら、逆に居心地が悪くなってしまう。(自分も気を付けなければいけないと常々思っている事だが、「批判の為の批判」も「擁護の為の擁護」も在ってはならないだろう。)
唯、異論&反論は大歓迎だけれども、此処を“悪い意味での”ディベートの場にはしたくない。そういう趣旨のブログが在っても良いとは思うが、少なくとも此処は「誰かの主張を完膚無き迄に打ち負かす。」という場所にしたくないし、自分もそういう事をするつもりは無い。(上記した様に、それが明々白々に誤っている場合は別だが。)
② 誤解されかねない記述は避ける。
此処を覗いて下さる方が皆、記事を最初から最後迄読んで下さる訳でもないだろう。流し読みする方も居れば、コメント欄だけを読まれる方も居る事だろう。以前より思っていたのは、例えばコメント欄に「相手が書いてもいない事を、然も書いているが如き記述。」、又は「相手が書いていない事を、書いている様に“思われかねない”記述。」だと、其処だけ読む人は「そういう考えの人なんだ。」と、その相手に関する誤った情報(イメージ)を得る(作り上げる)可能性が在る。
自分の文章の拙さから誤解を生じさせてしまい、結果的にどういった記述をさせてしまったので在れば、これは自分を責めなければならないのだが
、少なくとも実際に書かれていない事に付いては「~の様に感じられた」という形で書いて戴けると、他の方に誤った情報が伝わる可能性を減じられると思うので、そうして戴けると幸いだ。
③ 情報に耳目を閉ざさない。
捻くれ者故かもしれないが、自分は好きな対象に関する批判記事には、極力目を通す様にしている。好きな対象への批判記事だから、そりゃあ気分の良い事では無い。でも好きな対象だからこそ、悪い情報だからと言って耳目を閉ざしてはいけないと思うのだ。その情報に触れた上で、自分の得た情報や知識によって分析し、それが事実と判断したら、「嫌い。」になろうが「それでも好き。」という事で在ろうが、それは個人の自由。
又、「三流週刊誌の情報だから、全て当てにならない。」と耳目を閉ざしてしまうのも、“個人的には”どうかと思っている。三流週刊誌と呼ばれる物の中にだって、事実が隠されていないとは限らない。「大本営の発表こそが唯一無二的に正しい。」と信じ(信じ込まされ)、他の情報はそれこそ「三流週刊誌の情報」とばかりに切り捨てられ、それが“真実”から目を逸らし、その結果が我が国の敗戦に繋がったのではないか?まあこれは大袈裟な喩えだが
、自分は例え三流週刊誌と呼ばれる物からでも、それを自身が得た情報や知識によって分析した結果、真実に足り得ると判断した物は当ブログでも紹介させて貰うつもりだ。
その場に実際居合わせない限り、その事柄が事実かどうかの確証は得られない。例え傍証で在ったとしても、個々人が「真実に足る。」と判断出来たので在れば、自分はそれを全面否定する気は無い。又、全面否定されたくも無い。
****************************
この自分のスタンス、かなり昔から「きちんと書かないといけない。」とは思っていた。あの記事では非礼な遣り取りをしてしまったA氏に対し、改めてその非礼を謝罪すると共に、結果として書くきっかけを与えて下さった事も併せて感謝したい。
又、批判記事を書く際、「此処が問題だと思う。」と改善点は指摘するも、具体的な対案を書いていないのが自分の悪い点。きちんと対案を出せれば良いのだが、「それだけの頭が無いので、皆様の御知恵を拝借出来たら。」という気持ちも在る。
多くの御意見を頂戴したの嬉しかったが、中には自分の思いと全く違った捉え方をされている様な書き込みも見受けれら、それがとても残念だった。タイガース・ファンの後輩から「自分は○○さん(小生の事。)の考えを理解しているので書かれている内容を理解出来るが、あの内容で『坊主憎けりゃ袈裟迄憎いだけじゃないか。』と思われる人が居るのも一寸理解出来るかも。」といった趣旨のメールを貰った事も在り、あの記事の補足と併せ、このブログに関する自分のスタンスを書く事にした。尚、説明する上で或る方との遣り取りの一部を紹介させて貰うものの、この記事が特定個人を批判する意図で書いた物では無い事を御理解戴きたい。
