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「北京五輪:聖火リレー 長野、コース変更 善光寺、出発地返上」(4月18日、毎日新聞)
北京五輪聖火リレーの国内唯一の開催地、長野市で26日に行われる聖火リレーで、出発・点火式が予定されていた善光寺は18日、出発地点を返上する事を市リレー実行委員会に申し入れた。理由に付いては、「チベット人権問題」が一因で在る事を明らかにした。実行委もこれを受け入れ、コース(全長18・5km)の内スタート地点等を変更する事を決めた。一両日中にも新たなコースを公表する。開催迄約1週間に迫った時点で、実施計画の主要部分が変更される事になった。
18日会見した善光寺は、「文化財と一般信者を守る安全上の責任が在る。」と述べた上で、中国のチベットへの「弾圧」に付いて触れ「五輪憲章は人種や宗教、イデオロギーを超えた平等の理念が在る憲章だと考えている。宗教(仏教)の寺として信者の声を汲んだ。」と述べた。
リレーを巡っては、県警と警察庁は情勢次第では3,000~4,000人規模の警備体制で臨む方針だった。しかし、聖火リレーへの対応を協議する為17日開かれた善光寺の幹部会議では、チベット問題に関する抗議活動や警備問題等を念頭に「出発点の返上を実行委に求めるべきだ。」等の意見が出た為返上を決めた。
善光寺の境内で出発・点火式が行われる事は昨年10月に決定。当初は、混乱を防ぐ為、出発式が行われる午前8時から約30分間、見物だけを目的とする一般客の立ち入り規制を検討していた。
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世界各地で、聖火リレーへの妨害が起こっている。トーチの火を一旦消して聖火ランナー毎バスで移動させたり、沿道から一般人を全て排除した上で聖火ランナーを走らせたりしている様だが、其処迄して聖火リレーを続ける意味合いが在るのだろうか?と思ってしまう。中国当局は「自国のを保つ為には、何としてでも聖火リレーを完遂せさなければならない。」と信じて疑っていないのだろうが、余りに滑稽なパフォーマンスだ。
「チベット人権問題」を理由に、北京オリンピック開会式への不参加を表明する各国首脳がチラホラ出て来ている。聖火ランナーに選ばれた著名人の中にも、ノーベル平和賞受賞者のワンガリ・マータイの様に辞退を申し入れる人が。その理由は勿論、「チベット人権問題」だ。それに対して我が国では「善光寺からの出発を皆が楽しみにしていたでしょうから、複雑な心境です。」と述べた有森裕子さんの例も在るが、聖火ランナーに選ばれた著名人達は概してダンマリを決め込んでいる様に思える。
「自民党が政権を握っていれば自民党の太鼓持ちを、共産党に政権が移れば共産党の太鼓持ちを平気で出来るのが芸人。」。大分前に見た記事なので表現は微妙に違っているかもしれないが、ビートたけし氏が述べた言葉だ。この考え方には様々な意見が在ろうが、確固たる私見を持っているという意味では評価している。聖火ランナーを任せられた著名人達にも個々に立場や考えが在るだろうから、一概に「コメントを出せ!」と強要する気は無い。聖火ランナーを務めようが務めまいが、それは個人の判断に委ねられるべき物。
だが非常に解せないのは、聖火ランナーを任せられている某日本代表監督が一切ダンマリを決め込んでいる事。*1普段はコメンテーターとして、「人権がどうのこうの」とか「政治的にどうのこうの」と勇ましい事ばかり口にしている癖に、自身の関わる事はノー・コメントというのでは余りにも御都合主義。「スポンサー絡み(=金銭絡み)の事情が在って、著名人はそう簡単に聖火ランナーを辞退出来ない。」という理由は確かに在ろうが、あれだけ普段から勇ましい事を言っている以上、何もコメントしないのでは「やはり仙一では無く、“銭”一だったんだ。」と揶揄されても仕方ないだろう。
とは言え、ジャイアンツの監督就任が盛んに報じられた際は一切ダンマリを決め込み、世論が就任反対に振れたと判断するや否や、「ジャイアンツの監督に就任する気は全く無い。そもそも、そんな話は一切無かった。」等と、“自身が監督の売り込みを図ったのに”平然と言い放った御仁。ずっと様子見を決め込み、そろそろ“ええかっこしい”なコメントを出す様な気もしている。
