大きな事故や事件が発生した際、報道番組から派遣された記者等が、現場からレポートする。そんな時、レポートしている彼等の後ろで、へらへらと笑い乍らピース・サインをしたり、スマホで写真や動画を撮っている連中が映る。昔に比べると、こういう連中は減った様に感じるけれど、子供ならいざ知らず、良い年をした連中がしていると、本当に情け無くなる。
偉そうな事を言える生き方はして来ていない自分だけれど、「こういう現場で、そんな事をしてはいけない。」という“常識”は持ち合わせている。現場で怪我をされたり、亡くなった方が存在する。若し自分が被害者、又は被害者の家族だとして、其の現場でそういう事をされたら、どう思うのか?常識やモラルも然る事乍ら、想像力が欠落した人間が増えている様な気がしてならない。
最近気になるのは、事件&事故現場で取材を受けている人の中に、“時折笑顔を見せて答えている人”が居る事。先日発生した池袋の自動車事故でも、そんな人が何人か見受けられた。母子2人が亡くなるという、余りに痛ましい事故が起こった現場なのにだ。
別に「悲しい表情を浮かべて答えろ。」と言っている訳では無い。又、「人は極度の緊張状態になると、緊張状態を緩和すべく、“リラックスした表情”を浮かべる事“も”在る。」という心理面も理解はしている。
でもだ・・・どんな理由が在るにせよ、人が亡くなった場で笑顔を浮かべて答えるというのは、御遺族等の気持ちを考えると、自分はどうかと思う。上記した様に、無理して悲しい表情を作る必要は全く無いが、せめて無表情で答えて欲しい。そういう事が出来ないので在れば、インタヴューに答えない方が良い。
悲惨な事件事故現場でのインタビューに笑顔で答えている人がいる、その違和感は以前から持っていました。
どういう神経なのだろうと、見ているこっちが不愉快になるのですが、喋っている内容から当人に悪気はなさそう。
で、giants-55さんの記事を見て「人は極度の緊張状態になると、緊張状態を緩和すべく、“リラックスした表情”を浮かべる事“も”在る」ということを知り、そういう心理が働いているのかも、と納得できました。
こういった状況下で笑みを見せてしゃべるのは日本人だけかと思っていましたが、先日のノートルダム大聖堂火災の現場インタビューでも、わずかに笑みともとれる表情で話している市民がいました。
後進国(発展途上国?)でのそういう現場インタビューでは、真顔で怒りながらしゃべるシーンばかり見てきたので、国民性?によって感情の出し方に違いがあるのでしょうか。
この話題とは無関係ですが、最近ニュース等で気になって仕方がないのが、言葉のプロであるはずのアナウンサーが頻繁に口にする「今の現状」に、すごく違和感を覚えます。
アナウンサーだけでなく、タレント有識者とでも呼べそうな人たちからも、その言葉が出るのをよく見かけます。
テレビで見かけるたびにツッコミを入れていますが、何とかならないものでしょうかね(苦笑)。
せめて「今現在の状況」と言い換えるぐらいの知識は欲しいものです。
先日の神戸のバス暴走現場は、私が通勤途上でいつも通る場所です。あれから私は目礼して通ります。
かような連中は感情がないのでしょう。
「違和感を覚えているのは自分だけかなあ・・・。」と思っておりましたが、悠々遊様も同じだったのですね。「所詮は他人事なのだから、どんな表情でインタヴューに答え様と勝手ではないか。」という御意見も存在しましょうが、被害者が出ている以上(特に今回は、死者が出ているし。)、答える側にも“最低限のマナー”が在ると自分は思います。
唯、人って余りにも遣り切れない思いになってしまうと、苦笑いを浮かべたりもする。そういう複雑さも在るので、十把一絡げ的に批判も出来ないのですが・・・。
妙な言葉遣いを耳にする事、結構多いですね。以前書いた事ですが、自分のした仕事を語る際、「~をやらさせて戴きました。」という表現には、非常に違和感が在る。ジャニーズのタレントがこういう表現を矢鱈とし出した事から、一般化した感が在りますけれど、「映画の仕事をしました。」という形で良いと思う。
先日の神戸のバス暴走も、本当に悲惨な事故でしたね。原因は未だ判らないし、当該運転士に悪意が在ったとも思わないけれど、巻き込まれた被害者達は「運が悪かった。」の一言で片付けられない。
此の事故では、当該運転士の奥さんがインタヴューに答えていました。声を変えて放送されていましたが、非常に他人事の様に、又、あっけらかんといった感じで話していたのには、個人的に違和感を覚えました。
「マスメディアが加害者家族の下に行き、色々聞くというスタイル。」を必ずしも肯定する訳では無いけれど、池袋の事件では全くそういう事が無い。又、加害者の男性の名前に「元院長」という意味不明な呼称を付けて報道するに到っては、嘗ての「稲垣吾郎メンバー」と同じ“忖度”を感じてしまう。
「逮捕されていないのだから、容疑者とは呼べない。」という“一般常識”は理解しているけれど、元エリート官僚への忖度が全く無いとも言い切れない感じが在り、非常に複雑です。