では、本題に入る。「自分は星野仙一氏が大嫌い。」というのは、当ブログを立ち上げた当初から何度も明らかにしている。だから、改めて此処でその理由は記さない。自分なりに確固たる理由が在っての嫌悪感なのだが、「それが絶対的に正しい。」なんて思い上がりは全く無い。或る対象に対しての嫌悪感は、「あの人は美味しいって言うんだけど、自分はどうしてもピーマンが嫌い。」といった思いと同様に、他者から「それはおかしい。好きになれ!」と言われてもそうなれる物では無いし、同時にそういう強制をする物でも無いと思っている。
あの記事の中でも記した様に、「北京オリンピックの野球で、日本代表チームが惨敗した結果から『戦犯捜し』をした訳では無い。」し、実際にそれはしていない筈。あくまでも、それ以前の彼の言動に対する根深い不信感から、「星野仙一氏は球界の中心に居てはいけない人」と記した次第。
「星野氏がタイガースのSD(シニア・ディレクター)を務めているから、タイガースが球界の中心に在ってはいけない。」とも、「星野氏を球界から追放しろ。」とも自分は思っていないし、書いてもいない。過去に於いても現在に於いても、タイガースには好きな選手が居る(居た)し、どんな状況でも熱心にタイガースを応援して来たタイガース・ファンには心からの敬意を持っている程。ジャイアンツ以外のチームを“試合では”敵と思っているが、試合が終われば同じ球界の“仲間”と捉えている。唯、どうしても仲間と受け容れられない球界人も居るのは事実だが、それは自分なりの理由が在っての事で在り、「何処何処のチームの人間だから。」という事では全く無い。

「自分の思いと、全く違った捉え方をされているのではないか?」と自分が不本意に感じたのは、「ジャイアンツ・ファンは全てジャイアンツ至上主義。」、「ジャイアンツ・ファンだからON至上主義。」と捉えられている“様に感じられる”書き込み。あの記事のみならず、過去の記事を遡っても自分は一切そんな事は書いていない。当ブログではジャイアンツに対する苦言が多いので、寧ろ「“一般的”なジャイアンツ・ファンからはこのブログ、嫌悪されているのではないか。」と思っている程。又、ONは好きだが、それだって盲目的に好きというのでは無く、過去にもおかしいと思った点には批判をして来ている。故に「ジャイアンツが球界の中心。」だなんて思ってもいないし、そんな事を書いてもいない。
あの記事で書きたかったのは、これ迄の星野氏の言動を踏まえた上で、「やはり球界の中心に彼が居ては(影響力を行使していては)、球界の将来にとって良くない。」という“自分の思い”が在り、それを書いた。あくまでも私見で在り、それが唯一無二的に正しいだなんて全く思っていないし、書いてもいない。又、他者に私見を押し付けようなんて思いも無い。
「タイガースを立て直してくれた人だから、“基本的に”自分は星野氏を支持する。」、そういう考えが在っても良いと思っている。個人的には、そういう一途な思いが結構好きだったりするし。

だがしかし、個人的にどうかとは思うけれども、法律に明々白々触れる事は別にして、「好きだ嫌いだという『心の中』に関する事に付いて、他者が『それは絶対に間違っている。自分の考えこそが正しいのだ。』と強要する“かの様な”事は在ってならないし、自分もそれはしない。」というのが自分の考え。
一昨日放送された「NEWS ZERO」での星野氏のコメントの数々に対し、「潔い。」とか「流石、男・仙一!」と思う人が居たって、それは全くの自由。自分の場合は怒りで無く、「あのコメントじゃあ、選手が報わないよ・・・。」という寂しい思いしか無かったが、こう捉えるのも又自由な筈だ。
次に、当ブログに関する自分のスタンスを書きたい。
****************************
① 「誰かの主張を打ち負かす為の場」にはしたくない。
