“其の時代”をリアル・タイムで知っている人達には当然知っている事でも、そうじゃ無い人達(生まれていても、幼くて記憶が曖昧な人達も含む。)にとっては知らない事って、結構在ったりする。「史上初の有人月面着陸を“させた”アポロ宇宙船は、アポロ何号?」という質問もそうで、昔は自分も「何号だったっけなあ?」と考えてしまった事が。
でも、ポルノグラフィティの「アポロ」【動画】が1999年にリリースされて以降は、出出しの「僕らの生まれて来る ずっとずっと前にはもう アポロ11号は 月に行ったっていうのに♪」を思い出し、「アポロ11号だ!」と間違える事が無くなった。
司令船から切り離されたアポロ月着陸船「イーグル」が月面に着陸したのは、1969年7月20日16時17分40秒(東部夏時間)の事。そして、同日22時56分15秒(東部夏時間)、ニール・アームストロング船長が人類初の月面着陸者となった。
「アメリカ航空宇宙局(NASA)による、人類初の月への有人宇宙飛行計画。」で在る「アポロ計画」。「知っている様で、意外と知らない事が多かった。」事を、最近読んだ関連本で感じた。
アポロ計画が実施されたのは、1961年から1972年に掛けてと言う。もっと長期間と思っていたが、約11年に過ぎなかったのだ。此の間、有人月面着陸に成功したのは全6回。
では、「アポロ計画で用いられたのは、アポロ何号迄か?」となると、「アポロ17号が最後。」というのが、一般的な説らしい。一般的な説と書いたのは、「『1975年、アメリカとソ連(当時)の宇宙船が共同飛行した最初の宇宙計画。』の『アポロ・ソユーズ・テスト計画』で、アポロ宇宙船が使われた事から、此れを『アポロ18号』と呼ぶ人も居るから。」だとか。
「全6回の有人月面着陸により、地球に持ち帰った“月の石”の総重量は?」となると、何と381.7kgにもなるそうだ。そんなにも多かったとは・・・。
で、一番驚いたのは、「アポロ1号から17号迄の内、“実質的”に飛んだのは4号から。」という事。「1号は発射台でテスト中、司令室が出火、3名の飛行士が命を落とすという悲劇が在り、後になって此のミッションを『アポロ1号』と呼ぶ様になった。又、2号及び3号は“欠番”扱い。」との事。
この記事を見てアサヒグラフの緊急特別号を引っ張り出して眺めてみました。懐かしいですね。
普段こういう「流行もの」に飛びつくことはないのですが、天体大好き人間には我慢できませんでした。(笑)。
1969年8月15日発行、特価220円、表紙を含め100ページ全ページカラーを謳っています。
今から思えば安いですね(笑)。
記事内容も、サイドコラムの月旅行の未来予測記事がおもしろいです。
電気によるイオン発生装置を積んだ電気ロケットに乗り、宇宙ステーション経由で月のホテルに滞在する旅行が、40年後には5000万から1億円ぐらいで可能だろうと、東大宇宙航空研究所の教授が(真面目に)書いています。
50年後の今も実現していないのが残念です(笑)。
全百頁のオール・カラーで220円ですか・・・今じゃあ考えられない値段ですね。でも、当時の物価からすると、恐らく結構な値段なのでしょうね。
自分が小学生の頃、学習誌には良く「21世紀の世界」といった“予想図”が良く載っていました。必ず紹介されていたのは、空飛ぶ自動車。此れは現実化に向かっている様ですが、同様に良く取り上げられていた「宇宙旅行の“一般化”」は、未だ未だ先の様ですね。