*1 自分が知る限り、TVや新聞等でコメントを出していないと“思われる”某日本代表監督。この記事を書き終えた後で検索した所、「自身のサイトで『あれこれ発言するのは適切では無い。』等のコメントをしている。」との書き込みを見付けた。これが事実かどうか不明なれど、あれだけ勇ましい事を普段言っている割には“非常に苦しい言い訳”に思えるし、これではダンマリを決め込んでいるのと然して変わらない気がするが。
「北京五輪:聖火リレー 長野、コース変更 善光寺、出発地返上」(4月18日、毎日新聞)
北京五輪聖火リレーの国内唯一の開催地、長野市で26日に行われる聖火リレーで、出発・点火式が予定されていた善光寺は18日、出発地点を返上する事を市リレー実行委員会に申し入れた。理由に付いては、「チベット人権問題」が一因で在る事を明らかにした。実行委もこれを受け入れ、コース(全長18・5km)の内スタート地点等を変更する事を決めた。一両日中にも新たなコースを公表する。開催迄約1週間に迫った時点で、実施計画の主要部分が変更される事になった。
18日会見した善光寺は、「文化財と一般信者を守る安全上の責任が在る。」と述べた上で、中国のチベットへの「弾圧」に付いて触れ「五輪憲章は人種や宗教、イデオロギーを超えた平等の理念が在る憲章だと考えている。宗教(仏教)の寺として信者の声を汲んだ。」と述べた。
リレーを巡っては、県警と警察庁は情勢次第では3,000~4,000人規模の警備体制で臨む方針だった。しかし、聖火リレーへの対応を協議する為17日開かれた善光寺の幹部会議では、チベット問題に関する抗議活動や警備問題等を念頭に「出発点の返上を実行委に求めるべきだ。」等の意見が出た為返上を決めた。
善光寺の境内で出発・点火式が行われる事は昨年10月に決定。当初は、混乱を防ぐ為、出発式が行われる午前8時から約30分間、見物だけを目的とする一般客の立ち入り規制を検討していた。
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世界各地で、聖火リレーへの妨害が起こっている。トーチの火を一旦消して聖火ランナー毎バスで移動させたり、沿道から一般人を全て排除した上で聖火ランナーを走らせたりしている様だが、其処迄して聖火リレーを続ける意味合いが在るのだろうか?と思ってしまう。中国当局は「自国のを保つ為には、何としてでも聖火リレーを完遂せさなければならない。」と信じて疑っていないのだろうが、余りに滑稽なパフォーマンスだ。
「チベット人権問題」を理由に、北京オリンピック開会式への不参加を表明する各国首脳がチラホラ出て来ている。聖火ランナーに選ばれた著名人の中にも、ノーベル平和賞受賞者のワンガリ・マータイの様に辞退を申し入れる人が。その理由は勿論、「チベット人権問題」だ。それに対して我が国では「善光寺からの出発を皆が楽しみにしていたでしょうから、複雑な心境です。」と述べた有森裕子さんの例も在るが、聖火ランナーに選ばれた著名人達は概してダンマリを決め込んでいる様に思える。
「自民党が政権を握っていれば自民党の太鼓持ちを、共産党に政権が移れば共産党の太鼓持ちを平気で出来るのが芸人。」。大分前に見た記事なので表現は微妙に違っているかもしれないが、ビートたけし氏が述べた言葉だ。この考え方には様々な意見が在ろうが、確固たる私見を持っているという意味では評価している。聖火ランナーを任せられた著名人達にも個々に立場や考えが在るだろうから、一概に「コメントを出せ!」と強要する気は無い。聖火ランナーを務めようが務めまいが、それは個人の判断に委ねられるべき物。
だが非常に解せないのは、聖火ランナーを任せられている某日本代表監督が一切ダンマリを決め込んでいる事。*1普段はコメンテーターとして、「人権がどうのこうの」とか「政治的にどうのこうの」と勇ましい事ばかり口にしている癖に、自身の関わる事はノー・コメントというのでは余りにも御都合主義。「スポンサー絡み(=金銭絡み)の事情が在って、著名人はそう簡単に聖火ランナーを辞退出来ない。」という理由は確かに在ろうが、あれだけ普段から勇ましい事を言っている以上、何もコメントしないのでは「やはり仙一では無く、“銭”一だったんだ。」と揶揄されても仕方ないだろう。
とは言え、ジャイアンツの監督就任が盛んに報じられた際は一切ダンマリを決め込み、世論が就任反対に振れたと判断するや否や、「ジャイアンツの監督に就任する気は全く無い。そもそも、そんな話は一切無かった。」等と、“自身が監督の売り込みを図ったのに”平然と言い放った御仁。ずっと様子見を決め込み、そろそろ“ええかっこしい”なコメントを出す様な気もしている。