当ブログを開設した理由は、様々な方から意見を頂戴し、自身の勉強にしたいと思ったから。此処を見てくれた方々が「そういう考え方も在るのか。」という風に、新たな視点を見出してくれたら嬉しいという思いも在った。故に「『論』を有している文章ならば、異論&反論も大歓迎!」というのが自分の考え。「その考えに大賛成です!」といった書き込みばかりだったら、逆に居心地が悪くなってしまう。(自分も気を付けなければいけないと常々思っている事だが、「批判の為の批判」も「擁護の為の擁護」も在ってはならないだろう。)

唯、異論&反論は大歓迎だけれども、此処を“悪い意味での”ディベートの場にはしたくない。そういう趣旨のブログが在っても良いとは思うが、少なくとも此処は「誰かの主張を完膚無き迄に打ち負かす。」という場所にしたくないし、自分もそういう事をするつもりは無い。(上記した様に、それが明々白々に誤っている場合は別だが。)
② 誤解されかねない記述は避ける。
此処を覗いて下さる方が皆、記事を最初から最後迄読んで下さる訳でもないだろう。流し読みする方も居れば、コメント欄だけを読まれる方も居る事だろう。以前より思っていたのは、例えばコメント欄に「相手が書いてもいない事を、然も書いているが如き記述。」、又は「相手が書いていない事を、書いている様に“思われかねない”記述。」だと、其処だけ読む人は「そういう考えの人なんだ。」と、その相手に関する誤った情報(イメージ)を得る(作り上げる)可能性が在る。
自分の文章の拙さから誤解を生じさせてしまい、結果的にどういった記述をさせてしまったので在れば、これは自分を責めなければならないのだが

③ 情報に耳目を閉ざさない。
捻くれ者故かもしれないが、自分は好きな対象に関する批判記事には、極力目を通す様にしている。好きな対象への批判記事だから、そりゃあ気分の良い事では無い。でも好きな対象だからこそ、悪い情報だからと言って耳目を閉ざしてはいけないと思うのだ。その情報に触れた上で、自分の得た情報や知識によって分析し、それが事実と判断したら、「嫌い。」になろうが「それでも好き。」という事で在ろうが、それは個人の自由。
又、「三流週刊誌の情報だから、全て当てにならない。」と耳目を閉ざしてしまうのも、“個人的には”どうかと思っている。三流週刊誌と呼ばれる物の中にだって、事実が隠されていないとは限らない。「大本営の発表こそが唯一無二的に正しい。」と信じ(信じ込まされ)、他の情報はそれこそ「三流週刊誌の情報」とばかりに切り捨てられ、それが“真実”から目を逸らし、その結果が我が国の敗戦に繋がったのではないか?まあこれは大袈裟な喩えだが

その場に実際居合わせない限り、その事柄が事実かどうかの確証は得られない。例え傍証で在ったとしても、個々人が「真実に足る。」と判断出来たので在れば、自分はそれを全面否定する気は無い。又、全面否定されたくも無い。
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この自分のスタンス、かなり昔から「きちんと書かないといけない。」とは思っていた。あの記事では非礼な遣り取りをしてしまったA氏に対し、改めてその非礼を謝罪すると共に、結果として書くきっかけを与えて下さった事も併せて感謝したい。


。。。。
今回の代表チームのコーチ陣、指導力云々で選ばれたのでは無く、単に星野監督の“御友達”だからという点のみで選ばれたのは誰しも否定しないだろう。御友達の寄せ集めだからこそ、“視察”という名目で海外に行き、“経費”で派手に飲み食いするのも当たり前。敵の視察をするのは重要なれど、御友達と経費で派手に飲み食いするのは無関係。唯でさえ「御友達のチーム」と揶揄されていたのだから、必要以上に身を律するべきではないか?どうにも昔から星野氏には、金銭絡みの汚い話が多過ぎる。
。。。。。
いま読み返しても「嫌いだからこそ(週刊誌等からの情報を鵜呑み?にして」こう読んだんだなと思われます。
ですのでgiants-55さまには
「貴方の思う派手な飲み食い」とはどういう基準なのですか?一人3000円とか超えたら派手な飲み食いなのですか?や
