「職人」という呼称がぴたりと当て嵌まる野球選手が、又1人現役引退する事となった。天才打者のイチロー選手をして「本当の天才打者は前田さん。」と言わしめた男、カープ一筋24年の前田智徳選手だ。
昨日の引退表明会見で彼は、「引き際は、疾っくに過ぎていた。言葉は悪いが、漸と終わったかという感じ。重圧から解放されて、ほっとしている。」と語っていた。確かに全盛期の彼を思うと、2008年以降の成績は全く物足りないが、でも職人としての立ち居振る舞いに風格が在り、打席に立つと見入ってしまう存在で在った。
カープが16年振りのAクラス入りを決めた今季、カープを支え続けた前田選手が引退。「一時代が終わり、そして新たな時代が始まる。」という感を強くする。前田選手、24年間御疲れ様!!
先週、某高校の学園祭を覗いて来た。自分の母校でも何でも無いのだけれど、イヴェント等が面白くて、2年前から毎年訪れている。一昨年、そして昨年も感じたのだが、高校生達が放つ“若さのパワー”は、本当に凄い。嘗ては自分も同様に“若さのパワー”を放っていた筈なのだが、今は彼等の姿が眩しくも在り、正直羨ましくも在った。
若い人達に羨ましさを感じる一方で、「自分が置かれている世代」に感謝したくなる事も在る。「王貞治選手という偉大な打者の活躍を、リアル・タイムで見て来れた。」、「手塚治虫氏という天才的なクリエーターの作品を、リアル・タイムで触れて来れた。」、そして「『ザ・ベストテン』【動画】というパワフルな音楽番組を、リアル・タイムで見て来れた。」からだ。
「ザ・ベストテン」という歌番組が何れだけ好きだったかは、8年前の記事「ザ・ベストテン」で綿々と記しているので、其方を見て戴ければと思う。1978年から1989年に掛けて放送され、最高視聴率「41.9%」を記録した超人気番組だ。昨夜放送された「中居正広のキンスマスペシャル」では、久米宏氏&黒柳徹子さんという初代司会者コンビをゲストに招き、「ザ・ベストテン」の特集を組んでいた。
「新幹線で移動中の松田聖子さんが、駅での停車時間を利用して降車、ホームで歌を歌うも、途中で時間が無くなり、慌ただしく乗車して去って行った。」、「下積み時代に引っ越しのバイトをしていたという事で、箪笥担ぎを見せた大川栄策氏。」、「褌一丁で歌った山本譲二氏。」、「『透明人間』【動画】の曲に合わせ、途中で姿が消えたり現れたりする演出が在ったピンク・レディー。」、「水中ヨガで、プールに浮かぶ黒柳さん。」「『今週のスポットライト』で、初めてサザンオールスターズというバンドを見た時の衝撃。」等々、今でもハッキリ覚えているシーンが数多在る。昨日の放送では、そんな忘れられないシーンが幾つか流され、非常に懐かしかった。
「『ザ・ベストテン』は、1978年から1989年に掛けて放送された。」と上記したけれど、自分の中では「1978年1月19日(初回)から1985年4月25日(第375回)迄が、真の「ザ・ベストテン」だと思っている。初回から黒柳さんと共に司会を務めていた久米氏が、第375回で番組を降板し、名コンビが解消されてしまったからだ。
久米氏と黒柳さんという強烈な個性を持つ2人が司会を務めていたからこそ、「ザ・ベストテン」は其の魅力を十二分に発揮出来ていたと思うし、久米氏が欠けた「ザ・ベストテン」には、申し訳無いけれど魅力を感じ得なかった。其れ以降は同番組を全く見なかった訳では無いけれど、記憶に残るシーンは全然無い。
「音楽番組の歴史を変えた。」と言っても良い「ザ・ベストテン」。企画&演出をメインで務めた元プロデューサーの山田修爾氏が67歳で亡くなられたのは先月の事で、其の追悼という意味も在っての特別番組だった様だ。
「ザ・ベストテン」が高い視聴率を叩き出している最中、唐突に自らの降板を申し入れた久米氏。降板を申し入れた真の理由を、昨日の番組で明らかにしていた。“戦友”の山田氏に真の理由を言わない儘、そして謝罪する事無い儘来てしまった事が、久米氏の中に“澱”として溜まっていたのだろう。降板以降の彼が、必要以上に「ザ・ベストテン」に関して触れなかったのには、そういう訳が在ったのだろうし、今回の出演には山田氏に対する謝罪の意味も在ったのではないだろうか。
久米氏と黒柳さんがコンビを組む事になった“運命的な出来事”等、知らなかった事実が次々に紹介されたが、最も印象に残ったのは「久米&黒柳の2人が、相変わらずの名コンビ振りを見せていた。」という事。今年で80歳の黒柳さんと69歳の久米さん、見た目の老いは隠し切れなかったが、息の合った遣り取りには、(コンビ解消から)28年のブランクが在ったとは迚も思えない程だった。
それを焼いて食べる明菜も桃子も顔色一つ変えない。
ホラーのような光景でした。
でも昔ってカビるのは当たり前だったので洗ったりして食べましたよね。拙宅はこの20年ほどサトウの鏡餅ですのですっかり忘れてました。
でも食べるモチはサトウの切り餅よりも零細菓子店や農協直売所に行って買う奴のほうが断然美味いですね。
中森明菜さんをTV番組等で見掛けなくなってから、もう久しくなります。「兄弟姉妹、そして両親との結束が非常に強い。」という話を全盛期に良く見聞しましたが、体調不良が囁かれる頃より、其の肉親達とも音信不通状態に在るという話が漏れ伝わって来て、先日の週刊誌には彼女の肉親達に不幸が相次いでいるとの報道も。スポットライトを浴び続けていた華やかさを思うと、現状が気の毒でならない。
昔、青カビが生えた餅は、青カビだけを包丁で切り落として、残りを普通に食べていましたね。最近では「青カビが生えた時点で、其の餅を食べるのは身体に良く無い。」というのが定説となっている様で、「常識というのも、時代によって変わるのだなあ。」と改めて思いました。
80年代は音楽と音楽番組が一番輝いていた時代ですね
ザ・ベストテンのどこまでも追いかけて歌を歌わす事に当時はビックリしました
ザ・トップテンは修学旅行に着た生徒が見学に来てる事が多かった
夜のヒットスタジオは来日した海外の歌手がプロモーションしに来てました
そう言えばザ・ベストテンの初代?追っかけマン(リポーター?)の方はフリー転身後に自殺されたんですね
楽しい一時を与えてくれたザ・ベストテンのプロデューサーと追っかけマンに合掌
「歌謡曲」が全盛だった時代、透明人間様が書かれた3つの歌番組は、其れ其れ違った魅力で人気が在りましたね。中でも「妙な思惑が介在しない、データに基づいたランキング構成。」という「ザ・ベストテン」は新鮮でした。又、「追い掛けます。御出掛けならば、何処迄も。」をキャッチフレーズに、ランクインした歌手を本当に何処迄も追い掛ける遣り方というのも新鮮で、元祖追っかけマンの松宮一彦氏の知名度も、此の番組で一気に上がったと言って良いでしょう。底抜けな陽性な振り撒いていた彼だけに、其の後に自ら命を絶たれた際は吃驚しました。