*1 自分が知る限り、TVや新聞等でコメントを出していないと“思われる”某日本代表監督。この記事を書き終えた後で検索した所、「自身のサイトで『あれこれ発言するのは適切では無い。』等のコメントをしている。」との書き込みを見付けた。これが事実かどうか不明なれど、あれだけ勇ましい事を普段言っている割には“非常に苦しい言い訳”に思えるし、これではダンマリを決め込んでいるのと然して変わらない気がするが。
さらに、北京がポシャれば困るのも一緒でしょう。
よしんば率いたチームが好成績を残したとして、
五輪が盛り上がりに欠けたり、批判が高まったりすると、
政治的にも経済的にもメリットが目減りしますし。
かつて阪神ファンとして2002・2003年の阪神を見ていただけに、
こんな奴に踊らされていたと思うと、悔しさで身震いがします。
とくにNHKは親中国の姿勢がアリアリだ。
だいたい、関口宏が「中国鉄道乗りつぶし」のときなど、見るに耐えない。
日本に毒入り食品を送りつける国を許すな。
自分は彼は好きでも嫌いでもありませんが、
「聖火リレーをやる、やらない」と
チベット問題は本来は分けて考えるべきだし、
ある意味注目される立場であれば、言葉尻を
捕らえられて意図しない方向への報道が
恣意的になされることを危惧してのことかも
しれません。
政治的コメントもニュース番組で呼ばれて
コメントを求められて、一般人でもだれでもが
思っている程度のことを口にするのを「勇ましい事を言いやがって
(ええ格好しやがって!)」と
評するのも、嫌仙一ぶりが出ていますね~
「坊主にくけりゃ、袈裟までにくい」という
ことなんでしょうか。
政治家ではないのですから、そこまで思想信条と現実の行動を
一致させるべきなのでしょうか?
中共自身がここんところ「五輪にボイコットはない」と発言してますが、そもそも中華民国との支那支配の正統性をめぐり、IOCを脱退していた時期があるので「政治とつなげてたのはお前らやんけ、どの面下げて言うんじゃコラ!」ってなもんです。
星野仙については、最近杉下御大がおもろい話をしてたのですが、これは自分のところで書きますか(笑)
さて、この英断に対し感謝の意を込めて、雨もあがったので、今日は善光寺さんに行ってきますかね。
ナチスドイツや、旧ソビエト連邦などのように、全体主義的国家がオリンピックを開催するとその10年後には国が崩壊しています。私のブログでは、北京オリンピックでもこの法則があてはまるのかどうか、映像で迫ってみしまた。是非ご覧になってください。
破壊王子様が上で書かれている様に、オリンピックはプロパガンダの場としてしばしば利用されて来ました。そしてロサンゼルスオリンピック(1984年)の大成功辺りから、プロパガンダ的な側面に露骨な商業主義も加わった様に思います。それだからこそ北京オリンピックが上手く行かなかったり、参加して結果を残せなかったりすると、色んな意味でダメージを食らう人間(乃至は国家)が多くなるのは、当然と言えば当然でしょうね。
先ず旗幟鮮明にしておきたいのですが、自分は嫌中でも何でも在りません。関口Jr.の件の番組も、旅番組として好きで見ておりましたし。基本的に是々非々で「これは気に食わない!」とか「これは正論だ!」と書いているだけなんです。
そんな自分ですが、チベットに対する中国政府の人権蹂躙&言論封殺は絶対に許し難いし、そんな彼の国に対して及び腰なメディアに対して、“今回の件に関しては”憤りを覚えております。
記事内でも触れました様に、聖火ランナーを務めようが務めまいが、それは個人の全く自由だと思っております。「皆が一律、辞退しなければならない!」では、何処ぞの“北の国”と一緒になってしまいますし(笑)。
今後とも何卒宜しく御願い致します。
「今回の記事には相当反応が在るだろうな。それも異論&反論がかなり。」と、この記事を書き乍ら思っておりました。やはりと言うべきか、多くの御意見を頂戴した事を在り難く思う一方で、異論&反論が意外にも少なかった事に少々戸惑っております。