「(ではアレだけの実績をもった国を代表するチームの首脳陣が)視察が終わればお弁当とお茶持ってホテルの一室でおとなしくしていればいいとおもうのですか?等の質問(お考えの基準を問う)をしたのです。
この記述から読み取れるgiants-55さまの星野嫌いは非常に「そこが浅く、坊主にくけりゃ袈裟までにくい」的思考でとどまっており、そんなお考えで「球界の中心に居てはいけない」とまでよく言えるなと思った次第です。
あっ、私は別に星野監督に恋しているわけでもないし、彼こそが球界の中心に居るべき人ともおもってないから盲目ではないですよ。
そのほかの彼を嫌う発言内容、特によくリンクされていたサイトを拝読したのですが
http://fjoo-438fr-f8r3.hp.infoseek.co.jp/matigai/hosino.htm
これも自分から見ると恣意的に「嫌いな奴がまたこんなこと言っている!」レベルに過ぎないと判断しました。
ようは「一旦嫌いになったら(エクスキューズ的にある一定の理解は示すが)やっぱり色眼鏡で見ている」ってレベルだと思いますよ。giants-55さまも星野迷言集の方も。
つまりは週刊誌等で視察時の派手な飲み食い等の伝聞を見たとき、その記事を実際に読んだわけではありませんが
・「あ~またアンチ記事で世論を煽っているか?」
・「あ~やっぱり星野お友達チームで遊んでいるんだな。あいつら金に汚いから」と
両方の読み方が出来るわけです。
私は前者でgiants-55さまは後者だったということです。
しかし常識的に考えて、いい年をした高い地位の人たちが海外に視察にいってその夜に酒宴の一つも持たないほうがおかしいんですよ。見る人によったらそれは「派手」に見えるかもしれませんし、「ふつ~のオッサンの食事風景」と見えるかもしれない。
でもgiants-55さまは「そんな風にとられることのないように律するべき」とまで断言されている。ほとんど言いがかりのようなきがしてならなかったんですよ。
そして常識的に考えて星野さんは心臓に持病を抱えている身。一度そんな事になって入院経験をすれば分かると思いますが、仕事でプレッシャーがかかることに従事していれば羽目を外す飲み喰いなんて中々出来るものではありません。
そういう常識的なファクターを通さずに「御友達の寄せ集めだからこそ、“視察”という名目で海外に行き、“経費”で派手に飲み食いするのも当たり前。敵の視察をするのは重要なれど、御友達と経費で派手に飲み食いするのは無関係。」なんて書いているから、
「おいおい、ふつ~そうは思わないだろう。」と指摘したかったまでです。
こういった人がいます。
「本当のプロとは仕事とプライベートの区別がない人だ」つまりはプライベートでもずっと仕事の事を考えているという意味。
これは北野たけし氏の言葉です。まあ彼の事はさておいて、この言葉についてはなるほどなと思います。
例えば自分がもっと医療に際して頭の中がそれだけで、ずっと仕事のことについて考えている。そういう仲間が2人いて仕事の時間を離れてもウマがあい、プライベートでもお互いの医療についての事を良く話し合う。
ある機会に恵まれて自分がとある病院の院長に招聘された。「だれか先生の信頼できるスタッフを連れてきてください」といわれればこの2人しかない。
よって仲良し3人の首脳陣となる。いい時、つまりは患者さんたちの評判もよく病院の売り上げも順調だったりするときは「さすが気心の知れているだけある」と評され
しかし色んな要因で上手くいかなくなったとき「仲良し三人組みだからダメなんだ」なんていう声が聞こえる。これは事象の本質を見極めず、単に表層だけ、目に付く所だけをとりあえず槍玉に挙げて批判してやれ、という非常に幼稚な手法だと思いますが。。。
http://www.sanspo.com/beijing2008/news/080824/oaa0808240440004-n2.htm
これはなるほどなと頷きます。つじつまがあっているし敗因の一旦がちゃんとなされている。戦犯さがしでもないし。
こういうのが中立的な見方だと思いますけどね。
もちろんこちらは個人のサイトですから中立でなくてもいいんですけど(星野嫌い、それが大前提でしたね)、言いがかり的な内容、ある所は妥当な理解を示し冷静に色々と書いてらっしゃるように見えて、実は底が浅かった等が目に付きましたので色々と書かせていただきました。
(度重なる失礼をお許しください。)
http://jp.youtube.com/watch?v=hanxbt1jO64
好き嫌いといった「心の中の事柄」ですから、それを他者から「そうじゃない。」と何度言われても、「確かに違っていたな。」と思える場合も在れば、「いや、やっぱり好きにはなれない。」というケースは誰でも在ると思うんです。過去の記事を読んで戴けたら(「具体的に何月何日の記事なのか挙げて欲しい。」というのはもう勘弁して下さい。昨日も書きました様に、「何時何分何秒に、何処で誰が言ったのか?」という様な不毛な感じが“自分は”して嫌なので。)御判り戴けると思うのですが、自分は星野氏の言動でも認める点は認めていますし、全部が全部気に食わないと言っている訳でも無いですし。
失礼を承知で書かせて貰うならば、これ迄の遣り取りに於いて、どうもtak様は御自身の主張に不都合を生じさせかねない私からの質問をスルーされる傾向が在る気がしてなりません。私が記事でもコメント欄でも再三に亘って「今大会の戦犯捜しをしている訳では無い。」と書いているのに、最後迄「五輪で負けたのをコレ幸いとこき下ろす」と書かれましたよね?自分は当ブログを立ち上げた当初から星野氏の事は批判していますし、今大会で負けたから批判している訳ではないですよ。又、「球界の中心」という事に関してあの記事の文章の中にも過去の記事の中に於いても、自分は一度たりとも「ジャイアンツが球界の中心」だなんて書いた事は在りません(匂わせたりした事すら在りません。そりゃあ当然です。自分はそんな事を思っていませんから。)。なのにわざわざ「(球界の中心とは)ジャイアンツに近い位置を指すのですか?」という書き込みをされる。これではコメント欄だけ見られた方が「giants-55って、そんなジャイアンツ至上主義の奴なんだ。」って誤解される可能性に思いを馳せて戴けないのが残念です。私の主張の根拠が「傍証に過ぎない。」“といった趣旨”で書かれていたので、「『周りにスパイが居過ぎて情報がダダモレだった。』というのも、同様に傍証ではないでしょうか?」と質問したのもスルーされ、二度目に質問した際にやっと認めて下さった。自分はtak様がその答に納得して戴けるか否かは別にして、質問された事項には逐一答えているつもりですので(食事代の件は見落としてしまった為、抜け落ちていました事、これは謝罪します。)、あそこ迄びっちり書かれるtak様が何故なんだろう?と残念でした。
適正な食事代の件に関してはもう勘弁して下さい。これは上できちんと“自分なりの”回答をしている筈です。法律でどうこうと縛られている訳でも無かろうし、それが派手なのか否かは個人の主観に過ぎないのはtak様も良く御理解しておられると思うのですが。
それと「御友達集団」自体が100%悪いという訳では無い事も、上できちんと触れています。御友達で在っても組織をきちんと運営し、且つ結果を残せば問題では無い。tak様を含めた周りも、そういう素晴らしい関係に在るのだとは思います。でも自分の周りがそうだから、他の組織が全てそうとも言えないのも確かではないでしょうか?tak様は今回の首脳陣が上手く機能していたと思われるのは一切構わないと思っています。でも、自分はそう思っていない。何故自分がそう思っていない事を責められなければならないのか、非常に理解に苦しみます。それこそ「心の中の問題」ではないかと思うからです。これも全くスルーされているのですが、自分の他にも私見に近い御意見を寄せて下さっている方“も”居られる。それが「世の中の総意」だなんて思ってないし、決め付けてもいませんから誤解しないで欲しいのですが、でもそういった思いを持って居られるのも事実ではないでしょうか?何故そういう考えを持ってはいけないのか?又、そういう意見を書くと、“無根拠に”「仲が良いと『仕事では言いたいことが言えない』という危惧は実はgiants-55さま自身のことではないでしょうか?」と迄言われなければならないのでしょうか?本当に失礼な言い方で申し訳無いのですが、tak様の御意見は「自分の周りがそうだから、世間もそれと同じだ。」という思いを強要し過ぎている“様に”自分は感じます。