「相変わらずの嫌仙一節」、これはその通りです。「美味しいと言っている人も居るけど、自分はどうしても納豆は受け付けない。」というのと同様に、自分にとっての彼はどうしても受け容れる事が出来ない存在なんです。唯、誤解しないで戴きたいのは、彼を全否定している訳では無いという事。過去の記事やコメントで、彼の言動を評価している部分も在るんです。極めて少ないのは事実ですが。基本的に是々非々で、否定したり賛成したりしている訳で、これは敬愛する王さんでも例外では在りません。「ジェレミー・パウエル投手の二重契約問題」でも、王さんの姿勢を批判しておりますし。「坊主憎けりゃ、袈裟迄憎い」という面は確かに在りましょうが、「坊主憎けりゃ、(その坊主が寝泊りしている)寺迄憎い」といった余りにも近視眼的な考え方では無い事を、御理解戴けると幸いです。
記事内で触れた様に、聖火ランナーを務めようが務めまいが、それは個人の全く自由。「皆が揃って辞退しなければ駄目!」では、何処ぞの“北の国”と何等変わりません。聖火ランナーを務める者が、今回の件に関してコメントしようがしまいがも全く同様。それはビートたけし氏のスタンスを評価している事でも、判って戴けると思います。
では何故某日本代表監督の遣り方が受け容れられないかと申しますと、普段より余りにも“御都合主義な雄叫び”が鼻につくからなのです。「あれだけ普段から政治的な主張をしているのだから、今回ノーコメントというのは不自然では?」と思うのです。「スポーツと政治を切り離すべき。だから、敢えてコメントはしない方が良い。」という御意見も在りましょうが、これは破壊王子様が上で触れられている様に、「そもそも完全分離は無理な話。」と自分も思っています。又、金銭という対価を得てコメンテーターを務めている以上、ましてや普段から勇ましく政治的主張をしている以上、自分の様な一般人の戯言と同一視されるべきでは無く、“或る程度は「思想信条と現実の行動を
一致させるべき」ではないでしょうか。腐っても公共の電波を使ってコメントを出しているのですから。
過去にも記しました様に、彼の“手前勝手な暴言”で心に傷を負ったジャイアンツ・ファンは少なからず居るんです。「ジャイアンツさえ強ければOK。」的な某徳光氏の様な存在は批判されて当然でしょうが(笑)、ジャイアンツの遣り方を全面否定し乍らも、純粋にジャイアンツの選手達を愛しているジャイアンツ・ファン迄、彼の暴言によって誘発された理不尽なバッシングに幾度も晒されて来ました。どれだけ不愉快な思いをさせられたかは、ジャイアンツ・ファンで無ければ本当の部分は判らないと思いますし、それを100%理解して貰おうとは思いませんが、そういう心の傷が彼をどうしても受け容れ難い背景に或る事を改めて記させて貰いました。
くどい様ですが、聖火ランナーを務めようが務めまいが、又は聖火ランナーを務める人がコメントしようがしまいが、それは全く個人の自由です。
tak様宛にも書かせて貰いましたが、スポーツと政治を完全分離させるのは自分も不可能だと思っています。ましてや国際的なスポーツの大会では、プロパガンダ的に用いられるのは良く在る事。ロサンゼルスオリンピックの大成功以降、それに商業主義という側面が色濃く付き纏う様になたのですから、厄介と言えば厄介です(苦笑)。
今回の件に限らず、そもそも聖火リレーをする必要性に疑問を感じている自分。「あれだけチベット人を弾圧しておき乍ら、何が平和の祭典だ。」という思いも在り、今回は余計に聖火リレーが空々しく思えます。唯、聖火ランナーを務めてからと言ってその人間を批判する気は全く無いし、務めようが務めまいがそれは個人の自由。善光寺の今回の判断は、毅然とスタンスを表明したという意味で敬意を表しますが。
東京オリンピックに関しては、「敗戦で焼け野原になった状態から、高度成長期を経て、日本は此処迄経済的にも政治的にも発展しましたよ!」という意味での“政治的アピール”は在ったと思います。勿論、悪意を持った政治的アピールで無いのは言う迄も在りませんが。
第29回夏季オリンピックの主催国として中国が選出されたのは、7年前の事だったでしょうか。当事から彼の国の人権軽視の姿勢は目立っていたものの、よもや此処迄酷くなるとはIOCも思っていなかったのでしょうね。否、判ってはいたものの、“接待付け”で籠絡されてしまったのかも(苦笑)。
何処の国で開催されても、オリンピックを政治的プロパガンダに利用される可能性は100%除外出来ないでしょうね。唯、仰る様にその危険性を極力排除する事は出来ましょうが。
今後とも何卒宜しく御願い致します。