リンク先のサイト及び私見に付いてtak様が「『嫌いな奴がまたこんなこと言っている!』レベルに過ぎないと判断しました。」と書かれていますが、これは全く自由だと思います。tak様自身が検証されてそう思われたのだし、それを「tak様のその考えは間違っている!自分の考えこそ正しい!!」なんて押し付ける気は全く在りません。何度も書いています様に、「心の中の事柄」ですから個々人がどう思われ様が全く勝手だし、他者が「それは違うから、考え直さないと許さん!」なんて代物では全く在りませんから。tak様が御自身で検証されて「信じるに足らず。」と判断された様に、「底が浅い。」と言われようが自分は自分なりに判断して「信じる。」とした訳です。それを何故、こうも辛辣に言われなければならないのか。とても残念です。
「金銭がらみの卑怯な例として自分が記憶しているのがV9時代のON。さも爽やかに一発契約しているように見せかけて事前に電話で随分と交渉していたそうですが。。。こっちのほうが自分は『卑怯でズルイ』と思いますよ。」とtak様は書かれておられましたよね。自分もこの話は知っておりますし、まず間違いなく事実だとも思っています。爽やかなイメージを作り上げる為の裏工作でしょうね。この話を聞いた時、「やっぱり、そうだったんだ。」と幻滅する部分は在りました。(好きな手塚治虫氏が、「若手の才能に対して非常に嫉妬心が強い人で、時々嫌がらせめいた事をしていた。」という証言を見聞した際にも、ガッカリしたものです。)でも、それを知った上でもON、特に王さんが好きな思いは変わらなかった。
tak様が嫌悪されているこういった裏工作&二面性を、再三に亘って行って来た“と自分が思っている”のが星野氏。これはあくまでも自分が思っているだけで、それをtak様が「一切信じない。」とされるのは自由だと思っていますが、でも“信じている自分としては”何故同じ様な事を、それも再三に亘ってして来た人には疑問や嫌悪感を持たないのだろうか?と不思議に思う訳です。「信じない。」、又は「それ等の一部は信じるが、それでも星野氏が好き。」というので“在ったとしても”、それは個人の自由だし、自分は「それはおかしい!考え直さないと駄目だ!!」と強要する気も全く無いですから。
何度も何度も書いているので、もうこれ以上書くのは勘弁させて貰います。しつこい様ですが「心の中の事柄」に自分は白黒を付ける気も無いし、付けるべき代物では無いと一貫して思っていますし、tak様の御意見は残念乍ら相容れないけれども、少なくとも尊重は致しているつもりですので。
失礼な文章を改めて御詫び申し上げます。
自分は私見をtak様に「認めろ。」なんて言ってもいないし、そんな事も思っていない。人の考えは千差万別で在り、それを強要するのは国家統制の様で好きでは無いし。自分は当ブログを「“悪い意味での”ディベートの場、即ち白黒を最後迄付けなければならないという場にするつもりは無い。」んです。「そういう場は、正に傷を舐め合う御友達集団だ。」と言われる方が居られるかもしれませんが、そう思われるのなら別に構わない。
「tak様の御意見」と「私見」がこの問題に於いては相容れなかった。それが結論で良いのではないかと自分は思っておりますので、これ以上は書くのを控えます。「書き逃げだ。」なんて哀しい事は言わないで下さいね。これ迄にも、自分は自分なりに逐一きちんと御答えして来たつもりですから。それがtak様にとっては不満足な御答だったとは思いますが、それも主観の違いだと思いますし。
喧嘩を吹っ掛けている訳では全く在りませんので、御理解下さいませ。